白鳥の歌

 子供達の楽しみでも有る、遊園地で凄惨な事故が起きた。エキスポランドでのジェットコースターの脱線事故で有る。大きな事故が起きる度に政府は緊急点検の支持を出し、何もし無い謗りを回避する為でも有る。事故が起きてから色々と問題が出て来るので有る。点検マニュアルが有っても、マニュアル通りに点検が実施されて居なかったり、点検の対象に成って居なかったりで有る。一度も車軸の交換をして居なかったりで有る。安全第一が等閑に成って居るのでは無いかと指摘されても弁解も出来無い。以前にも大きな事故は有ったので有る。エレベーター事故や、回転ドアや列車の脱線事故や飛行機の墜落事故や原子力発電所での事故等々で有る。其の度に社長が記者会見して記者達に頭を下げて居る写真がニュースにも成るが、記者に頭を下げる事が遺族に謝った事に成るので有ろうか。人の上に立つ人の真の心が問われる時でも有る。人に指図をする立場の人の判断には其れ成りの重みが有る。最愛の家族を失った遺族の悲しみは生涯癒える事は無いで有ろう。
 鶏が伝染病で多数死んだりします、行政の指示の下に残りの鶏も生きた儘袋に詰められ穴に掘り込んで生き埋めでも有る。心の痛むニュースでも有る。山から里に降りてきた熊は罠で捕らえて、人の住んで居る山奥に放すので有る。処理すると動物保護団体からの抗議を嫌がっての事でも有る。人に危害を加えた熊だけ処理される、射殺と言う言葉は最近使わ無い、処理されるので有る。山から下りて来て悪さをするのは熊丈では無い、猿は犬よりも知恵が有る丈に人家に上がり込み座敷で遣りたい放題の悪さで有る。猿の間引き処理を行政に求める住民集会では他所から来た関係の無い住民以外の人が猿が可愛そうと文句百垂れ言って帰るので有る。外国では鯨が可愛そうと日本の捕鯨が矢面に成る。
 西洋の伝説では最愛の伴侶を殺された白鳥は悲しみの余り餌も摂らず痩せ細り、悲しみに啼くらしい、人には悲しい歌を歌って居る様に聞こえるらしい。動物には悲しみの心等無いと思って居る人も居るが、家猫が自分が産んだ子の一匹でも居無く成ると、悲しそうに啼き、探し廻る。猫の子を他所の家にあげる場合は巣から連れ出す時に猫に良く見せて納得させてから連れ出しましょう。納得すれば探し廻る事はしません。母性本能の成せる業でも有る。
 外国で減り行くカモに餌を与えて居た心優しい住民が、今ではカモが増えすぎ餌を与えるのを禁止する法令が出来て、今度は餌を遣る人は犯罪者扱いで有る。日本でも公園に鳩に餌を与え無い様にと注意書きが目に付く場合も有る。日本でも心優しい老人が犯罪者扱いでも有る。以前に避妊薬を入れた餌を撒いたとして捕まった人さえ居ます、増えすぎると平和のシンボルの鳩迄が厄介者にされるので有る。雀すら最近は近付いても余り逃げ無い、餌付けをすれば、近付いて来そうでも有る。街中では空気銃で撃たれる事も無い為でも有る。烏はゴミ袋を啄ばみ、ゴミを撒き散らすし、人が近付いても中々逃げ無い。鉄塔を古木と間違えて巣を作ったりで有る。樹の枝の変わりに針金のハンガーを集めたりもする、短絡事故に繋がる危険も有る。繁殖期以外は人を攻撃する事も無いので余り大した問題には成ら無いが。
 人と猫との関係は殊更特別で有る、初めての来客の御客の膝の上に平気で載って昼寝をするは、座敷で新聞を読んで居ると背中の上に乗るは、雪夜の晩には人の寝床に入りたがる始末で有る。冷たい板の間では歩いて居る人の足の上に迄載りたがる。夏には蚊帳の中にも入りたがる事から、単に人を湯たんぽ代わりにして居るのでは無い事が判る。枕元で御産をした猫が子を銜えて人の寝床の中に入れようとした経緯が有る。人の寝床が一番安心の場所で有ったので有る。御産をし喜びに咽喉をゴロゴロ鳴らし、嬉涙を流す猫を見るに、巷に溢れるアダルトビデオの愚かに此の世の間違いを教えられて居るか如くで有る。数多の家畜の中で唯一猫丈が昔から座敷の上を土足で歩く事を許されて居たので有る。餌を余り与えると大事の種籾も喰らう憎い鼠を捕ら無いので、催促される迄与える事が無い。一緒に暮らし乍、自由奔放が許されても、餌丈が貰え無い此の不可思議な関係。脚に纏わり着き甘える事を学んだ猫。玄関の障子の戸を開けて呉れと奥の部屋迄催促に来た猫も居た。人に近付けば背中を撫でられるのは最初から判って居るのにで有る。呼んでも遣って来無いのに、呼ばぬのに猫の方から近づ居て来る事も有る。カルメンの一節にも出て来る。身体を触られる位は我慢の出来無い程の事では無いので有ろう。二階からも飛び降りれる猫にとって人等恐れるに値する敵では無いので有ろう。
 天女の様な吾が子を事故や殺人鬼、強姦魔、鬼畜に辱めを受け、殺された遺族の思いは幾許か。罪は償われても吾が子は最早帰って来無いので有る。
 恐怖と快感は裏返しでも有る。恐怖っを克服した時に快感だ発生する。自転車を初めって乗った時の恐怖と乗れる様に成った時の満足感。緊張と緩和の世界でも有る。遊園地の遊戯施設は恐怖を伴うが懲りずに又乗りたく成るものなので有る。人の噂も75日、其の内又多くの人がジェットコースターに載って喚起の叫ぶを上げる事で有ろう。
 緊張すると不思議と便所に行きたく成ったりします、怖ろしい時に心臓がドキドキし手に汗を握るのは天敵から全力疾走して逃げる為の準備の為でも有る。試験や試合の前に、胸がドキドキするのも同様で有る。動物は通常では能力の限界迄は力を出さ無い、骨が折れたり、筋肉離れや腱が切れるのを防ぐ抑制機能が働く為でも有る。命に係わる大事の怖ろしい時には其の抑制が外れる、身体より命が大事で有る為でも有る。時に自分の能力を超えた力が出る。火事場の何苦楚の糞力は余りに有名でも有る。持ち出せた長持が持ち上がら無いので有る。排尿を我慢して辛い思いの後の一気の排尿は、快感を伴う、たかが小便がで有る。世の中の万事、其れで有る。叶わぬ恋の末の夫婦なら想いも一入の筈、一生結婚も出来ぬ人も居るが。日頃の苦労、努力、精進が有ってこその人生の深い喜びも有る。
 人生の悲しみの一つに最愛の伴侶を失う事で有る。親も何時まで生きて居る訳だは無い。やがて自分も順番が遣って来る。夢で死ぬる夢を見るのは死出の旅の予行演習でも有る。
 犬や猫にも喜びや悲しみが有るので有る。育てあぐねて保険所に処理を求める事例の余りの多さを嘆く人も居る。処理される犬や猫の悲しいい表情を写真に撮る人も居るが、犬は殺されるとは知ら無い筈で有るのに何を撮ろうとして居るので有ろうか。故郷の歌で歌われて居る楽しいうさぎ狩りの思い出も有る。狩りが娯楽にも成る不思議な想い出で有る。教育の場でで有る、耐寒訓練でも有ったので有ろうが。実際には兎を殺して食べたりはしない、豚汁が兎汁の代用と成る。人に屠殺され食べれる牛や豚の事を思うと複雑な気持ちには成るが。植物とて同様で有る。人は数多の生物の犠牲の上で生活して居るので有る。感謝をすべきなので有る。









          2007−05−14−227−01−01−OSAKA



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