二つの禍



 日本は今現在二つの禍に脅かされて居る、国難と言っても良い。北朝鮮の核の脅威と共産思想の赤化で有る。北朝鮮が朝鮮戦争を終結させ南北統一に進み核兵器の開発を已め南北平和を目指すかの如くに報道はされて居る。米国に届く大陸間弾道ミサイルは廃棄しても日本に届く小型ミサイルは其の儘で有る。日本が標的の儘で有る。北朝鮮が核の国際調査団を受け入れる様に日本が其の費用を出す話まで有る。お金が無い事を理由に拒否し無い為でも有る。拉致被害者の問題も有る。巨兆の支援で拉致問題も解決する可能性も出て来た。巨兆の支援をしても韓国の反日は収まら無いし、国際社会ではお金で揉め事を解決しょうとする日本の姿勢は評価され無い。日本の国内にも反日か活動をして居る人が可成り居る。反日をする人が反原発活動もして居る。

 ソビエト連邦が崩壊し、北朝鮮が水爆実験や大陸間弾道ミサイルの発射実験を繰り返し、中国が万里の長城の外側迄領土を広げ、東志那海に人工島を作り領海の拡大を目論んで居る。台湾が中国に成り、沖縄県が米軍は出て行け、自衛隊は来るなで、スペインのカタルーニア地方の独立騒動の如くに成り、北海道の熊笹しか生えぬ原野が中国人に買い漁られて居る現状が有る。数多の原発運転差し止め仮処分訴訟が起こされて居る。福島の原発事故から7年以上も経って居るが未だ収まら無い。原子炉設置審査に合格し無い原子炉は急迫の危険が無いとして破毀される。再稼働目前の原子炉呑みが対象と成る。巨兆の資金を使って安全対策を済ませ、周辺住民や当該首長の同意を得、避難計画を作成し、避難訓練を済ませて再稼働した原発を、僅か数人の原告住民がっ原発を停めた。訴訟を続けるにはお金も掛かる、弁護士料も可成りのものと成る。個人が道楽で出来るものでは無い。誰かが裏で指図をして居る事を意味する。原発を停めることは日本を衰亡させる安価な手法の一つでも有る。旧民主党の当時首相の菅直人しが無法に原発を停めて日本から流出した国富は25兆円以上に上る。日本が衰亡するを望む国は韓国や北朝鮮や中国で有る。日本を衰亡させ混乱を利用し、革命政権を打ち立てるが狙い、全世界が共産圏に成れば戦争が無く成るの道理である。

 日本共産党は戦後反核運動を長く行って居た、日本ペンクラブも反核の署名運動も行って居た。世界に唯二の原爆の被爆国の日本では当然の事でも有る核を持た無い日本では安価な政争の具で有る。党組織の拡大の為の政争の具にしやすい、広島や長崎で訴訟を起すは放射能汚染の風評を悪用出来る地の利が有る。日本共産党は元来原発は原子力の平和利用として推奨して居たので有る。ウランを発電で使い切って仕舞えば此の世から核は亡く成ると言う通りでも有った。されど、福島で原発事故が起き、放射能汚染の風評を悪用し脱原発に掌を引っ繰り返して脱原発を言い出したので有る。原爆の放射能禍を利用し、瀬戸内海を放射の汚染から守ろうと言う、大津地裁の訴訟では琵琶湖が汚染されると関西水源が汚染し関西には住め無いと言いて居た。
 以前に経済産業省の一等地の敷地内に不法占拠して脱原発テントを張り、脱原発闘争の拠点とした弁護士が居た、裁判にかけられたら、裁判中で有る事を理由に平然とい座った。裁判で敗訴しテントは強制撤去され土地の使用料を請求された其の弁護士が原告住民を募集し日本の原発総てを停めようと目論んで居る。本を発行し、映画も作り法廷で上映迄した。
 大津地裁の高浜原発の誤審は一年も掛けて大阪高裁は破棄した。大津地裁の異議審では異議審を同じ裁判長を担当させる不祥事が有った。福井地裁の裁判官は名古屋家裁に左遷させられた裁判官を態々呼び戻し、裁判官代行で決定を出さした、異議審で同僚の裁判官が破毀する恥さらしを演じた。広島高裁の決定は広島地裁の真面な決定を態々覆しての誤審で有った。九万年間安全で在った阿蘇山の噴火の妄想で伊方原発を停めた。被告でも無い原子力規制委員会を裁き、原子力規制基準が脆弱と言いい、原子炉設置審査が不合理で原子炉の設置を認め無いと言って原子炉を停めた。被告でも無い原子力規制委員会の犯した罪で伊方原発を停めた。被告を間違える民事保全法違反、代替えの法規制付きの節電や計画停電の計画を命じ電力を確保もせずにに原子炉を停めるは電力事業法違反、合法的に営業する原発を無法で停めるは憲法で保障する財産権の侵害で憲法違反、原子炉を停める権限の無いものが原子炉を停めるは原子炉等規制法違反。被告でも無い原子力規制委員会を裁き、原子力規制基準を脆弱と言い、原子炉設置審査が不合理で設置を認めないと言うは原子力規制委員会設置法違反、原子力規制委員会の弁明の場も与えぬは余りに失礼で有る。原子炉規制のガイドラインを原子力規制委員会の審査の不合理の理由の資料に悪用して居る。原子力規制委員会は以前は事実誤認が有ると言うも自分は当事者で無いと知らん振りをして居たがさすがに堪忍の尾が切れて、火山の噴火警戒レベル4で原発を停める策定を公表した。避難命令が出ても避難せずに被爆する事が裁判に成って居る。四国電力は其の事を主張も聞く耳 持たずで有った。平成阿蘇山大変の妄想で原発を停めた誤審。


 韓国が史実に疎く成って仕舞ったのは漢字を捨て去って仕舞った弊害が出始めた為で有る。僅か70年前の新聞や広報、雑誌や書籍がもう読めない、歴史学者迄も古文書がもう読め無い、捏造さらた歴史を教えて居る事に教師すら気が付か無い、インターネットでは当時の写真や動画も公開されて居る。外国人の紀行文も有る。イザベラ・バード等の日本、韓国、中国の当時の情景も判る。リットン調査団の報告も有る。GHQが公開した当時の資料も有る。当時化の統制府の公式の資料等も在る。それらを読めば日韓併合時代の植民地化の蛮行や拉致強制連行の従軍慰安婦の性奴隷の蛮行の真実も判る。

 巨億の支援をしながら外国の評価が余りに低い、慰安婦の主張が通て仕舞う不運が有る。慰安婦像は朝鮮戦争時代に米軍の装甲車に轢かれた二人少女像の一体を慰安婦像に転用したもので有る。空席はもう一人の少女の席で有る。少女の名前も判って居る。慰安婦像では無いので有る。朝鮮戦争時代の売春婦と混同して居る、第五種補給品との混同が有る。

 日本も戦後進駐軍のGHQの日本弱体化計画の為に漢字の廃止も有った。ローマ字表記を進める学者も居た。実際に小学校でローマ字は習った。日本の英語教育の障害に成ったとも言われた。其の役立たずのローマ字では有ったが近年パソコンの普及で思わぬところで恩恵を受ける事に成った。安価な欧文用のキーボードで日本語入力が容易に出来る。日本も漢字を捨て去って居たら、韓国程度の国に成り下がって居た事で有ろう。日本の学生の長文の読解力が高く評価されて居る、西洋列国の文盲率は低いが読解力が低い、文章は読めても理解出来無い人が居ると言う事で有る。漢字は読め無い字に出会っても意味が解る場合が有る。200以上在る世界の国で母国語で大学教育を行って居る国は少ない、表意文字で大学教育を行って居る国は更に少ない。日本語の有意差が評価されるべきだが、日本語を勉強する人は韓国や中国が殆どで有る。漢字文化圏に限定されて居る。中国では簡略化が進んで表意文字の意を呈して居ない字も有る。熟語の造語力が日本語の欠点でも有る。有名な作家が勝手に言葉を作って仕舞う。

 日本は多くの国に援助をして来たが、国際的には評価が低い。韓国は未だに賠償金を求める訴訟も起こされて居る。戦争は国際条約で終結し、以後は賠償問題を持ち出さないが取り決め。反日は南北統一の気運を生み出すは日本にとっては心外で有る。北朝鮮は巨兆の支援を要求して来る、拉致被害の開放を匂わせて言い出して来る。お金を出しても反日が収まる訳では無い、慰安婦像が無く成る保障は無い。

 最近韓国で小学校の教科書に漢字の併用の気運が高まった。漢字の学習教材の売れ行きも良い、漢字は中国から来たもの、反日の為に漢字を捨て去る当時の政府の間違い。中国に失礼で有る。歴史学者に成ろうと志す人は漢字の学習も必須。韓国の宮廷ドラマを観ると漢字とハングルの併用が出て来る。昔に戻れば良い丈の話で有る。韓国語を勉強する日本人も増えて来る。世界制覇を夢見るなら言語の普及が第一歩で有る。スペインの国営放送rTveは放送済みのドラマやニュース等をインターネット上で無料配信して居る。昔のドラマも観れる。YouTube等でも多数アップロードされて居る。最近はYoutubeで俳優が喋った通りに字幕が出るサービスも有る。語学を目指す人には便利なサービスで有る。中国のドラマは字幕付きが多い、中国は広く方言も酷い、字幕を付ければ意味が通じる事が判る。自然科学のドキュメント等では日本人にも馴染みの深い漢字が登場する。何となく意味が解るのは漢字の力でも有る。近年YouTubeのブロックや削除が気に成る。主題曲が問題に成る場合が有る。効果を出す為の音楽が問題に成ってブロックされる。音楽を消すサービスは有る。されど俳優の音声迄消されて仕舞う欠点も有る。警告が三度続くと登録が抹消される。アップロードした動画総てが削除される。一度削除されると再度登録は出来るが15分以上の物がアップロード出来る迄何か月も待たされる。年に2回迄の制限が有る様です。

 以前に学校の先生が欧州を旅行して壁に落書きをしたとして問題に成った。Youtube等に投稿された動画を見て判ったと言うので有る。外国の落書きの多さが気に成る。欧文の中で漢字で自分の名前を書いて仕舞う愚かが有る。目立つのん決まって居る。漢字の特異性が目立つ。教師でも落書きをしても悪いとは思わぬ程に落書きが一杯されて居る事を意味する。外国人が日本の地下鉄に落書きが一字も無いのに驚愕で有る。西洋列国のモラルの悪さが判る。消しても直ぐに落書きされるから消さ無いので有る。だから落書きしても良いと思って仕舞う。