剪定と廃盤と朝な夕なに

 植栽の剪定は春の芽吹きの前にするのが鉄則でも有る。秋口が多い。春に芽吹き初夏を目前にした今の時期に、目が痛い程の鮮やかに若葉の緑に茂って居る樹の枝を無残に切り落としてしまうのは余りに酷い事で有る。園芸のプロがする事だから其れで良いのかも知れぬが。僅かに残された枝から又若葉を芽吹かせねば成ら無い。今迄の芽吹きが無駄とあい成った。秋に無残に剪定され桜の樹も有った。余りに大胆に剪定された樹は春に花を咲かせる事が出来無かったので有る。花も咲か無い程に剪定する必要が有ったのか。学校の校庭内の桜の樹がで有る。人の心の酷さを感じる時でも有る。敷地から枝が少しでも出たら文句百垂れ言う人でも居るので有ろう。動物を虐待したらしたと文句百垂れ言う人も多いが、物言わぬ木々の事文句を言う人も居無い。
 夏の激しい直射日光を防いで、涼しさを提供して呉れる街路樹も、大きく成り過ぎたら厄介物で有る。秋に落とす落葉の掃除も大変と成る。台風で倒れると道路を塞いでしまう。移植するにも可也の費用が掛かる。結局は無残に切り倒され運命で有る。
 役立たずの枝は無残に切り落とされるのが世の倣い。年金がドンドン減らされ、福祉の援助が次第に減らされてきて居るのが現状でも有る。やがて死んで行く者、老人等に予算を使いたく無いので有ろう。口では善い事を言って置き乍、数字が少しずつ減らされて来て居るのが現状でも有る。
 ビデオ化され無かった、昔の映画は多い、もう一度観たくても観れ無いので有る。VHSでビデオ化された映画も既に廃盤や在庫切れも多い。中古VHSビデオも骨董化し始めてか、可也の高い値段が付いて居る物すら有る。VHSは巻き戻しの手間が掛かるし磁気の劣化も有る。VHSからDVDへレンタルビデオ店では進んで居る。レンタルビデオからの処分品のVHSが中古市場に流出して居て。思わぬ掘り出し物も見付かるかも。DVD化され無かった、VHSの映画も多い丈に、VHSの需要も今だに根強いものが有る。2011年にアナログTV放送が終焉を迎える。アナログ時代のVHSデッキ其の物も消え行く運命でも有る。
 其のDVD化された物も既に廃盤に成った物も有る。有名な映画、芸術的な映画が何時迄も有ると思うのも間違いで有る。売れ無い物は切り捨てられる運命でも有る。そんな廃盤で手に入り難い作品に限ってパソコン上で無料で映像を提供して居る番組も有る。勿論コマーシャルが入ります。NTTが提供して居る。フレッツ・スクウェアのGYAOも其の一つで有る。バベットの晩餐会もその様な映画で有る。粥に振る塩にも事欠く様な質素な敬虔な信仰の世界の話で有る。牧師の二人の美しい娘に憧れ、多くの若者が教会に集い、失意の内に去って行た。そんな中で二人の外国人も娘に恋心を抱き乍も叶わ無かったので有った、一人は軍事で一人は音楽家で有った。仏教徒の多い日本では珍しいくキリスト教の宗教観が解ります、美しい賛美歌も聴けます。最後に家政婦のバベットがフランス式の最高級の晩餐会を催します。禁欲的な敬虔な信者と贅沢の限りの晩餐会の一時の至福の世界。宗教的、人道的、ヒューマンな映画も廃盤で有る。
 古き良き時代の典型の映画でも有る。昔、朝な夕なにと言うドイツ映画が有った。美しい新任の女性の理科の教師に憬れる生徒達の話で、葬送曲にジャズを演じたり、最後に憎まれ役の校長と結ばれてしまうと言う可笑しな映画で有った。可笑しな映画は他にも有った。我が家の宝物も其の一つで有る。アメリカバージョンとロシアバージョンの二つを合体させた映画で有る。監督も別人なら主演女優も別人で有る、当然作風も別の映画の様に違う。物語は戦争が勃発し井戸に沈めた、トルストイの戦争と平和の分厚い書籍の間に隠した家宝の玉子型の至宝を探し求める物語で有る。コメディータッチの恋愛映画でも有る。今と成っては探すのも難しいが。魚が出て来た日と言うコメディーも有った。飛行機事故で積んで居た核兵器を探す物語で有る。コメディータッチで描き乍怖ろしい事が進行して行くので有る。制服の処女も女教師と女生徒の師弟愛を描いた可笑しな映画でも有った。ヴィルナ・リージ主演の巷の恋に至っては映画専用の検索サイトでも見付から無い。最近魔人ドラキュラのスペイン語バージョンは発売されて居て誰でも購入出来る。昔の名作のリメーク作品も多い、キングコングも何度も作られて居る。駅馬車も似たような物も作られたが、名作のシャレードもリメイク版が作られた。最初の映画より出来が良いと感じる作品に出会ったとしたら其れは真凄い事で有る。御金を掛けたら良い物が出来る訳では無い事の典型でも有る。 しかし、此処で言う朝な夕なには映画の事では無い。朝な夕なに思う感謝の気持ちの事で有る。最近年少者の鬼畜の如き重犯罪が多発して居るのを見て、感謝の気持ちの欠落を上げる人も多い。恩有る母親を殺す子迄居るので有る。朝日や夕日を見て、信仰心に駆られる人も多い筈、仏教徒の多い日本では特に先祖を祀る事は日々の大事。朝な夕な仏壇に灯明を上げ拝んだりもします。歴史上実存の人物も神として祀られたりもします。菅原道真公も其の一人で有る。日頃宗教心の無い学生も試験の前には御参りしたりもする。キリスト教徒でも無いのにクリスマスを祝ったり。バレンタインデーにも関心を払います。
 昔から小学校の給食の時間に何の疑問も感じずに、いただきますと言って食事をして居ったが、最近では給食代は払って居るのに頂きますと言わせるのは可笑しいと、屁理屈を捏ねるて文句を言う父母まで居るらしい。頂きますは感謝の気持ちで有る。先生から頂く事の事を言って居るのでは無いでは。人が何気無く食す食材の多くが生物の犠牲の上に成り立って居るので有る。大海原を自由奔放に泳いで居た魚が、食卓の上に上るので有る。鶏や豚や牛も殺さ無いと食べられ無いので有る。動物丈では無い、稲や麦や蕎麦、なんば黍に豆や胡麻、大根に人参、馬鈴薯や玉葱、昆布や椎茸此れ全て生き物の犠牲で有る。
 神仏に捧げる御灯明も家を焼いたり、人を焼き殺す凶器にも成る。文明の利器は暗がりを燈す明かりにも成れば人を殺す凶器にも成るので有る。聖火や御神燈は同じ火でも特別で有る。消えた時が大変でも有る。消えた時の予備のカンテラがチャント有るので有る。心配する程の事でも無いので有る。しかし千年灯明を守り続けるのは大変で有る。人は火の使用により暖を取たり、焼いたり炊いたりで今迄硬くて食べられ無かった食材が食べれれる様にも成った。芋類も生では不味いが焼くと美味しく成るので有る。其の恩恵は計り知れ無い。以前にバケツでウラン溶液を処理して臨界事故を起こし、世界中を震撼させた事件が有った、核反応が起きたので有るが。タンクの溶液の中で核が火が付いたので有る。今だに核兵器の廃絶は進んで居無い。システムの誤作動での偶発戦争の危険も孕んで居る。蛍光灯の冷たい感じを嫌がり、アンティークな白熱球の温かい光に引かれる人も多いが、倒れて火災の事故も多い。電気代をケチり蝋燭生活をして我が家を焼いてしまった人も居る。
 有難うとは不思議な言葉で有る。大きにと言う言葉も有る。毎日使うと有り難味も薄れるのも事実で有る。親への感謝、尊敬は儒教の教えでも有るり、道徳や倫理の規範でも有る。親に感謝せぬ子が社会に感謝する筈も無い。戦前の教育方針でも有る。行き過ぎた戦後の自由を履き違えた勝手気儘が犯罪の温床でも有るが、戦前の教育方針は教育勅語の世界でも有る。日本の社会が戦争にっ向かうのを止められ無かった曰くも有る。其の戦前の教育方針に戻す、教育基本法の改悪も政治家は目論んで居る。日本の為、命を捧げる若者を育てるのが狙いでも有る。海外での人道的支援で多くの若者が命を落とせば、富国強兵も儘成らず、徴兵制を言い出す政治家まで既に居る。国家権力で無理矢理参加させるのは徴兵制丈では無い。言葉では尤もらしい事を言うが、選ばれた如何しょう、と慄かせせる国家権力の暴挙でも有る。資格試験を設けて合格者の中から選べば何の問題も無い物を。多くの国民は自分は選ばれ無いものと思ってか暢気で居るがもうじき始まるので有る。選ばれれば余程の理由が無い限り断れ無い、あの曰く付きの裁判員制度の事で有る。嫌々参加させられた人にとっては、容疑者(犯人の事)への特別な感情も起きるで有ろうし。早く終わって欲しいものと焦りも出る。米国の陪審員制度の猿真似か、真に良い制度か疑問も有る。弁護士は事件とは関係の無い自己満足的な自分主義の死刑廃止論等を熱弁して裁判を矢鱈長引かせる。現行犯逮捕された死刑を求刑された容疑者(犯人の事)迄無期懲役では無く平然と恥じらいも感じず抜け抜けと無罪を主張したりもする。少数政党の真面目な主張もマスコミは無視で有る。日本国憲法も其の内改悪されるで有ろうし。徴兵制の話も出て来るで有ろう。自衛隊が軍隊と成り海外へ自由に国際支援が出来る。軍が動けば侵略で有る。日本が戦争に巻き込まれる可能性も出て来る。何やら戦争への足音が聞こえて来そうでも有る。
 座敷で昼寝をすると猫が遣って来て御腹の上に載りたがって片足丈載せて啼く、新聞を大きく広げて読んで居る時は背中の上に勝手に載ったりもする。背中に迄手が届か無いのを知ってう居るので有る。雪夜の晩は寝床に入りたがって枕元で啼く、夏の夜の蚊帳の中にも入りたがる。冬の冷たい板の間では歩いて居る人の足の上にも載りたがる。美味しい餌を食べて居る時だけ頭を撫でると文句を垂れる。猫も味が判るので有る。猫は人に飼われて居るとは思って居ません。自由奔放で居てこそ鼠も捕れるので有る。座敷隅に鼠の頭と尻尾が残って居て唖然とした人も居る筈、猫の仕業でも有る。人は猫に大事な種籾を喰らう鼠から籾を護って来たが、猫への感謝は餌を遣ると鼠を捕ら無く成るので自由奔放丈で有る。座敷の上を土足で歩く事を許されて唯一の家畜は神の如くでも有る。虐めると祟られると思って悪さをする人は一人も居なかったので有る。猫は人と添い寝を許され、一体何の夢を見て居るので有ろうか。微分方程式を解き、宇宙論を論じる人の夢で有ろうか、美味しそうな鼠の夢で有ろうか。原爆が再び落ちれば猫も人も同じに死ぬので有る。戦争で殺された動物の事等誰も最早口にしない。






          2007−05−26−230−01−01−OSAKA



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