へんにし子

 昔、昔、其れは、其れは中睦まじい夫婦が居ったそうな。妻の夏枝は誰もが羨む美人で信仰心の厚い、心優しき女性で有ったが、何故かやや子が出来無んだ。やや子が出来ます様にと近くの天神宮に良く御参りをして居った。或る日も御参りを済ませての帰り道。小用を催した夏枝は事も有ろうに、或る大きな椿の樹の下で気持ち良さそうに小用を足し終えた時。
「こんな処でししして恥ずかしくは無いのんか」変な娘がまるで猿の様にスルスルと樹から下りて来た。恥ずかしい処を見られてしまったので有る。
「なあ、あんたの噂は聞いて居るえ、そんなにやや子が欲しいのやったら、うちがあんたの里子に成ってあげよか」「そうか」夏枝は娘を娘の家に連て帰り母者に訳を問うた。母者の申すには口減らしの為に奉公に出したいとの事。強欲な母者は娘を売っても良いと迄言い出す始末。良ければ月極で雇って欲しいとの事で有った。此れも何かの縁、天神様の御引き合わせと思うてか。情が移ったか娘を雇う事に成った。人身売買は天下の御法度では有るが、当の娘はその事は知ってか知らずか、野を駆け廻り、樹に登り、草の上を転げ周り、遊び呆けて居った。辛い夜鍋をさせられず済んだので有る。娘は御喋りで減らず口を叩き口のしまりは殊更悪く、しかし締まりの悪いのは上の口丈では無かった。夏枝は強欲な母に高額の給金を支払って、口煩い役立たずの娘の尿垂れの始末までさせられて居ったのので有る。季節が廻り。

「華絵、何時まで御手水に入ってるねんや、わてもしたい」夏枝は仕方無く朝顔で小用を足して居ると。「お母はん、うち下血してんねん、此の儘では貧血で死んでしまう」「何やて」華絵はもう既に初潮を迎える年頃に成って居ったので有る。女に成ったので有る。やや子が産めるので有る。
「ほう、珍しい赤飯なっか炊いて、何か祝い事か」と相変わらず暢気な父の善三。

「お母はん、うち五郎ちゃんにおしっこ引っ掛けてしもうた、償いの為に夫婦に成ってあげるべきやろかどないしょう」「何と言うはしたない事を」五郎は遠縁の親戚の子で時々遊びに来て居ったので有る。ふざけて遊び呆けると華絵は見境が吐か無く成るので有った。心の広い五郎は何されても別段叱ら無かったので有る。親戚を良い事に遣りたい放題の事をして居ったので有る。

 或る蒸し暑い梅雨時の午後、珍しく父が早く帰って来た。
「嫌な雨じゃ」
「あなたは雨が御嫌いですか、雨は此の世の塵、芥を洗い清めて呉れます、ほれ見なされ木々の緑が彼のように鮮やかに」暫く雨だれ音を聴いて居った父が「夏枝」「いけません、もう直娘が帰って来ます」間の悪い事に真昼間にして居る最中に娘が帰って来てしまい、二人の睦事を見られてしまったので有る。

 夫婦に出来ぬ筈のやや子が出来たので有る。へんにし子で有る。夏枝の御腹が大きく成って来て。今まで遊び呆けて居たさすがの娘も、御三度の手伝いをする様に成った。母子の如くに。

 やがて、やや子が産まれた、元気な男の子で有った。太郎と名付けた。

 或る日の事、子守をして居った華絵はやや子が御乳を欲しがって憤るので、自分の御乳を飲まそう胸を肌蹴て乳首を吸わせて居ると夏枝が帰って来て。
「何をして居る、そなたは未だ子を産んだ事の無い、処女では無いか、御乳等出る訳が無かろう」
「お乳を飲まして居る、若い娘を見た事有るえ」「自分の子なら御乳も出るがな」「自分の子か」
「うちもやや子が欲しい」「あんたは未だ子供でないか」

 やがて季節が廻り、時が流れ、華絵は自分の存在感が次第に薄れて来るのを感じて居った。自分が給金で雇われて居ると言う噂も聞いてしょげたりりもした。時々遊びに来る親戚の子の五郎には初恋を感じて居った。二人は学校の勉強もソコソコに、五郎も山の様に大きい雄牛の背に華絵を乗せ得意げに成って、遊び呆けて居った。或る日の事五郎の家の座敷で。
「五郎ちゃんは猫が好きなんか、猫を飼ったりして」擦り切れた座布団で昼寝をして居った猫がむっくりと起き出し、欠伸をし伸びをした。
「其の猫は家の猫では無か、隣の家の泥棒猫じゃ」「うちと同じに厚かましいわね」
「其れはそうと、もうじき夏休みやわね、楽しみやね、思いっきり遊ぶべるえ。一度大川を泳いで渡って見たいが、うち横泳ぎしか出来へんし、もう少し練習を積まんとな」
華絵はふざけて畳みの上で水練の練習をして居ったら、五郎が行き成り身体の上に乗って来て、華絵は思わず溺れそうに成った。五郎が突然に野獣の様に猛り、華絵を犯してしまったから大変な事に。
「今、何し居ったんじゃ、うちにやや子が出来るのか」「二人はもう夫婦に成ってしまったんか」
御尻の下に敷いて居った、猫の御愛用の座布団が淫らに濡れてしもうた。華絵は溺れた拍子に御粗相をしてしまったので有る。

「そんな見っとも無い格好の儘帰って来たんか、五郎と水遊びでもしやったか」
「お母はん、喜んで、うち今日五朗ちゃんと夫婦に成ってしもうた、やや子が出来るかもしれへんえ」
「え、何やて」

「うち、お嫁に行く事に決めた、五郎ちゃんと夫婦に成る」中学生の娘が突然に言い出した。
「お母はん喜んで、うちにやや子が出来たみたいやねん」
「何やて、御母はんに何て言い訳しょう」

「お嫁に行か無いで」と母以上に慕う弟の太郎が駄々を捏ね、心の広い五郎が養子に来て呉れる事とあい成った。
 やがて、華絵は女の子を産み落とした、母子共に元気で有った。和子と名付けた。

 季節が廻り、時が流れ、和子は母に似ず、淑やかな天女の如くの娘に育った。太郎は其の姪の和子に恋心を抱く様に成った。華絵は次々にやや子を産み落としたが皆女子で有った。近くの天神宮に男子が授かります様にと度々御参りするも願い叶わずで有った。
 或る日の事、庭で弓の練習をして居った、凛々しい姿の和子を見て想いの余り、太郎が和子を犯してしまたから大変な事に、和子は死ぬほどの辱めを受け三日三晩泣き通し乍も夫婦に成る事を承諾したので有る。やや子が出来てしまったので有る。未だ中学生だと言うのに。華絵は和子を実家に預かって貰い、改めて嫁を娶る事とした。御腹が大きく成り、隠しきれ無く成りヤット嫁がせた。十五の春の初々しい花嫁は馬に乗って嫁いで来た。

 和子は元気な男の子を産み落とした。太一と名付けた。

 強欲な華絵の実母菊が喜寿で亡く成り、夏枝の給金の支払いはヤット止んだ。華絵は母の面倒を良く看て、母の夏枝が九十二歳の高齢で亡く成るまで献身的に尽くたので有る。時には下の世話も嫌がらずしたので有る。
 娘達は次々に良き夫に恵まれ嫁いで行って、次々とやや子を産んだ。其れらの子達も婚礼を向かえ、やがて孫も出来る様に成り、親戚も増えた。祖父の正三の五十回忌の記念の法事に集った大勢の親戚の記念写真を見て夏枝は何を思ったので有ったろうか。
「御婆はん、此の大阪に女性専用列車が走る様に成ったらしいですよ、如何思われます」と太一。
「情け無い、愚かな、恥晒しも良いとこじゃ」と華絵。                       裏の泥棒猫が勝手に自分の家と決め込んだか、花絵の膝の上に載って昼寝を始めた。天下泰平で有った


          2007−06−06−231−02−03−OSAKA



                     HOME
                  −−戻る 次へ++