茄子料理の後で

 茄子は生では美味しく有りません。煮ても出汁次第で素人が作ると其れ程美味しくは作れません。素人でも美味しく成るのは、焼き茄子や茄子の漬物位で有る。生では美味しく無いのに、焼くと美味しく成る物は多い、薩摩芋や栗も同様で甘みも増すので有る。火の魔術で有る。生では難くて食べれ無い物も、焼くと軟らかく成り食べられたりする。古代人も如何に火の恩恵を受けて来たかが判る。火の使用に依って人の進化が加速したので有る。茄子は皮が硬く、煮る場合には障害と成る。皮を剝いてしまっては潰れてしまう。半分丈剝くのが妥当か。一旦焼茄子にして皮を剝いてから料理に使う手も有る。
 茄子料理をインターネットの検索サイト御で検索すると其のレシピの多さに吃驚します。たかが茄子では有るが、奥が深いので有る。茄子料理のコンテストすら有る。想像も付かぬ料理方を思い付き賞を取った人も居ます。しかし、料理方法は数多有れど、最もシンプルな焼き茄子が一番で有る。醤油と土生姜が有れば日本人に生まれて好かったと思う一時でも有る。茄子も黒い皮を剝かれ丸裸にされて何やら恥ずかしいそうでも有る。シンプルなエロティズムの世界で有る。セピア色した昔のヌード写真の如くで有る。技巧に走り過ぎる、愚かが有る。
 茄子には僅かでは有るが毒が有るので有る、秋茄子は種が無く美味しいが食べ過ぎには注意が必要で有る。体を冷やし、子宝に恵まれ無く成る可能性も有る。秋茄子日は嫁に喰わすなの諺も有る。秋茄子は種が無く美味で有る為、別の意味にも取られる事も有る。嫁は鼠の事だとする説すら有る。
 ナスとトマトは親戚の様で有るが余りの違いで有る。実の色も違うし、形も違う、味も食感も違うし、葉の形も丸で違う。トマトの事を赤ナスと言う位で有るから間違いでは無いので有ろうが。
 茄子には大きな蔕が在ります、大事な子孫の為に確りと繋ぎ留める為で有る。結実率が高く万に一つも無駄が無いので有る。子孫繁栄で目出度い初夢の三番目に登場する縁起の良い野菜でも有る。一富士、二鷹、三茄子で有る。
 かって、九代目林家正蔵師匠が当時林家こぶ平がと旅先の工房で茄子の絵を手拭に描かれたのを見た事が有る。其の謙虚さに好感を抱いたもので有った。芸の道は厳しく四天王の一人と言われても、驕りが有っては民衆に嫌われる。謙虚さこそ大事で有る。時には如何に師匠でもへたも有るので有る。
 文豪も趣味で色紙に野菜の絵を描き一言添えるたりもする。南瓜や胡瓜、茄子は格好の被写体でも有る武者小路実篤先生の野菜画は余りに有名。野菜の中に人生の素朴を訴えたいのか。茄子色と言えば紫で有る。紫は昔から高貴な位の人しか身に着けられ無かった、高貴な色でも有る。又絵の具の中には劇薬のもの迄昔は有ったので有る。高価でも有ったので有る。
 外国の市場をぶらぶら覘き見すると、茄子やトマト、胡瓜や南瓜に出会うと懐かしいく成るが世界は広く、野菜の形も様々で有る事に気が付く。茄子も紫色とは限ら無いので有る。色の付か無い茄子も有る。英語でeggplantと言う事から白い茄子も有るので有ろう。白い茄子等何やら興醒めでも有るが。しかし味はそんなに変わら無いのも摩訶不思議でも有る。未だに人種差別が存在する愚かが有る。スペインのテレビではアフリカのニュースも結構多いが日本では皆無に近い。かってNHKでアマゾンの裸族のドキュメントをモザイク無しで放映した事が有ったが何の批判も受け無かった。黄色人種で日本人に顔形が似て居ても。現代文明に驕る日本人の心の奥底に原住民に対する人種差別が有るので有ろう。白人の金髪女性で有ったら大変な非難が有った筈。
 市場に有る数多の野菜には色んな薬効が有り、食べると病気に成ら無いそうな。薬効の書いた書籍すら有る。如何に優れて薬効があっても其の野菜ばかりを食べるのは養生上良く無い。食い合わせは発生せずとも、時には色んな野菜を摂る事で相乗効果が現れ期待した以上の効果が出る場合も有る。茄子は体を冷やすが土生姜は体を温める作用が有る。焼き茄子を生姜醤油で頂くのは理に適って居るので有る。昔から様々の組み合わせ料理が考え出されて来た。茄子は淡白な味で色んな食材に合いそうで有る。不本意な家風にも染まろうとする健気な花嫁の如くでも有る。角隠しに白無垢の花嫁衣裳を着せたがる男の思いが有る。色んな仕事の熟せる人は人から重宝がられ色んな仕事を言い付けられたりもします。給料は五十五歳に成って下がってもで有る。悠長な事を為て居ては日が暮れてしまうので有る。
 味有る人生を送る為にも信念を持ちましょう。世の中には結婚も出来ずに老後を迎えてしまう人も居ます。断られ恥を懼れて勇気を出せ無ったあかんたれの顛末でも有る。しかし、欲情を抑えきれずに破廉恥な行為をし世間に恥を曝す人も多い。犯罪者に成ら無かった事を善しとせざるを得ないえ有ろう。
 日本では事件が起こる度に青い養生シートで囲われてしまい、密かに処理されてしまい、人は何も知らされ無い儘に人生が終わって往くので有る。真昼の星の様に、見え無い物は無い物と思ってしまうので有る。昼間も星は輝いて居るので有る。死者を辱めずの思いやりか、遺体はニュースには出ません、血の海も映しません。其れなのに男に連れ回された哀れな被害女性の写真を載せたりするので有る。犯人の顔はモザイクで隠し警察官の顔は全国に知れ渡る事に成る。どちらが犯人か判ら無い。見え無いもの、政治家の二枚舌、教師の大嘘を見抜く眼力を養う必要が有る。考えて考えて考え抜く執念が必要でも有る。
 なすびの様なホームページの名を付ける人も少ないと思ってホームページを開設したら余りのサイトの多さに唖然としてしまった。人の思いの不可思議を実感した。千里の道も一歩からで有る。200メガバイト容量を言葉で埋めるは至難の業で有る。へたも有るのも当然でも有る。至宝の如き言葉で埋め尽くしたい物で有る。
 料理は茄子料理を始め不思議な世界でも有る。一生懸命時間を掛けて作っても食べてしまうと消えてしまうので有る。身体の血と成り、肉と成って、幸せな満腹感を得ても飢餓地獄を味わった事の無い肥満児には母親への恩は薄れがちで有る。母親殺しの重罪を犯してしまう子すら居る。昔の様に大勢の子を育てた上げた母の苦労は計り知れな無いのにで有る。戦時中の食糧難の時には自分は食べた振りして子達に食事をさせた母も多かった筈。
 京都には昔からの行事や慣習、迷信も多い、行事に依って頂く料理が決まって居たりもする、何の料理を作ろうか迷わなくても良いのは先祖の知恵で有ろうか。豊富に出回る旬の物を頂くのが経済的で身体の為に成る、高価な初物は贅沢な話でも有る。
 小学校の時は給食が有り、栄養士が色々献立を考えて呉れたが、中学に成ってアルマイトの弁当を持って学校に行ったので有る。おかずが無い時は自分で卵焼きばっかり持って行ったもので有る。醤油丈の卵焼き。貧乏人には辛い話で有る。裏が養鶏所の小屋が有り。卵は安く分けて貰って居ったので有る。二つ玉の卵に出会うと得をした様な気持ちに成った。
 畑を持ち、茄子やトマトや胡瓜や真桑瓜や南京の収穫の喜びを味わえる人は幸せ者で有る。大自然の恩恵を感じる時でも有る。スーパーで売って居るのとは違う、新鮮さが有る。生命の息吹が有る。土の匂いでも有る。曲がっては売り物に成らぬと農家の嘆き、苦労が判る時でも有る。農薬を撒かねば虫も喰うので有る。
 採った茄子も食べてしまえば其れ迄で有るが絵に画いて置けば永遠の生命が宿る、親子代々に受け継がれる。偶には絵心の目覚める、心のゆとりが欲しいもので有る。





          2006−12−16−190−02−01−OSAKA



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