瓜に爪有り、爪に爪無し

 完璧の璧は壁では無い、土で無く玉の事で有る。完璧とは傷の無い玉の事で有る。日本人でも日本語を完璧に使い熟すのは至難の業でも有る。完璧な文章を書こうと思ったら如何しても座右の辞書を紐解く必要と成る。日本語の奥の深さを感じる処でも有る。
 西瓜と書いてスイカと読ませるのはまあ良いとしても、南瓜と書いてカボチャと読ませるのは少々無理が有る。関西風のナンキン(南京とも書く)の方が未だましでも有る。馬鈴薯と書いてジャガイモで有る豆腐も腐の字が気に入らず勝手に豆富と書く人迄居る、勝手に変えては言葉に成ら無い。
 季節に由って呼び名が変わる、牡丹餅と御萩に戸惑う人も多い。TVで再放送の時に困る。昔は小豆が冬を越すと硬く成ってしまい、牡丹餅と言えば漉し餡の事で有ったので有る。漉し餡の物を牡丹餅と呼ぶ様にすれば良いものを。
 中国の故事伝説に起因する言葉は特に意味深いものが有る。矛盾や推敲、桃源郷、蛇足・・・辞書では若干説明不足でも有る。
 最近は外来語のカタカナが多すぎて戸惑う老人も多い。簡単に日本語は外国語をカタカナ表示にする丈で簡単に外来語が作れるのも問題で有る。最近に成って、漢字で表記出来るものは漢字表記に換える動きも有る。明治維新以来外国の文化が大量に入り込み言葉を作るのが追い付かず、外国語を直訳した日本語も多い。自然科学の用語に其れが特に多い。日本人が思いつきで作ったので無い事は外国語の勉強の救いでも有る。海馬や摩天楼等で有る。見た目で言葉を組み合わせた造語も多い。海豚や海豹等で有る。外国語が全部カタカナで表記出来ると思って居たら、発音に由っては平仮名混じりのカタカナで表記して居る語学辞書も有るが。トイザらスの名前に唖然とするのは私丈で有ろうか。
 最近は差別用語の指摘も多い、昔から有る有名な絵本や童話、昔話にも差別用語が含まれて居ると言っては、悪書のリストに上げる人迄居る。アナウンサーなら放送禁止用語のリストを渡され、日頃は確認も出来るが、凡人は其の様な差別用語のリストを持って居無いので確認も出来無い。昔の辞書には載って居る言葉も有り判り辛い。其の様なリストを作る事自体が失礼な話で有る。リストに載せる事自体が差別でも有る。態と使用するのは問題では有るが、死語にしてしまい辞書から削除するのは問題でも有る。日本語の衰退を招く事と成る。何も言わず口を閉ざすのが最善の筈が無い。片手落ちが差別用語だと言い出す人迄も居る。辞書にも載って居る。片落ちでは意味が通じ無い、言葉に成ら無い。
 方言の隠語は強烈で猥褻でも有り、恥ずかしくも成るが、標準語、共通語で表記すれば別段これと言う程のものでも無い。変な事を想像する読み手に問題有りでも有る。当局から発禁処分を言い渡された文芸作品も有る。
 日本語の中には記憶を促す言葉も多い、瓜に爪有り、爪に爪無し<字の通り>、西向く侍(武士)<小の月>、産医師異国に向かう・・・<円周率>等で有る。
 最近は方言で喋る人も少なく成った。時代劇も方言風の現代言葉を使用して居る。当時の方言で時代考証をして忠実に再現すれば多くの人が理解出来無い為でも有る。昔の映画で懐かしい方言が出て来て心が癒される場合も有る。方言には心を癒す不思議な力が有る。老人と話をする場合は出来る丈方言を使うように心掛けましょう。呆けた老人も昔の方言では話が通じる場合が多い。
 大井川は江戸時代には橋が無かったので有る。良家の御内儀も態々御金を払って男の人夫の肩車で渡して貰ったもので有る。人夫が蹴躓いて倒けると川に落とされたので有る。命掛けでも有った。勿論関所でも有り、通行手形も要ったで有る。別の場所を勝手に渡っては関所破りの重犯罪と成り磔刑にされた。雨で増水すれば渡るに渡れぬ街道一の難所でも有った。其の為か大井川を境に関東と関西の文化圏が出来てしまった。生活習慣、儀礼にも若干の違いが。大井川の向こうに娘を嫁がせると一生会え無かったので有る。言葉迄も若干の違いが。同じ意味言葉でもアクセントが微妙に違う。
 日本は島国で有る為に外国との接触も少なく、外国語の習得には殊更苦労を強いられる。地理的に近い韓国語や中国語を第一外国語にすれば良いものを、全く違う文化圏の英語で苦労をして居る。スペイン語が東洋的なアラビア語の影響が有るのか、日本語の発音に似て居る部分も多い。ローマ字の世界でも有りう。高等学校でもスペイン語も選択出来る様にすれば良いものを。そうしない分けも有る。
 日本語には男言葉と女言葉が有る、殴米語のにも男性名詞や女性名詞は有るが、文法上の性で有る、生物学的な性の事では無い。日本語の男言葉は男同士でしか決して使わ無いが、男が女性に話す場合は女言葉を使う場合が有るが、女性は男に対しても女性言葉を使い決して男言葉は使わ無い。依って女性言葉が使われる確率は男言葉より多い。京の女性言葉は美しい日本語の規範でも有る。格調高い気品有る御所言葉の影響が有るで有ろう。
 最近の若者の言葉が理解出来無い老人も多い。日本語の乱れも有る。間違った解釈が一般的に成ると、誤用の儘辞書に載ったりもする。犬も歩けば棒に当るの諺も元来は嫌な事に出会う事の例えの筈が、歩かなければ良い事にも出会わ無い例に期待が込められて居る。老人に冷や水の水も沐浴の事では無い。
 敬語の使い方は殊更難しく、丁寧に言った心算が失礼にあたったりで有る。
 相撲の外国人力士が日本語を話すのを聞いて驚くひとも多い。六年間も苦労して英語を勉強しても幼児番組のセサミストリートも理解出来無い日本人が多いのを思うと複雑な気持ちにも成ります。演歌の中で日本人の心、愛や喜びや悲しみ人生の機微が歌われて居る、演歌の歌詞で日本語を覚えた外人も多い。
 DVDの映画では多言語の吹き替えも有り、外国語の勉強には事欠か無いが、外国語の勉強が其れ程進ま無いのも現状で有る。外国語は矢張り現地に行って実際に喋って見るのが一番か。語学用のCDの会話はTVのアナウンサーが喋るスピードより可也ユックリでも有る。TVが判る様に成るには更成る勉強が必要と成る。語学の道は余りに厳しい。西部劇の駅馬車でジョン・ウェーンが一箇所スペイン語を話すシーンが出て来るが殆どの日本人は気が付か無い、スペイン語に吹き替えのDVDでジョン・ウェーンがスペイン語で話して居ても日本人には殆ど違和感は無いが、日本語に吹き替えられると余りの違和感でも有る。言葉の不可思議の世界で有る。子供の頃は外国の西部劇のTVドラマを吹き替えで何の違和感も無しに観て居ったのでは有るが。
 江戸時代は鎖国政策の御蔭か日本文化が大きく花開いた時代でも有る。時代劇は美しい日本語の宝庫でも有る。昔みた懐かしの時代劇のドラマをもう一度見るのは難しいが、CS放送の時代劇チャンネルで古いドラマも再放送して居る。美しい衣装と美しい言葉の影で人の心の修羅を描いた大奥シリーズは特筆に価する存在でも有る。美しい日本語のナレーションや味わい深い台詞が続く。権力の頂点に立っても癒せぬ心の悲しみが有る事が分かります。
 動物の鳴き声の表現も各国様々で有る。犬や猫の泣き声が国に由って違う訳では無い、聞く人の耳が違うので有る。状態を示す擬音語も様々で有る。雪がシンシンと降るのシンシンは音がしないのに状態を表現する、不思議な言葉の世界でも有る。
 インド伝来の仏教の経典の御経は中国で漢文に翻訳さられた。其の肝心のインドも他の宗教が大勢を占めて居る。仏教が衰退したので有る。インドから遠く離れた地の果ての日本で、今も花開いて居るのも不思議で有る。中国で漢文に翻訳する時に東洋人にも受け入れ易い様に、厳しい修行の要求を一部緩和させたので有ろう。凡人には読めぬ漢文の御経を聞いて有り難く成るのも不思議で有る。天国や地獄、彼の世の話は仏教上の方便でも有る。人の心の迷いの救いでも有る。外道を出さぬ為の戒めでも有る。しかし、最近此の日本でも仏教心の衰退が目立つ、道徳、倫理、理性、正義の崩壊でも有る。子が親の首を切る外道、鬼畜の修羅の世界でも有る。校長が生徒の前で命の大切さを態々教えなければ成ら無いと言う心の崩壊、愛の欠落。修羅の事件の多発の中、自己主義的な死刑廃止論を裁判の中で主張して自己満足に浸って裁判を矢鱈長引かせる弁護士団。此の世の真の心の欠落でも有る。難関の司法試験に合格した人でも裁判の判決を出すのは至難の技で有るのに、ど素人の凡人を半強制的に参加させられる裁判員制度が始まる。法律用語は難解でも有る。裁判用語も知らぬ素人をで有る。裁かれる被告も不幸で有る。国家権力で無理やり参加させた徴兵制度の悪夢が蘇る。学校で刑法や法律用語、裁判用語の教育を受けて来無かった人が国民の大部分で有る。資格試験に合格した人の中から選出すれば良いものをそうしない魂胆を疑いたくも成ります。
 新聞の第一頁の最下欄には各新聞社ともコラムを載せて居る場合が多いが、どおって事の無い世々輪の話に始まって核心に迫る手法は学ぶべき事多し、名言の宝庫でも有る。社説とは又違った主張を読み取る事が出来る。
 地下鉄でサリンを撒いた宗教団体が名前を変えて今だに宗教活動を続けて居る。実に怖ろしきは人の心で有る。美しい言葉で信じれば心が救われると言われ妄信してしまう、心の脆弱さ、理性の陰り、正義の欠落。自然科学、物理、化学を極めた人迄が犯罪に奔る不条理の世界。口先丈で人を操れる快感に酔いしれた人は、額に汗して働く労働者の想いは通じ無いので有ろうか。マスコミも一部の少数政党の主張等には殆ど関心を示さ無い。日本は国際支援、人道支援と美しい言葉を利用して、侵略戦争に荷担して来たと外国から非難を受けて居るので有る。湯水の様に国民の血税を垂れ流しして来たのにで有る。美しい言葉には人の心を惑わし盲にする力が有る。世界の真を見据える心眼を持つ事が重要か。一国の外務大臣が国連総長に電話で色々要請すると言う可笑しな話も有った。国連大使が居る筈なのに。総会の席で発言すべき事で有るのに。権力の美酒を味わった人は常識の節度も弁え難し。
 男女の事は目を見て居る丈で口に出して言わ無くても分かるものと思い込んで居る人も多い、結婚しようと其の一言が言えず、婚期を逃してしまう人も居る。言わ無いと分から無いので有る。断られるのを懼れての話でも有る。
 葬式の時に止め焼香を誰にするかで、親戚同士で揉める場合も有る。宗派に依って葬儀の作法も若干違う、人生の最後を飾る大事の葬礼でも有る。最後に参列者に参列の御礼を喪主が行って棺は焼場に向かって出発する。事故や事件で肉親を失った喪主の恨み辛みは幾許か、言いたい事が数多有っても言わぬのが日本人の心。所詮最後は皆焼かれるので有る。死んで霊魂が残る訳でも無い。生前に言った言葉丈が人の記憶に残るので有る。師の教えを弟子が文章に纏め。其れが後の世の経典に成った例も有る。一つの嘘が次々に嘘を吐く破目に至る。最後には破局を迎える。平穏な人生を送りたい人は嘘は吐かぬ事が大事で有る。其れが真の人生で有る。瓜に爪有り、爪に爪無し、何やら釈迦に説法の如くで有る、悪しからず。


                  瓜の蔓に茄子は生らず



          2007−06−03−232−02−01−OSAKA



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