星の王子さま




 『星の王子さま』(ほしのおうじさま、フランス語原題:Le Petit Prince、英語: The Little Prince)は、フランス人の飛行士・小説家であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説である。彼の代表作であり、1943年にアメリカで出版された。
2015年現在、初版以来、200以上の国と地域の言葉に翻訳され、世界中で総販売部数1億5千万冊を超えたロングベストセラーである。




   概要

 体裁は児童文学ながら、子供の心を失ってしまった大人に向けての示唆に富んでいる。« Le plus important est invisible » 「大切なものは、目に見えない」を始めとした本作の言葉は、生命とは、愛とはといった人生の重要な問題に答える指針として広く知られている。この作品の元になったと思われる、1935年のリビア砂漠での飛行機墜落事故の体験は、サン=テグジュペリによる随筆集『人間の土地』で語られている。
 レイナル・ヒッチコック社(en:Reynal & Hitchcock 現存しない)による1943年の初版以来、作者自身による挿絵が使われ、素朴な主人公や脇役の姿は作品とともに愛されている。
 物語の前置きでは、この本を、フランスに住んでいて困難に陥っているあるおとなの人に捧げると述べられている。この献辞にある「おとなの人」「子どもだったころのレオン・ヴェルト」とは、作者の友人のジャーナリスト、レオン・ヴェルトを指している。当時は第二次世界大戦中で、ヴェルトはヨーロッパにおいてナチス・ドイツの弾圧対象となっていたユダヤ人であった。
映画監督のオーソン・ウェルズも実写とアニメーションの融合による映画化を考えていたことがあり、アニメーション部分はディズニー・プロに依頼していたようであるが、実現はしなかった。
 慶應義塾大学助教授の片木智年によると、日本における「星の王子さまブーム」は2006年の時点で3回あったという。1回目は研究者らによる謎解き本が多数出版された1980年代、2回目はサン=テグジュペリ生誕100周年の2000年前後、3回目は数社から新訳が出版された2006年前後で十数社で刊行された[1]。これに対し加藤晴久が2007年に、書肆心水で『憂い顔の「星の王子さま」続出誤訳のケーススタディと翻訳者のメチエ』を刊行し、内藤訳と新訳14冊を検証、強く批判している。また三修社で2006年に、注釈『自分で訳す星の王子さま』を刊行している。



   あらすじ

 王子とサンテックス
 操縦士の「ぼく」は、サハラ砂漠に不時着する。1週間分の水しかなく、周囲1000マイル以内に誰もいないであろう孤独で不安な夜を過ごした「ぼく」は、翌日、1人の少年と出会う。話すうちに、少年がある小惑星からやってきた王子[2]であることを「ぼく」は知る。
王子の星は家ほどの大きさで、そこには3つの火山と、根を張って星を割いてしまう程巨大になるバオバブの芽と、よその星からやってきた種から咲いた1輪のバラの花があった。王子はバラの花を美しいと思い、大切に世話していた。しかし、ある日バラの花とけんかしたことをきっかけに、他の星の世界を見に行くために旅に出る。王子は他の小惑星をいくつか訪れるが、そこで出会うのは

 自分の体面を保つことに汲々とする王
 賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋
 酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む呑み助
 夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家(絵本、新訳の一部ではビジネスマン)
 1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯の点火や消火を行なっている点燈夫
 自分の机を離れたこともないという地理学者
 といった、どこかへんてこな大人ばかりだった(数字は「○番目の星」として登場する順番)。6番目の星にいた地理学者の勧めを受けて、王子は7番目
 星、地球へと向かう。
 地球の砂漠に降り立った王子は、まずヘビに出会う。その後、王子は高い火山を見、数千本のバラの群生に出会う。自分の星を愛し、自分の小惑星の火山とバラの花を愛おしく、特別に思っていた王子は、自分の星のものよりずっと高い山、自分の星のバラよりずっとたくさんのバラを見つけて、自分の愛した小惑星、火山、バラはありふれた、つまらないものであったのかと思い、泣く。
 泣いている王子のところに、キツネが現れる。悲しさを紛らわせるために遊んで欲しいと頼む王子に、仲良くならないと遊べない、とキツネは言う。キツネによれば、「仲良くなる」とは、あるものを他の同じようなものとは違う特別なものだと考えること、あるものに対して他よりもずっと時間をかけ、何かを見るにつけそれをよすがに思い出すようになることだという。これを聞いた王子は、いくらほかにたくさんのバラがあろうとも、自分が美しいと思い精一杯の世話をしたバラはやはり愛おしく、自分にとって一番のバラなのだと悟る。
 キツネと別れるときになり、王子は自分がキツネと「仲良く」なっていたことに気付く。別れの悲しさを前に「相手を悲しくさせるのなら、仲良くなんかならなければ良かった」と思う王子に、「黄色く色づく麦畑を見て、王子の美しい金髪を思い出せるなら、仲良くなった事は決して無駄なこと、悪い事ではなかった」とキツネは答える。別れ際、王子は「大切なものは、目に見えない」という「秘密」をキツネから教えられる。
 日々飛行機を修理しようと悪戦苦闘するかたわら、こんな話を王子から聞いていた「ぼく」は、ついに蓄えの水が底をつき、途方に暮れる。「井戸を探しに行こう」という王子に、砂漠の中で見つかるわけはないと思いながらついて行った「ぼく」は、本当に井戸を発見する。王子と一緒に水を飲みながら、「ぼく」は王子から、明日で王子が地球に来て1年になると教えられる。王子はその場に残り、「ぼく」は飛行機の修理をするために戻っていった。
翌日、奇跡的に飛行機が直り、「ぼく」は王子に知らせに行く。すると、王子はヘビと話をしていた。王子が砂漠にやってきたのは、1年前と星の配置が全く同じ時に、ヘビに噛まれることで、身体を置いて自分の小惑星に帰るためだったのだ。別れを悲しむ「ぼく」に、「自分は自分の星に帰るのだから、きみは夜空を見上げて、その星のどれかの上で、自分が笑っていると想像すれば良い。そうすれば、君は星全部が笑っているように見えるはずだから」と語る。王子はヘビに噛まれて砂漠に倒れた。
 翌日、王子の身体は跡形もなくなっていた。王子が自分の星に帰れたのだと「ぼく」は考え、夜空を見上げる。王子が笑っているのだろうと考えるときには、夜空は笑顔で満ちているように見えるのだが、万一王子が悲しんでいたらと考えると、そのうちのひとつに王子がいるであろういくつもの星々がみな、涙でいっぱいになっているかのように、「ぼく」には見えるのであった。

 献辞について
 献辞にレオン・ヴェルトと呼ばれる人物が登場する。作者にとってこの人物は
 この世で一番の親友であり、
 おとなだけど、なんでもわかる人で、また、
 今フランスにいて、お腹を空かせ、寒い思いをしているのでなんとかなぐさめてあげたい、
 と作者自身語っている。
 このレオン・ヴェルトは実在の人物である。ヴェルトはサン=テグジュベリよりも22歳年上で、1931年ごろ知り合い、互いに無二の親友となった。ジャーナリスト、作家、批評家といった仕事をし、第一次世界大戦の経験から、熱烈な平和主義者だったが、ユダヤ人であったため、ナチスによる弾圧を避け、フランス東部のジュラ県サンタムールにあった別荘に隠れ住んでいた。




 この本の初版にはサン=テグジュペリ自身の筆になる挿絵が大小47点描かれている。原画は失われたと長らく信じられてきたが、2006年4月に「原画発見」の報が走った。「積み重なるゾウ」の「原画」を、パリのある古書店が売りに出したのである。
 その古書店に「原画」を売ったのが、コンスエロ(サン=テグジュペリ未亡人)の遺産相続人であるホセ・マルチネス・フルクトゥオーソであることが判明した。週刊誌「レクスプレス」の取材インタビューに対してフルクトゥオーソは、コンスエロの遺品の中に“Le Petit Prince”挿絵原画が存在することを認め、「狩人」と「砂漠の花」(1994年に今回と同じ古書店主がニューヨークで購入)および今回の「積み重なるゾウ」の計3点[3]を売却した事を明らかにした[4]。 フルクトゥオーソは、2006年にフランスのカンで開かれたコンスエロ遺品展に、「渡り鳥にぶら下がって旅立つプリンス」と「ヘビと話する塀の上のプリンス」の2点を出品した。以上5点が、フルクトゥオーソが認めた「Le Petit Prince 挿絵原画」であって、残りは未公開である。 サン=テグジュペリ自筆と目される水彩画が日本で見つかった。1994年に開かれた東京の古書市で、山梨県北杜市高根町の美術館、えほんミュージアム清里代表である渋谷稔がアメリカ合衆国にある希少本専門書店から入手していたもので、Le Petit Prince 挿絵にある「ビジネスマン」に酷似している(細部では、重要な違いも含めて、異なる点が複数ある)。2007年4月に「6点目の挿絵原画」発見と報道され、国内5都市を巡回開催された「サン=テグジュペリの星の王子さま展」に出品展示された[5]。サイズはおおよそA4判のオニオンスキンペーパーで、それを納めた厚紙製の枠にはサン=テグジュペリのサインがあり、編集者による指示書き(初版本の掲載ページ番号)が絵の裏側に書かれているとされる。「1994年」「ニューヨークの古書店から購入」が前記2原画との共通項として支持材料にはなるものの、指示書きの筆跡鑑定その他の検証はまだなされておらず、裏側への記入は他の3点と異なる、等の問題をはらんでいる[要出典]。47点すべてがコンスエロ遺品中に存在したのであれば、「3点を売却した」というフルクトゥオーソの言明と突き合わせると、「挿絵原画」であるか否かについては留保すべき点があり、「6点目の原画」であることが確認鑑定されたわけではない。この他にも、挿絵「バラを見つめるプリンス」に酷似した絵がニューヨークの古書店から売りに出されていることもあり、多数描いた習作のひとつであるか、本物の「挿絵原画」であるかは、軽々に論じられない事情がある[要出典]。



 通説は、主として翻訳を行った内藤濯の解釈に基づくものであり、長らく支配的な説であった[要出典]。しかし後述の異説が提示され、立場は揺らいでいる[要出典]。
 作品の冒頭「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」とあるように、この作品は、子供の心を忘れてしまった大人に向けたものである。王子が訪れた小惑星で出会うのは、いずれも愚かさを風刺化された大人たちであるし、子供の心を持ち続けようとする「ぼく」も、飛行機の修理に夢中になるあまりに、王子の話をぞんざいに聞いてしまったりする。また、別の場面に登場する、何をするにつけても急ぎ、どこに行くかもよく理解しないまま特急列車であちこちに移動したり、時間を節約することにあくせくして、節約した時間で何をするかを考えていなかったりという大人たちの姿も、作者による痛烈な批判である。
 キツネとの対話は、この作品の重要な場面である。あるものを他と違っていとしく思うことができるのはなぜなのか。自分の愛情の対象であった小惑星やバラへの自信を失って悩む王子に対して、キツネは「仲良くなる」とはどういうことかを通じて、友情、ひいては愛情(人間愛ではなく恋愛的な意味での愛情)についてを語ることになる。「大切なものは、目に見えない」という作品上の重要な台詞が登場するのもこの場面である。この台詞に基づく考えは後にも登場し、「砂漠が美しく見えるのは、そのどこかに井戸を隠しているから」、さらには「夜空が美しく見えるのは、そのどこかに王子が今もバラと暮らしているから」という考え方に繋がるのである。
 「星の王子さま」の最後のシーンでは、「ぼく」の最期ははっきりとは描かれていない。そして、作者のサン=テグジュペリ自身は、敵軍の偵察に向かうため飛行機で基地を飛び立ったまま消息を絶ち、二度と戻って来なかったのである。




 異説
 「星の王子さまはとてもファンタジーな本」という位置づけに対して、異説が主張されている。日本でその嚆矢となったのは、塚崎幹夫の「星の王子さまの世界〜読み方くらべへの招待」(中公新書)である。
 この説によると本書は、「ヨーロッパで戦争に巻き込まれて辛い思いをしている人々への勇気づけの書」であるとされている。この観点から読み解けば、エピソードの多くは具体的な背景を持つ。以下に3つほど例示する。
3本のバオバブの木を放置しておいたために破滅した星
ドイツ・イタリア・日本の枢軸側の3国に適切な対応をしなかったため、第二次世界大戦を引き起こした国際社会。
 自分の体面を保つために汲々としている王
このエピソードは、王が王子を大使に任命して終わっている。サン=テグジュペリ自身も、フランス国外に脱出したあと、フランス・ヴィシー政府(ドイツによるフランス攻撃でフランスが劣勢になった後に作られた「枢軸国寄り」と評されることも多い、妥協的な政府)から文化大使に任命されている。
501622731
 5億162万2731という妙に直截な数字は、第二次世界大戦を引き起こした国民の合計になる[要出典]。そのまえの数字の足し算は、第二次大戦に加担した人間が増えるさまを克明に記録している。その数字に対してわざわざ「私はこまかいんだ!(大久保訳)」という台詞を附しているのも、この戦争に巻き込んだ全ての国に対する憎悪があるといわれる。
 こういった理由から、本書については、「ファンタジーの衣をまとってはいるが、極めて政治的な告発のために執筆が試みられた可能性」を含む指摘がある。この説は、「ファンタジーである」とする説と両立するものであるようにも思われ、「ファンタジー説」を攻撃的に批判するような形態はとっていないようにも思える。しかし、ファンタジー派からはいまだ強い反感を抱かれている[要出典]。