イリアス




 ギリシャ神話を題材とし、トロイア戦争十年目のある日に生じたアキレウスの怒りから、イーリオスの英雄ヘクトールの葬儀までを描写する。ギリシアの叙事詩として最古のものながら、最高のものとして考えられている。叙事詩環(叙事詩圏)を構成する八つの叙事詩のなかの一つである。
元々は口承によって伝えられてきたものである。『オデュッセイア』第八歌には、パイエーケス人たちがオデュッセウスを歓迎するために開いた宴に、そのような楽人デーモドコスが登場する。オデュッセウスはデーモドコスの歌うトロイア戦争の物語に涙を禁じえず、また、自身でトロイの木馬のくだりをリクエストし、再び涙を流した[要出典]。
 『イーリアス』の作者とされるホメーロス自身も、そのような楽人(あるいは吟遊詩人)だった。ホメーロスによって『イーリアス』が作られたというのは、紀元前8世紀半ば頃のことと考えられている。『イーリアス』はその後、紀元前6世紀後半のアテナイにおいて文字化され、紀元前2世紀にアレキサンドリアにおいて、ほぼ今日の形にまとめられたとされる[1]。




  構成

 アキレウスとアガメムノーンの確執
 アポローンの矢による疫病の発生から十日目、アキレウスの発議により集会が持たれた。カルカースによって、アポローンの怒りを鎮める必要があるため、献策がなされた。それは、身の代なしに娘クリューセーイスを神官クリュセースに返すというものだった。クリューセーイスはアカイア勢の総帥アガ メムノーンの戦利品となっていた。アガメムノーンはやむを得ず娘を解放することに同意する。
アガメムノーンは娘を失う代償を諸将に求める。それに対し、アキレウスは戦利品を分配しなおすべきでないことを主張し、「わたしには戦う義務はない。しかしあなたがた兄弟のために戦闘に参加している」と述べる。アガメムノーンは立腹し、軽率にも「われらのために戦う戦士は山ほどいる。そなたが義務で戦うというのなら、われらは汝なしでも戦うことができる」と応酬した。そして、クリューセーイスの代償として、アキレウスの戦利品であるブリーセーイスを自分のものにする。
 アキレウスはアガメムノーンの仕打ちに怒り、母テティスに祈り、ゼウスがイーリオス勢の味方をすることでギリシア勢を追い詰めさせることを願う。テティスが請け合い、ゼウスに頼み込むと、ゼウスもこの願いを受け入れた。ゼウスの妻ヘーラーは、ゼウスがテティスの願い通りイーリオス勢の味方をするつもりではないかと気付き、ゼウスを難詰したが、息子ヘーパイストスのとりなしで、とりあえず怒りを納めた。
 アキレウスはその日以降、集会にも出ず、戦闘にも参加しなくなった。こうしてアキレウスの怒りから始まり、『イーリアス』は劇的な展開において物語を繰り広げて行く。

 総攻撃の開始
 ゼウスは、テティスの願いをどのように叶えるのがよいかを考え、ギリシア勢の総大将アガメムノーンを夢でまどわすことにした。アガメムノーンは、ネストールが「オリュムポスの神々は皆ギリシア勢の味方をすることになったから、全軍で攻め寄せればイーリオスを攻め落とせる」と説くところを夢に見た。目が覚めたアガメムノーンは、すぐにでもイーリオスを陥落させることができると思い込み、総攻撃を決意する。しかしゼウスは、ギリシア勢を劣勢に追い込み、アガメムノーンに、アキレウスを怒らせたことを後悔させることが目的だったのである。
 ギリシア勢が美々しく隊伍を整えると、イーリオス勢も攻撃準備を完了した。両軍は、まさに激突しようとしていた。

 パリスとメネラーオスの一騎討ち
 このときパリスは軍勢の先頭に立ち、「誰でもいいから俺と勝負しろ」と言った。メネラーオスは、仇敵の姿を見るや、喜び勇んで飛び出してきた。しかしパリスはメネラーオスを見ると怖気づき、逃げ出してしまった。これを見たヘクトールは、イーリオスの災厄の種であるパリスの不甲斐なさをなじり、「貴様のような格好ばかりの奴は、さっさとメネラーオスに殺されてしまえばよかったのだ」と責めた。
 するとパリスは殊勝にも「私とメネラーオスで一騎討ちをし、勝ったほうがヘレネーと奪った財宝を取ることにしたい」と申し出た。ヘクトールは喜び、ギリシア勢にこの話を申し込んだ。アガメムノーンもこの話を呑み、両軍の戦士が武装をはずして見守る中、両者が一騎討ちを行うことになった。
対峙するパリスとメネラーオス。双方が槍を投げるが、両者共にこれを避けた。次にメネラーオスが剣を抜いて切りかかると、メネラーオスの剣はパリスの兜にあたって砕けた。パリスがくらくらしているところを、メネラーオスが兜を掴んで自軍に引いていこうとした。するとアプロディーテーが兜の紐を切ってパリスの窮状を救った。メネラーオスの手には兜だけが残った。そしてなおも追いすがるメネラーオスから守るために、濃い霧でパリスを隠し、イーリオスに退却させた。
 メネラーオスは姿を隠したパリスを探すが、見つけることができない。そこでアガメムノーンはメネラーオスが勝ったとして、ヘレネーと財宝の引渡しをイーリオス勢に申し入れた。
 ヘクトールは目の前の出来事に青ざめたものの、誓い通りに戦いの結果を尊重しようとした。しかし、ゼウスはトロイアの運命に基づき、アテーナーに命じてトロイアの武将パンダロスに甘言をささやいた。それは誓いを破り、ギリシア(メネラーオス)への仇討ちをせよ、というささやきであった。
彼が矢を放った結果、メネラーオスは傷を負い、それを契機に再び戦いが始まった。

 パトロクロスの出陣
 アキレウスなしでも優勢に立っていたギリシア勢も、名だたる英雄たちが傷ついたことをきっかけにして総崩れとなり、陣地の中にまで攻め込まれる。これを見たパトロクロスは、出陣してギリシア勢を助けてくれるようアキレウスに頼んだが、アキレウスは首を縦に振らない。そこでパトロクロスはアキレウスの鎧を借り、ミュルミドーン人たちを率いて出陣する。

 パトロクロスの死
 アキレウスの鎧を着たパトロクロスの活躍により、ギリシア勢はイーリオス勢を押し返す。しかし、パトロクロスはイーリオスの王プリアモスの息子で、事実上の総大将であるヘクトールに討たれ、アキレウスの鎧も奪われてしまう。

 アキレウスの出陣[
 パトロクロスの死をアキレウスは深く嘆き、ヘクトールへの復讐のために出陣することを決心する。アキレウスの母テティスはアキレウスのために新しい鎧を用意し、アキレウスに授ける。出陣したアキレウスは、イーリオスの名だたる勇士たちを葬り去る。形勢不利と見てイーリオス勢が城内に逃げ去る中、門前に一人、ヘクトールが待ち構える。

 ヘクトールとアキレウスの一騎討ち
 ギリシア勢とイーリオス勢が見守る中、アキレウスとヘクトールの一騎討ちが始まる。アキレウスはヘクトールを追いまわし、ヘクトールは逃げ回ってイーリオスの周りを三度回る。しかし、ついにヘクトールはアキレウスに討たれる。アキレウスはヘクトールの鎧を剥ぎ、戦車の後ろにつなげて引きずりまわす。復讐を遂げて満足したアキレウスは、さまざまな賞品を賭けてパトロクロスの霊をなぐさめるための競技会を開く。

 ヘクトールの遺体引き渡しと葬儀
 競技会が終わった後も、アキレウスはヘクトールの遺体を引きずりまわすことをやめない。ヘクトールの父プリアモスはこれを悲しみ、深夜アキレウスのもとを訪れ、息子の遺体を返してくれるように頼む。アキレウスはプリアモスをいたわり、ヘクトールの遺体を返す。ヘクトールの葬儀の記述をもって、『イーリアス』は終わる。