型団子
 血生臭い事件、聞きたく無い事件が世間に溢れかえっています。たまの休みの日には家族みんなで団子でも作って憂さでも晴らしましょう。きっと話が弾みますよ。
 平たく延ばすて餡を包むだけの団子なら素人でも簡単に作れそうです。でも其れだけでは、余り見てくれが良く有りません。そこで登場するのが型板です。水で濡らした型板に平たく延ばした団子を押し付け型を取って、餡を包めば出来上がりです。簡単です 春には蓬を利用しての、色違いも楽しめます。型板さえ有れば、ただの団子が売り物にも成りそうな、品の有るものに出来上がります。親戚や、友人が集まるときに出されたら、きっと喜ばれる事うけあいです。
 其の余りに便利な型板ではありますが、其の辺の荒物屋でも売っていそうで売って無いのが現実でしょう。売っていなかったら自分で作れば良いのです。スベスベした板を選びましょう。学校の工作の教材にも利用出来そうです。市販の小さな版木でも、代用出来そうです。版画と違うのは、彫った部分が出っ張ります。問題はデザインです。花を模すのも良し、家紋を真似るも良し、簡単な幾何学的模様でも良し。一度作ってしまえば、子や孫の代まで使えますよ。
 型に填まった画一的な教育は良く無いと言う反省から、ゆとり在る教育なる物が行われて来ました。しかし、其の事が学力の低下につなっがてしまし、ゆとり在る教育を見直そう言う動きが在ります。昔ながらの画一的な詰め込み教育、スパルタ教育の方が学力の向上につながるとしたら、余りに皮肉な結果です。
 企業にとっては画一的に作業手順書どうりに作業をする労働者の方が有り難いのだろうが、画一的な詰め込み教育の中からは、優れた芸術家は生まれて来無い。型団子は手で作った団子より見てくれは良いが、皆同じで有る。人は見かけは同じ様に見えても、様々な人生が在りりしも、人は心の中まで見えない。試験の結果で人を選別する、現代の社会に学生が愕然としても、別の道が開いて居る分けでは無い。
 政治家は学生の学力の低下、年少者の犯罪の増加を理由に教育基本法を改訂しょうと言う目論見を持っています。政治家の思いどうりに動く、国民を作るのが狙いです。教育は百年の計を持って行われるべき物で、一時期の政治家の気まぐれでひょこひょこと変わるべき物で在っては成ら無い。教育の場を実験の場にしては成ら無い。
 かって、国の為なら命を捨てる様な、国民を作る為に教育が利用された経緯が在ります憲法第9条の改訂、日の丸掲揚、国歌斉唱、それをしなっか事が罪に成る様な、時代の異常性も其の時代の人には、なかなかわからない、時代が流れてから出しか分から無いなが悲しい事である。

            
牡丹餅と御萩  
 同じ物が季節によってよみ名が変わる物に、牡丹餅が在る。春は牡丹餅、秋は御萩に成る。再放送の多いテレビ放送では、季節との整合性も無く、おかしな事に成っている。
 昔ならともかく現代においては季節によって優雅に使い分ける風流は理解出来ない。 それよりも濾餡と潰餡の違いの方が、現状に合っているようにも思えるのは私だけだろうか。漉餡を牡丹餅、潰餡を御萩にすればよさそうにも思えますが。
 言葉が時代時代によってひょこひょこ変わるのは世の常であるが。辞書に載って在る言葉を、まったく別の使い方をして。平然と使う人も多い。差別用語等、使っていけ無い言葉も多いし。若者は良いが、年いった者はついて行けない。新聞等では言葉が変わり方の速さには驚くべきものが在る、さすがである。

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