アンネの日記

 『アンネの日記』(アンネのにっき、オランダ語: Het Achterhuis)とは、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクによる日記の出版書籍。

 概要

 第二次世界大戦の最中のドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台となっている。国家社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ人狩りのホロコーストを避けるために、咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだ、8人のユダヤ人達の生活を活写したもの。
 執筆は密告(密告者はいまだ不明)により、ナチス・ドイツのゲシュタポに捕まるまでのおよそ2年間に及んだ。1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されている。彼女の死後、父オットー・フランクの尽力によって出版され、世界的ベストセラーになった。




 アンネの日記 (1959年の映画)

 原題 The Diary of Anne Frank
 監督 ジョージ・スティーヴンス
 脚本 フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット
 原作 アンネ・フランク
 製作 ジョージ・スティーヴンス
 音楽 アルフレッド・ニューマン
 撮影 ウィリアム・C・メラー
 編集 デヴィッド・ブレサートン、ロバート・スミス、ウィリアム・メース
 配給 20世紀フォックス
 公開 アメリカ合衆国の旗 1959年3月18日
 日本の旗  1959年9月8日
 上映時間 150分
 製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
 言語 英語、ドイツ語

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 『アンネの日記』(アンネのにっき、The Diary of Anne Frank)は、ジョージ・スティーヴンス監督・製作による1959年のアメリカ合衆国の白黒映画  ある。アンネ・フランクの著書『アンネの日記』を原作としている。
 第12回カンヌ国際映画祭ではコンペティション部門で上映された。第32回アカデミー賞では作品賞を含む8部門にノミネートされた。




              あらすじ

 1945年、ナチ占領下から解放されたアムステルダム。強制収容所を出たオットー(ジョゼフ・シルドクラウト)は、想い出の屋根裏部屋に戻って来た。そこで娘アンネ(ミリー・パーキンス)の書いた日記をみつけた。日記は1942年7月9日から始まる。アンネの父オットーはユダヤ人で、母はオランダ人だった。姉マーゴット(ダイアン・ベーカー)とアンネはドイツで生まれた。ヒットラーが政権をとるとユダヤ人の排斥が始まった。アンネ一家は親友のバン夫妻と息子ピーター(リチャード・ベイマー)と共に、オランダへ亡命した。隠れ家の屋根裏部屋の下は香味料工場で、オットーは家族にいろいろと注意を与えた。姉妹はピーターと親しくなった。両親は耐乏生活に苦労した。戦争は連合軍側に有利になった。その頃、家主のミープ(ドディ・ヒース)がオットーに1人同居人を入れてくれと頼みにきた。彼はデュッセル(エド・ウィン)というユダヤ人の歯医者だった。デュッセルは一家の人々に、ナチのユダヤ人殺害の話をした。アンネはその話を聞き、ある晩夢を見て悲鳴をあげた。毎年12月に行われるユダヤ人のハヌカ祭が、屋根裏でささやかに開かれた。アンネは父に手編みのマフラーの贈物をした。その時、階下で物音を聞いた。泥棒が入ったらしい。おびえたアンネはピーターに抱きついた。デュッセルはピーターが音を立てたと彼を責めた。泥棒が捕まった時、その物音から自分たちの所在がばれるのを恐れたからだ。新年を迎え、アンネも女性らしくなった。ある日、階下の倉庫で働いているカールという男が、屋根裏部屋のことで階下のクラレルを脅迫した。アンネとピーターは愛し合うようになった。アメリカ軍がイタリアに上陸すると、ピーターは自由オランダ義勇軍に参加するといった。ある日、ミープが盗まれたタイプライターのことで、アンネたちの所在がゲシュタポに知られたことを告げにきた。8月のある日、遂に来るべきものが来た。サイレンを鳴らした警察の車が階下に止った。今はすべてを覚悟したアンネは、ピーターに別れの、そして最後の接吻をした。人間の善意は永遠に失われないことを信じて、アンネは死の収容所に向かうのだった。



     キャスト

 ※括弧内は日本語吹替
 アンネ・フランク - ミリー・パーキンス(二木てるみ)
 オットー・フランク - ジョセフ・シルドクラウト(鈴木瑞穂)
 ファン・ダーン夫人 - シェリー・ウィンタース(中西妙子)
 ペーター・ファン・ダーン - リチャード・ベイマー(亀谷雅彦)
 エディス・フランク - グスティ・ユーベル(寺島信子)
 ファン・ダーン氏 - ルー・ジャコビ(富田耕生)
 マルゴット・フランク - ダイアン・ベイカー(信澤三惠子)
 アルベルト・デュッセル - エド・ウィン
 クラーレル - ダグラス・スペンサー
 ミープ - ドディ・ヒース




 アンネ フランク 2001年放送のテレビ映画

 オランダ、アムステルダム在住だった少女アンネ・フランク(1929年〜1945年)Anne (Hannah Taylor-Gordon)が、生前ナチスのユダヤ人狩りから逃れて潜んでいた隠れ家で書き残した日記を、彼女の死後、収容所から生きて逃れてきた父親のオットー・フランクOtto Frank (Ben Kingsley)によって出版された。1942年6月〜ナチスに捕まる1944年8月1日にかけての日記で、出版されると各国語に翻訳され世界中でベストセラーになった。世界で聖書の次に多く読まれた本と言われる。
 DVDはアンネの日記を残したアンネ・フランクの生涯を描いた作品。メリッサ・ミュラーの著作を基に、アンネの日記で描かれた隠れ家での生活のだけではなく、ナチスの弾圧が始まる前のオランダ、アムステルダムの生活や、収容所での凄惨な最期の姿も描かれている。他人に対して優しくて、でも甘やかされて育ったためか生意気でわがままで。現実的かと思えば夢見がちで。そんなどこにでもいる女の子がたった15年で死ななければならなかったのか。ユダヤ人であるという理由で。正視に耐えない映像も多々出てくるものの、これがほんの60年前に起きた現実であることを考えると辛いながらも観るべき作品ではあり、その価値ある内容となっている。オリジナルの3時間を選択、短縮して90分の長さに編集した。
 物語は、1939年ドイツによる侵攻が始まるまでの平穏な生活や日常が描かれる。アンネは取りまく世界が少しずつ変わりつつあることに気が付いていた。ドイツ人によるオランダ侵攻とそれに続くユダヤ人の登録と黄色の星形の紋章がはじまり、フランク家の長女のマルゴMargot (Jessica Manley)のもとに労働キャンプに出頭命令が来たのを機に、隠れ家に隠れ住むことになる。隠れ家での生活は3つの家族が同居していたが、些細なことでいがみ合ったり喧嘩になったりする日々が続く。そんな中、芽生える幼馴染との恋。いつまでも続くかのように思われたその生活も、連合軍の攻勢が激しさを増し、1944年6月にはノルマンディーに連合軍が上陸し戦争終結の道が見え始め、フランク一家にも希望が見え始める。しかし、密告者の出現で、ゲシュタポが乗り込んできてアンネたちはつかまってしまう。事あるごとに対立していた歯科医師との分かれの抱擁の場面は印象的。そして、収容所での凄惨きわまる生活と同じように収容所に入れられた親友との再会。そしてベルゲン・ベルゼン収容所での姉マルゴの死。アンネの死そのものを最終的には描いてはいないが、それからそれほど間をおかずにアンネも死亡したと考えられている。1945年3月――あと3ヶ月……戦争はもう終わりが近づいていたというのに。1945年にドイツが降伏の後、オットー・フランクはアムステルダムに戻る。そこでフランク一家を援助し続けたミープに再開し、保存されていたアンネの日記を渡される。アンネと同じ年に生まれ、後に世界的な女優になるオードリー・ヘップバーンは第二次大戦中はオランダのアルンヘム Arnhem で極貧生活を送った。後にオードリーはアンネの日記を読み涙しながらアンネの日記の映画の主演になることを最後まで拒んだと言われる。
 アウシュヴィッツでのホロコーストを生き抜いたオットー・フランクはその後アンネ・フランク・基金を立ち上げ若い人々に差別と虐待に戦うことを教えた。(1980年に90歳で没)アンネは彼女の姉のマーゴの死後数日で収容所でチフスで亡くなったと伝えられる。収容所では他に17000人がチフスで亡くなった。
 マーゴもアンネもあと2週間生きれば英国軍が解放するところだった。
母親のエディス・フランクはビルケナウで餓死した。ピーターはマウタウゼン収容所で米国軍が解放する3日前に亡くなった。18歳の若さだった。
母親のアウグストは収容所を転々としたが1945年春に亡くなった。父親のハーマンはアウシュビッツのガス室で1944年10月に殺された。到着後一か月だった。フリッツ歯科医は1944年12月に収容所で亡くなった。愛人のシャルロッテは1953年に死後婚姻の手続きを取った。ヘルパーかつ会社社員のミープ・ギーズはそのヘルパーとしての貢献にベアトリックス女王から最高の栄誉が送られた。2010年に100歳で亡くなった。アンネの友人のジャクリーンはユダヤの父とフランス人の母との子でナチスの追及を逃れた。戦後出版の仕事に携わり最初にアンネの日記を出版した。3人の子供と6人の孫に囲まれて健在である。アンネと同じモンテソリで学んだハンナとその妹のガビはベルゲン・ベルゼン収容所での14か月を生き抜いた。その間アンネにパンや靴下を看守に隠れて渡していた。彼女らはエルサレムに移住し、ハンナは看護婦になり3人の子供と10人の孫に囲まれ現在も健在である。
そして150万人の子供たちがナチスの「最終解決」のもとに殺された。
アンネ・フランクの物語はそのうちの一つにすぎない。