クオ・ヴァディス




 『クォ・ヴァディス: ネロの時代の物語』(Quo Vadis: Powieść z czasow Nerona)は、ポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチによる、西暦1世紀のローマ帝国を舞台とした歴史小説である。一般には単に『クォ・ヴァディス』として知られる。「クォ・ヴァディス」とはラテン語で「(あなたは)どこに行くのか?」を意味し、新約聖書の『ヨハネによる福音書』13章36節からの引用でもある[1]。

 Quo Vadis の語が示すもの[編集]
この言葉は、聖ペトロ(聖ペテロ)の運命を決めたばかりでなく、その後のキリスト教の苦難と栄光の歴史を象徴するものとして作中のクライマックスで用いられている。
ローマ帝国におけるキリスト教徒への迫害は日を追うごとに激しくなり、虐殺を恐れた者たちが国外へ脱出する事も当たり前になっていた。ペトロは最後までローマにとどまるつもりであったが、周囲の人々の強い要請により、渋々ながらローマを離れるのに同意した。夜中に出発してアッピア街道を歩いていたペトロは、夜明けの光の中に、こちらに来るイエス・キリストの姿を見る。ペトロは驚き、ひざまずき、尋ねた。
Quo vadis, Domine? (主よ、何処にか行き給う/主よ、どこに行かれるのですか)
キリストは言う
汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて今一度十字架にかからん/そなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って今一度十字架にかかるであろう。
ペトロはしばらく気を失っていたが、起き上がると迷うことなく元来た道を引き返した。そしてローマで捕らえられ、十字架にかけられて殉教したのである。
ペトロは死んだが、それはキリスト教の発展の契機となり、彼はカトリック教会において初代のローマ法王とされている。
(この章の記述については、阿部知二他編 『西洋故事物語 上』 河出文庫 1983年 によった)




 『クォ・ヴァディス』(Quo Vadis)は、1951年のアメリカ合衆国の映画。

   概要

 ヘンリク・シェンキェヴィチの同名小説『クォ・ヴァディス』を壮大なスケールのスペクタクルとして映画化したものである。
監督はマーヴィン・ルロイ、出演はロバート・テイラー、デボラ・カー、ピーター・ユスティノフ、レオ・ゲン。他にもエリザベス・テイラーがカメオ出演しており、無名時代のソフィア・ローレンが奴隷役としてエキストラ出演している。アカデミー賞では作品賞の候補を始め7部門(助演男優賞は2人なので8候補)となったが、監督賞や脚本部門では候補になれず、受賞もなかった。暴君ネロを演じたユスティノフはゴールデングローブ賞を受賞し、アカデミー賞でも助演男優賞の候補となっている。
 当初は、製作にジョン・ヒューストンが携わっていたが、乗り気ではなかったため降板した。また主役にグレゴリー・ペックが考えられていたが、病気のため降板した。
 この作品の他にもサイレント期に作られたものは数多くあるが、この作品が『クォ・ヴァディス』の映像化作品としては最も有名である。近年では1985年のテレビ作品(日本未公開)、2001年にポーランド語で作られたイェジー・カヴァレロヴィチ監督の『クオ・ヴァディス』(邦題はォが大文字)がある。



              あらすじ

 西暦1世紀の前葉、皇帝ネロ(ピーター・ユスチノフ)の元ローマ帝国が全世界を支配していた頃。3年に渡る英国遠征を終わってマーカス・ヴィニシウス(ロバート・テイラー)に率いられたローマ軍の一隊が首都に凱旋してきた。ネロはほかの軍隊の到着を待って大凱旋分列式を行うからといって、マーカスの引見をのばし、マーカスはその間に亡きリジア王の若い王女リジア(デボラ・カー)と知り合って、その気高い美しさに惹かれた。大分列行進の日、ネロの新しい妃ポッペア(パトリシア・ラファン)はマーカスの勇姿に邪な情熱を燃やした。だがマーカスの心は全くリジアに奪われ、ネロも許可を与えたが、当のリジアは彼の求愛を退け、忠実な怪力の護衛ウルスス(バディ・ベア)とともにローマから姿を消した。思いあまったマーカスは星占いの助力を求めてリジアが禁断のキリスト教信奉者であることを知り、部下とともに宗徒の秘密の集合場へ行き、リジアを捕らえようとしたが、ウルススの抵抗でマーカスは傷を負った。リジアは初めて心を許して彼の看護にあたり、2人は激しく愛し合うようになった。マーカスは結婚を申し込み、彼女もそれを承知したが、リジアが信仰を捨てる気持ちのないことを知って耐えられず、彼女の元を去って虚ろな心をポッペアの邪恋にまぎらそうとした。その頃ネロは、ネロポリスという新しい首都を建設するため、ローマを灰燼に帰そうと決心した。マーカスはローマが燃えていると知って戦車を駆って火の海におどり込み、逃げ場を失った群衆を安全な場所に非難させ、リジアを無事見つけ出した。ネロの極悪非道には群衆も遂に反逆の狼火をあげた。ネロはキリスト教徒に弾圧を加え、彼らを大闘技場に引き出してライオンの餌食にしようとした。マーカスも捕らえられた。使徒ピーターとナザルスは危うくローマを逃れたが、途中キリストに会い、『主よ何処に行き給うや』(クオ・ヴァディス)と問うと『余はローマに赴きて再び十字架にかからん』と答え、ピーターは翻然悔悟してローマに引き返し、捕らわれた。獄中で彼はマーカスとリジアの結婚式を執り行い、自ら十字架上に果てた。いよいよリジアが猛牛の餌食になろうとしたが、ウルススは身をもって彼女をかばい、その牛の首を捻じ挫いた。立腹したネロはマーカスとリジアを殺せと命じた。しかし2人はマーカスの部下に救われ、民衆はネロこそ罪人だと非難した。恐怖にかられたネロはポッペアを絞め殺し、逃げ去ろうとしたが、キリスト教徒アクテの短剣の露と消えた。暴君ネロの時代は終わり、自由の身となったマーカス、リジア、ウルススらはシシリイに旅立っていった。




 クオヴァディスがある 2001年 のポーランド映画 監督でイェジー・カヴァレロヴィチに基づいて、同じタイトルの著書によるヘンリク・シェンキェヴィチ。これは、ポーランドの提出した第74回アカデミー賞のためのアカデミー外国語映画賞、しかしノミネートされていませんでした。[1] [2]




 映画の中心的なプロットは、Neroの治世の間にクリスチャンに対する迫害を背景に設定されたクリスチャンの少女(現代ポーランドの領土から来る)に向かって、ローマの貴族、マーカス・ヴィニシウスの愛を中心にしています。
 当初、キリスト教徒でローマの人質であるリジアは、ヴィニシウスの愛の対象になりましたが、彼は彼の進歩を拒否しています。ヴィニシウスの友人ペトロニウスは、すべてのローマ人の人質の権威を持つネロを操作して、リジアをヴィニシウスに与えようとしますが、リジアはキリスト教徒に隠されています。マーカス・ヴィニシウスは彼女を見つけて彼女を妻にすることを決めた。彼は彼女を見つけるために剣闘士のクロトンと共にクリスチャンの会議に行きます。会合から彼女を追跡した後、マーカスは彼女を連れて行こうとしますが、Lygiaの強力な男と友人であるUrsusはCrotonを殺します。マーカス自身は戦いで負傷したが、リジアとキリスト教徒が世話をする。彼らは優しさを見てキリスト教に変わり始め、リジアは彼を受け入れます。
 皇帝ネロが離れている間、ローマは火を奪う。Neroは群衆に戻って歌いますが、彼らは怒ります。ネロの妻の提案で、キリスト教徒は火のために責められ、群衆を鎮めるための長い一連の残酷な眼差しを提供します。眼鏡の1つで、ウルススはその上にLygiaを運ぶ雄牛に直面しています。ウルススが勝利し、群衆と警備員の承認を得て、Neroは彼らを生きのびさせる。
Neroは自分自身を殺し、ViniciusとLygiaはローマを離れる。