他所の家の庭の柿の実

 秋は豊穣の季節でも有る、春に花を咲かせて果樹が秋に実を熟す。柿に梨、蜜柑、柘榴が割れて赤い粒々を淫らに曝け出す、無花果も赤紫に熟す。秋も深まると紅葉の前に既に柿の実が橙色に色付き始める。柿色と言う色の名前にも成って居るが実際の柿の色の事では無い、柿渋の色で有る、実際は橙色に近い。柿実の色は日本人の好きな色でも有る。日の出、日の入りの日輪の色でも有る、夕焼けの色でも有り、炎の色でも有る。柿が赤味掛かた橙色に色付き、紅葉が始まり、稲穂が頭を垂れる、収穫が終わると神々に豊穣を感謝して秋祭りが始まる。他所の家の庭の柿の実は尚更で有る、黄金の宝物の様にも思える。柿の実には甘柿と渋柿が有る。甘柿に対する期待、想いも大きく、思いっきり齧り付いて渋柿で有った時の舌が麻痺す程の渋さに一生忘れられ無い程に強力でも有る。渋柿も熟柿に成れば甘く成るが軟らかく成って商品には成り難い、昔から色んな渋抜きが試みられて来た。御湯に浸けたり、焼酎や炭酸ガス等色々で有る。醂わせ柿樹で有る。渋柿も干し柿にすると甘く成るのは理解出来るが、干し柿を炊くと渋柿に戻ってしまうのも不思議で有る。料理に使え無い事情が有る。以前にカレーのルーの中に柿の種が入って居た事が有った。大きな異物混入で回収ものでも有るが、カレーに柿が使われて居る事を発見してしまった。林檎を入れるカレーのルーも有るから其れ程珍しい事では無いので有ろうが。
 西洋には隣の芝生は青く見えると言う諺も有る。他所の家の柿の実は甘くて美味しそうに見えるので有る。人の心には嫉みも有る。昔、生家の庭の片隅に渋柿が生えて居た、其の渋柿を甘柿と思ってか盗む人が居たので有る。渋柿と判って捨てられる虚しさ、此の世の愚かを実感した。干し柿にすれば食べられたものを。人生もかくの如し、人妻は美人に見えるので有る。結婚前はあれ程魅力的で有ったのに結婚して子供が出来て、当てが外れたと思う人も中には居るらしい。期待が大きかった丈に失望も大きい。迷い過ぎて婚期を逃す女性も居るが。
 柿は形が宝珠にも似て居て、余りの見事さに食べるのが惜しい物まで有る。皮を磨くと輝いて来る。干し柿は保存食にも成る。柿には渋みのタンニンが鉄分と化合して貧血を起こすので貧血の人は注意、又、身体を冷やす作用が有り冷え性の人も注意が必要、柿は余り消化が良い訳では無いので食べ過ぎには注意が必用。
 柿の葉鮨も有る、柿の葉には色々薬効が有ります。御茶代わりに飲むと健康に良い、販売もされて居る 嫉みは何故発生するので有ろうか。市場に行けば一盛り何ぼで売られて居ても、他所の家の庭の柿の実には嫉ましいものが有る。マンション等の共同集宅では庭を持つ事すら叶わ無い為でも有る。
 人妻への想いは演歌やメロドラマの題材でも有る。叶わぬ思いの男女の世界でも有る。不倫不貞密通の世界も有るが。
 熊も柿の美味しさを知って居るので有る。冬眠の前に美味しい餌を探しに里まで降りて来る。困った話でも有る。人に危害を加えた熊は射殺されても、ニュースでは射殺したとは言わ無い、処理されるので有る。田畑に柿木を持って居る農家は何時収穫してしまうかが気懸かりでも有る。柿を盗む丈なら折に罠を仕掛けて捕らえて、人の住んで居る奥地に放す、放される山奥の住人は堪ったものでは無い。野生動物の愛護団体が保護を文句百垂れ言う為でも有る。猿蟹合戦の童話も有る、猿は樹に自由に登れる為に柿の被害も大変で有る。一口食べて渋い柿を捨てる、住民の怒りも我慢の限度で有る。間引きの是非の住民集会も開かれる、他所から来た無関係の人が猿が可愛そうと文句百垂れ言う丈言ってサッサト帰って行く。無責任な発言が罷り通おるで有る。
 他所の家の柿の大木の柿を村人総掛かりで収穫した事が有る。参加した人に柿を分け与えたので有る。剝いて干せば美味しい干し柿が出来る。正月の鏡餅に載せる串柿は余りに有名で有る。柿の収穫では全部の柿を採ってしまわ無いのが昔からの慣習でも有る。収穫を神に感謝し、小鳥達の為に残す為でも有る。 轆轤を使って鉋で剝く柿の皮剝きにも名人芸の人も居る。
 親から田地田畑を相続した人は幸せ者でも有る。親の七光りの一つも貰え無かった者の僻みも有る。  親から甘い柿を皮を剝いて切って御皿に盛って戴いて居る、天女の様な無垢の心の少女は世の中に渋柿が存在する事が理解出来無い。子供を甘やかす親は食べさせ無い為でも有る。人生は過酷でも有る甘い恋を夢見て居る内に婚期を逃してしまう人も居る。昔は渋抜きの技術も悪く渋いあわせ柿に当る事も多かった。色も形も同じで有るのにで有る。人も見掛けによらぬもの。人の心は文字の如くに盆の上の二つの玉の如くに動き廻る、欲望と抑制で有る。三竦みと言う例えも有る、蛙と蛇と蛞蝓の話でも有る。御互いに抑制し合って、欲望の暴走を抑制し合って居るので有る。                      柿の実の色に輝く夕日が沈むと邪悪な闇夜が遣って来る。誰もに訪れる現世の宿命でも有る。寺の梵鐘の音に此の世の儚の感傷に浸っても腹のひもじさは消え無い、柿を食めばひもじさが消える。生きる事の英知は現実の中にこそ存在する。虚構の世界の淫乱な柘榴の破裂、爆裂が男心を迷わす、猥褻な女の映像に資産を浪費してはならじ。自分の手の中に有る柿の実の甘さ、渋さを噛み締めて人生に開眼すべきで有る。猥褻は麻薬の如くで有る、より強い刺激が必要と成り、禁断症状に似た症状が出るのか、性犯罪は今だに無く成ら無い、此の大阪に女性専用列車が今だに走って居る、世界に恥晒しで有る。もう止めようと言い出す淑女も又、居無い。偶には子供に渋柿を食らわし、人生の教訓にさせるべきでも有る。
 柿の美味しさは甘さと歯応えの好さでも有る。熟すと甘くは成るが歯応えが悪い、熟柿が嫌いな人も居る。醂せ柿は若干歯応えが悪い少し青い目の物を撰んで買うのがコツか、干し柿にして保存食にも成る。ジャムにも成る筈では有るが余り有名では無い、花梨の様に硬くて生で食べられ無い物は絶品のジャムに成る事が有るが。干し柿には人は特別な想いが有る。食べられ無い渋柿も食べられる、生活の知恵でも有る。干し柿を開いて種を取り巻いて棒状にして羊羹の様にした土産物も有る。砂糖が庶民の手に入ら無かった昔、甘い干し柿が貴重な存在で有った。干し柿が煮物の甘味に使え無いのは既に述べたが欠点では有るが、渋みも隠し味の一つなら少量なら使えそうでは有るが。
 童が高い柿に樹の梢の青い柿を竹の棒で取ろうとして居る絵画のドラマが有った。手の届く所に赤く色付いた甘そうな柿の実がたわわに実て居るのにで有る。童の愚かを描く為か、人生の教訓の為か、あえて困難に挑戦する事の大切さを諭す為か。


                 柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺    子規






          2007−11−06−275−01−01−OSAKA



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