玩具函(未完成)

 子供にとって玩具函は宝物の函で有った。大人にとってガラクタで有ってもで有る。昔の子供は玩具等滅多に買って貰えず、自分で工夫して作った玩具で手垢が付く程長く遊んだ物で有った。最近の子供は大きな玩具箱に入りきら無い程、玩具が有っても未だ足り無いのか、買って呉れと地団太踏んで駄々を捏ねる子供も多い。泣けば買って貰えると思い込んでしまうのか。げに恐ろしきは人の欲望の深さでも有る。泣かれると煩いのでつい買い与えてしまうのか、其の様な玩具は又直ぐに飽きて、別の物が欲しく成ってしまうので有る。玩具箱に入りきらず、仕舞うと言う事をしないので有る。部屋中玩具だらけでも満足と言う事を知ら無いので有る。
 昔の子供は一つしか無い玩具を長く遊んだので有る。積み木のペンキが摩滅して剥げる程に。玩具は自分でも作った物が多かったので有った。ナイフまで折れた金鋸の歯を研いで自分で作って居ったので有る 男の子の玩具函は何やら物騒な物も入って居た。其れらの鋭い刃物等の工具や運動会のピストル用の四角い火薬、ゴム銃(パチンコ)、糸巻に歯を刻み蝋燭を嵩み輪ゴムの動力の戦車、水中でも爆裂する花火、床に投げつけると大きな音を起てて炸裂する綺麗な色の銀紙に包まれた丸い火薬、鉛筆サックにセルロイドを入れた手製ロケット、烏の黒い羽、蛇の脱け殻、金らしき物を含んだ石英の石の欠片、虫の入った琥珀の石、絵の具の鉛のチューブを溶かして作った怪しげな文鎮、駒、ブリキの玩具、不思議な模様のビー球、松毬、銀杏や胡桃の種、御爺ちゃんの形見のパイプ、軸受のルビーの偸まれた父の懐中時計、古風な天眼鏡、紙に包まれた一分程の金色の仏像の御守、滅多に使わ無い兄の計算尺、使え無い古銭や、記念硬貨、鳳凰の百円硬貨、ベイ駒、アンモナイトの化石、年代物の遠眼鏡、セピア色の女の裸の写真、鉱石ラジオ、紐付きの方向磁石、変に太いピストン型万年筆、磨き過ぎて漆の剥げた昔の印籠、飲め無い酒を入れる小さい瓢箪に御猪口、樹脂で固めた竜の落とし子の土産物、鯨の梳歯の靴滑り、変な象牙の根付、不思議な昔の地図、フイルムの無い小さい小さい写真機、壜の中の帆船、自分で組み立てたオートバイのプラモデル、何故か製図用の精密コンパス、針金丈で作った自転車の玩具、ハンガリーの数学者の考えたルービックキューブ、錦の駒袋に入った安物の将棋の駒、ケースに入った黒揚羽蝶の標本、ヨーヨー、ベッタン(面子)、怖い顔の達磨の置物、神農の虎、竹蜻蛉、伏見人形の饅頭喰い、倒れ無いやじろべい、戻って来るブーメラン、運動会の紅白の鉢巻き、サイン入りの野球のボール、ジャイロの地球駒、海の音のする巻貝の貝殻、何故か擦る丈で回るプロペラ、擦ると銀メッキが出来る水銀軟膏、多面体の変なサイコロ、紐を通して遊んだ大きめの釦、昔懐かしい鉱石の標本セット、昔の火打石、何処かの南京錠の鍵、








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 女の子の玩具函は人形や縫い包みが多い、男の子とは大分違う様で有る。万華鏡や、紙で作った花嫁人形、御弾きや数珠玉を入れて作った御手玉、大事に日記に挟むんだ押し花や四葉の和蘭蓮華(クローバー)、海岸で拾った桜貝、紫水晶の飾り、御婆さんから貰った銀のブローチ、千代紙で居った折り紙、絵葉書や年賀状、茄子や南瓜の絵の描いた季節の葉書、川原で拾った石ころ、団栗、伊勢土産のからくり箱、曰く有りげな手紙、占いの本、小さい手鏡、不思議な外せ無い知恵の輪、姉に貰った口紅、読め無い外国語の絵本、外れの宝籤、占いに使えそうな翡翠の勾玉、袋に入った映画館のおまけの玉丈の白真珠、虹を写し出す水晶のプリズム、宝物の通知票や試験の点数表、母に降ろされてしまった子供貯金通帳、竹下夢二の絵の写真の切抜き、三分の砂時計、エリーゼの為にのオルゴール、人の運命を写すと言う怪しげな水晶玉、母から貰った帯止め、気に入った記事の新聞の切り抜き、昔の神様の御札、茶道で使う袱紗、鈴の付いた珍しい和鋏、新婦は椅子に座り新郎は立った儘のセピア色の昔の結婚式の写真、金糸銀糸で刺繍された手毬、不思議なロシアの人形、こけし、香水の染んだ扇子、携帯用の小さい算盤、感動した映画のリストの載った黄色い手帳、真珠の耳飾、貝殻の紅、千代紙の紙風船、貰ったプラド美術館の御土産の王女の模様の小銭入れ、美人が泪うを溜めた西洋の泪壷、珍しい香水の小瓶、何故か枇杷の種、母に貰った真珠のイヤリング、                                       








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 其んな子供の宝物の玩具函も或る日を境に見捨てられるので有る。大人への旅立ちで有る。精通が有ったり、初潮を迎えたショックで昨日迄の自分では居られ無い事を悟るので有る。やがて自分にも死が訪れる事を悟るの有る。今後確実に自分に訪れる運命、やがて自分も歳老いる事に対する恐怖を覚えるので有る。歳と共に死出の旅路に近付いても、子供の頃の様な恐怖を余り感じ無く成るのも不思議は話で有る。未来の事が判る事に因って、未来が変わってしまう恐怖を感じるので有る。子供の頃は有った特殊な霊感や超能力紛いも大人に成れば消え去ってしまうので有る。親は最早何も助けては呉れ無いので有る、親が何時迄も元気とは限ら無いので有る。自分で生きて行く術を自分で見つけ出さねば成ら無いので有る。
 しかし人生は悲惨でも有る。大人に成れずに病気や事故で亡くなる子供も居る、殺人鬼に殺される天女の様な無垢な心の少女すら居る。子供を失った親の悲しみは余人には測り知れ無い。悲痛の余り玩具函を二度と開け無い様に封印してしまう親も居る。亡く成った子供は何時まで経っても大きくは成ら無いので有る、親の心を死ぬ迄苛み続けるので有る。犯人に死刑が執行されても、最早殺された子供は戻っては来無いので有る。極刑以上の罰が無いのが歯痒い現世の世界で有る。
 玩具函をひっこり返した様なと言う言葉が有る。子供の様な自由奔放な発想は大人に成ると中々生まれて来無い、子供に自由奔放に絵を描かせるにが良い事と思い込んで居る図工の教師も多い。子供も子供で何を勘違いしてか無茶無茶しよるので有る。昔は子供は皆遊びの天才で有った。神童も二十歳を過ぎると唯の人に成ってしまう場合も多いが。最近は子供の頃に受験勉強に負われ思いっきり遊べ無かったサラリーマンは玩具に対する思いもひとしおなので有るので有ろう。子供の頃のブリキの玩具、鉄人28号等が30万円もの法外な高値を付けて御玩具店に飾られて居て、其れを平気で買って行く大人すら居る。我が子と一緒に成って玩具に夢中に成って遊ぶ大人さえ居る。昔も子供の遊びは技術が入ったので有る。駒を手の上に載せて回しての鬼ごっこ風の遊びも有る。不器用で其れが出来無くて指を銜えて見て居る丈の不甲斐無い子供時代を送った人も多い筈。勝ちを譲る心を忘れ「もう、家に遊びに来んといて」と言われた悲しい思いをした人も多い。
 童謡の中には、子供の歌とは思え無い、人生の深い哀愁を謳い上げた物も多い、普段は余り聞か無い歌の3番以降に其れが有ったりもします。嬉しい雛祭りや雨、夕焼け小焼け、花嫁人形、赤とんぼ、赤い靴と青い眼の人形、荒城の月、故郷、月の沙漠等毎年聞いても感慨深い童謡で有る。日本人の心の文化遺産でも有る。人柱や人身御供にされた娘の悲しみを歌った童謡すら有るので有る。人生に行き詰るったら童謡を聴いて心を癒しましょう。
 蒲公英には悲しい物語が、叶わぬ恋の悲しみを描いた絵本、童話、昔話も多い。人形姫の物語は西洋丈かと思って居たら日本にも有るので有る。小川未明の「赤い蝋燭と人魚」は特筆すべき作品で有る。絵本の中には子供丈で無く、子供に読んで聞かせる親が、読んで居る内に空で言える様に成り、大人にも語り掛けたい思いが込められて居るので有ろう。当地の方言で語り部によって語り継がれて来た昔話は聞いて耳に心好く格別で有る。不自然さが無い。外国語の童話で語学の勉強をする人も多い。日本語と英語は余りに違う外国語で有るが、ヨーロッパの隣国では外国語も方言の如くに似て居る。方言を話せる人は外国語が話せる様な物で有る。流暢に二ヶ国語を話す外国人に卑下する事は何も無い。
 最近、未だ子供なのに親や兄弟を殺し、自分の家に放火したりする悲惨な重犯罪が後を断た無い。何処か世の中が可笑しく成ってしまったので有ろうか。子供の無垢な心が狂い出したのか。最愛で有る筈の母親まで殺してしまう、子供の心に何が起こったので有ろうか。母親の足の上に載り、飛行機をしたり、自転車に載ったりして遊んで貰った事が無いので有ろうか。自分を産んで貰った恩は食事の用意をして貰った感謝のは何処へ行ってしまったので有ろうか。母乳を飲ま無かったので母親とは思うわ無かったので有ろうか。母親を攻撃せずと言う動物を支配する本能より強力な欲望とは一体何なんだろか、一生を棒に振って迄したかった事とは何で有ったので有ろうか。家猫は鋭い牙と鋭い爪を持ち乍、飼い主に散々玩具にされても決して飼い主を攻撃しない、飼い主を親と思って居るので有ろう。人間は猫にも劣るので有ろうか。年少者の重犯罪が続くと学校教育に問題有りと多くの人も思うが、其の心を悪用してか、教育基本法を改悪しよう、戦前の様な愛国心を育てようと言うので有る。憲法を改悪する為の布石でも有る。消費税率を又又引き上げる目論見も有る。アンケートでは福祉や教育にのみ消費税が使われるのなら消費税率の引き上げるのも已むを得ないと答えてしまう人が可也居る。右のポッケから出す御金は綺麗な御金で、左のポッケから出す御金は汚い御金だとでも言うので有ろうか。消費税制度を最初に導入された時に怒りの余り犯罪を犯し、前科が付いてしまい。散々後悔させられた人々は、今は何と感じて居るので有ろうか。悪賢い政治家は旨い事を考え出す物で有る、消費税込みの価格票を付けさせた御蔭で文句を言う人も少なく成った、御金を取られて居る事には代わりは無いのに、皆騙されて居るので有る。此の罰当たりめらが!
 死ぬる時に、楽しい思い出丈が走馬灯の様に頭の中を過ぎる事を夢見て、日々精進に勤めましょう。

 人の人生は死ぬる迄未完成で有る。死んでから初めて評価されるので有る。死んでしまっては本人には判ら無いのに、世間は非情でも有る。






            2006−07−09−143−00−OSAKA



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