タージ・マハール

 多くの人が死ぬ前に一度は行きたい所が有る物です。新世界七不思議に入って居る物も有ります。エジプトのピラミッド、タイのアンコール・ワットや日本の東大寺、インドのタージ・マハール等を挙げる人も多い。タージ・マハールは回教徒のモスクの様ですが愛妃の霊廟です。巨億の資金が必要で有った事が想像出来ます。王は完成した霊廟の美しさに感嘆し同じ物が他に作られるのを恐れ、石工の棟梁の目を潰して盲にして仕舞った。過去にも現在でも未来にも二度と同じものが作られる事は無い、王の心配とは別の理由で造られる事は決して無い。大理石の値段が上がって仕舞った為でも有る。

 1632年着工、1653年竣工とされる。
 謀反を起こした臣下ハーン・ジャハーン・ローディー討伐に付き従っていたムムターズ・マハルは、遠征先のブルハーンプルで産褥病のため、1631年6 月7日に死亡した。彼女の遺言のひとつに、後世に残る墓を所望した。彼女はブルハーンプルのザイナーバードの庭園に葬られ、毎週金曜日にはシャー・ジャハーンが訪れていた。
 霊廟の計画はブルハーンプル滞在時には着手され始めたと考えられる。1632年の初めにムムターズ・マハルの遺体は都アーグラに送られ、ダールル・ヒラーファト・アクバラーバードの庭園に安置されたが、シャー・ジャハーンはデカン討伐を続けた。同年6月、シャー・ジャハーンが遠征を終えるとアーグラに戻り、ムムターズ・マハルの一回忌追悼式典が催され、霊廟建設が開始された。基礎工事を経て1636年には白い霊廟がほぼ完成。さらにこれを挟んでモスクと集会場・尖塔・大楼門が建設された。大楼門北側には「神のご加護により、1057年竣工」という文字が刻まれている。イスラーム暦1057年は西暦1648年であり建設開始から17年を経ているが、その後に付帯設備が5年間をかけて整備され、すべての工事は1653年に完了した。なお、シャー・ジハーンは、タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に黒大理石で出来た自身の廟を作ろうとしたとされるが、これは実現しなかった。
 名前の由来は不確定ながら、王妃ムムターズ・マハルのムムが消え、ターズがインド風発音のタージになったという。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号。また、彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーグムとされる。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。
 また、地元では親しみを込めてビービー・カー・ラウザと呼ばれていた。ビービーは親しみを込めた貴婦人への呼びかけ。カー・ラウザは「(その貴婦人)の廟園」を意味する。
 1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年に新・世界七不思議に選出された。    (Wikipediaより)