死神 ☆ 白梅が咲く春とは言え小雪の舞う寒い或る日の事、道端に素筵を敷いて地べたに正座して、首に『命売ります』と書いた看板を首に掲げて商売をする身重の病人が居った。栄枯盛衰は世の常、かっての敷石も今や砂礫に戻って仕舞った。 「かって京の色町で旦那衆を手玉に取った其方が、今や乞食に成って物乞いで有るか」老医が声を掛けた。 「此れは遺憾。こんな事をして居ては命が持たぬ、もう已めにせよ」 「子が生まれる迄は何としても生抜かなくては成りませぬ、已めたくても已める訳には」 「命の値段が1銭5厘とは何んとも安い、そなた程の美嬪が其の値段でも買う者は居らんのか」「身重の身では夜伽も務めかねますから」 「何時までこの様な物乞いを続ける心算じゃ、体が凍えて厠にも行きたいので有ろうに」「売れる迄は已める訳には」 老医は女を買って家に連れて帰り妻にした。軈て女は元気な女の子を産み落としたが身体の衰弱が酷く亡く成った。 老医は其の子を理子と名付けた。 ☆ 理子は元気一杯で金太郎の如くに海辺や野山を駆け回って遊んで居った。向かいの弐つ年上の史郎とは仲良しで有った。 「其の棒は何の為の物じゃ」「此れか、熊に襲われた時に戦う為じゃ」「熊に襲われた時は死んだ振りするのじゃなかったのか」 「犬が怯える棒とは其の棒の事か」「何でそんな事を聞く」「犬も歩けば棒に当たると言うでは無いか」 「あのう私催して来てしもうた」「遠慮は無用、俺が熊が近付かぬ様に見張ってて遣る、蝮の尻尾は踏まぬ様に気を付けてな」 案の定、冬眠から覚めて腹を空かせた熊がひつこく後を追って来た、二人は雪解けで増水した川に流され滝つぼに。 理子は命を助けて貰った史郎に恩を返すために 「あんたの嫁に成って上げる」と勝手に決めて仕舞った。 「いい加減に観念してわてを女房にすると言え、言わぬとこうして遣る」理子は馬乗りに成り迫って史郎を辱めた。 「いい年こいて又小便たれしおって」史郎は母者に又又ひっぱたかれた。 或る法事の日、庭で仲良く遊ぶ二人を見て老医は史郎に理子の婿に来無いかと許嫁を言い出した。「家の財産は総てお前の物じゃ、如何じゃ」 「爺様の有り難いお話しを断るは勿体無い話では有りますが」「尿垂れするよな女を嫁御には出来ませぬ」 「理子も今はまだ子供、大人に成っても治らぬとは思えぬがな、もう一度考え直してみては如何じゃ」 ☆ 理子の因果な病は治り難しだが母者に似て美人で有った。 史郎の婆が病で倒れ女手が無くて困りはて理子に住み込みで看病に来てもらう事にあい成った。 「お前の様な娘が史郎の嫁に成って呉れたらな」と嘆く婆。 「お前が何故此処に居る、世間の者はお前が俺の女房だと勘違いして仕舞って居る」「勘違いされて困る事でも」 「二度と尿垂れはせぬと約束するか」「態とで無い事を如何やって約束出来ましょうか、しびって仕舞う程に気持ちのいい事を又して見たい」 ☆ 婆が亡く成り、因果な病持ちの理子と仕方無しに結婚する羽目に、軈て子供が生まれ非凡は日々が過ぎ去ったのでは有るが。 其の史郎に突然に赤紙、招集令状が来た。史郎は戦死し立派な墓を建てて貰った。半年が過ぎ理子は戦地に行く若者と再婚しては立派な墓を拝んだ。度重なる為人々は死に太りと良からぬ風評が立った。 理子が九人目に再婚した男は有名な大学の地震学者で有った。三日以内に異常な程に巨大な天災地変が起きると大手新聞に発表して仕舞った。一日経っても、二日経っても、三日経っても地震は起きず夫の地震学者は世間に袋叩きに成った。予知が外れた事を嘆いて自殺して仕舞った。六か月後、理子は拾人目の再婚の婚礼の最中に狂った亡者に山寺の墓地迄連れて行かれ石子詰めの刑に処されて仕舞った。春日神社の三作の様に生きた儘埋葬されて仕舞ったので有る。浜の赤面地蔵も何者かに悪戯されて顔に紅を塗られて仕舞った。 其の時何故か前の夫が予知した異常な程に巨大な天災地変が六か月に遅れて外れて起きた。山寺の墓地が崩れ落ち石子詰めの座棺桶が転げ落ち岩にぶつかり箍が外れ花弁の様に壊れ中から死神が出て来た。「半時間後には村は総て流され皆が死ぬるで有ろう、棺桶の心配をするが良い」 山寺も傾いてしもうた。 山寺の和尚は恐怖に怯え狂った様に鐘を突き続けた。軈て海の水は異常な程に静かに引き始めた、そして今度は徐々に徐々に海面が静かに上がり始めた。港に停めて有った船が山に迄上った。木と紙と藁で出来た民家は総て流さて仕舞い多くの人が亡く成った。山寺に死神の処刑を見たさに後を付けて来た野次馬丈が助かった。 |