狂人の放言

 狂人等と書くと差別用語風に聞こえるが、要は気が狂った人の事で有る。辞書にも載って居る日本語で有る。気違いと言う品の無い言場も有る、精神異常者の事で有る。春の木の芽時には正常な人も可笑しく成る事が多いが、侘しい秋、寒い冬は欲情も沈静化してか、性犯罪も少ない、寒い為には外出する機会も少ない為でも有る。鬼畜の様な事件が起きる度にマスコミも大騒ぎし其の異常性を強調する。容疑者(現行犯人でもそう言う)が逮捕されると精神鑑定を為るか如何かが問題に成る。狂人なら罪が問え無い不条理な世界が存在する。殺された何の罪も無い天女の様な心の娘は犬死でも有る。遺族の悲痛を逆撫でする様な報道が続く、酷い話で有る。

 箕屋の御内儀の村一番の美人の雪江は小用が近く、或る日も如何にも我慢出来無く成り、御腰を濡らしてしまいそうに成り、矢庭に街道から畦道に下り、着物の裾を捲り尿を放居た。暫しの間至福の快感に浸って居たら、牛に馬力を引かせた呉介が運良く通り掛かった。
「丁度良かった、呉介はん、あんたとこになすびの苗は残って無いかいな」
「茄子の苗位何とでも」「ついでじゃあんたも此処でしよし、家の畑じゃ遠慮は要らぬ」
 二人の連れ尿を見た女房の忍野の心は治まら無い。
「箕屋の亭主は種無し南瓜でやや子が出来ぬ、女房は男なら見境無く色目を使うのが判らぬのか」
「茄子の話をして居た丈じゃが」「何時からなすびが好きに成ったのじゃ」

 家の周りで立ち小便されては困ったもので有る。乾いて来ると不快な臭いが強く成る。外国旅行中は特に注意が必要、迂闊に為ると法外な罰金を取られる場合も有る。最近では大都会では取り締まりも厳しく成った。必要の前に法律無しとも言って居られ無く成って来たので有る。排尿は動物にとって必須の生理では有るが、尿は汚くて臭い厄介な汚水でも有る。犬を散歩させる人も多いが、糞の始末は条例で始末が義務付けられて居るが尿は其の儘で有る。電信柱が犬の小便器に成ってしまって居る。中には水を掛ける善良な飼い主も居るが乾けば不快な臭いが漂う事に代わりは無い。雨が降るのを待つ必要が有る。

「呉介はん、此れは何事ぞ、亭主の留守に夜這いとは呆れ果てた男じゃ」
「わてが眠って居るのを良い事に御乳なんか触り居って、其方はやや子か」
「茄子の苗代を貰い損ねたと女房に言ったら、貰うまで帰って来るなと家を締め出されてしもうた」
「茄子の苗代等要らぬと言ったのは其方で無いか」
「此の寒空に野宿は余りに酷い、其れにしても雪江殿の身体は余りに冷たい、丸でイグワナを抱いて居るようじゃ」「ええ、わてがイグワナとな」「大きなトカゲの事じゃが」               「憚りから戻る迄にいね、阿呆」

 此の大阪に女性専用車両の電車が今だに走って居る、世界に恥晒しで有る、如何に大阪に痴漢が多かったかが想像出来る。性癖には嗜好性が強く女性の御尻に触る事にしか快感を感じ無い痴漢まで居る。淑女達にとって迷惑な話で有る。汚くて臭い女性の放尿にまで関心の有る覗き魔迄居る。精神分析学の深遠を垣間見る時でも有る、フロイドの偉業が偲ばれる。脆弱な心の善人の性癖の嗜好性を悪用して、巷には鬼畜系のアダルトビデオ迄溢れ返って居る、悪行非道の遣り放題で有る、虚構の世界では有るが。

「呉介はん、人が来ぬか見張っててくりゃれ、私催して来てしもうた」
「女将はん、こんな所で出来る訳無いでしょ、人の見られたら何となさる、堪えて、我慢して下され」
「もう我慢が出来ぬ、放いてしまいそうじゃ」何時もの悪癖が又始まった。なすびは肥やしが効いたのか見事な実を付けた。雪江の亭主は焼き茄子が事の外好きで有ったが秋茄子は決して嫁には決して喰わさ無かった。

 暫く前に近くの私鉄の駅で通り縋りの人全員に大声で文句百垂れ垂れて居た人を見かけた、追っかけられて文句を言われた人はさぞかし驚愕した事で有ろう、迷惑な話でも有る。人に危害を加え無ければ良しと思って居る人も多いのか。何年も前に或る地下鉄の駅でも大声で韓国人を愚弄して居た人が居たのを覚えて居た、同一人物の可能性も有る、同一人物なら何年間も文句百垂れ言い続けて居た事に成る。何年もで有る。韓国人を悪く放言するのは国際問題でも有る。差別問題も絡んで居る。狂人の放言なら何を言っても許されるので有ろうか。言葉の暴力でも有る。家族や親戚は何も為無いので有ろうか。煙草の吸殻を捨てたり、酔っ払いの立ち小便で罰金を取る事に躍起に成る人も多いのに野放しでも有る。インターネット上では実名を挙げての個人の中傷、噂、悪口の書き込み等文字の暴力も有る。

 雪江はやっとやや子が出来た、神社仏閣に祈願した御蔭でも有った。亭主の善蔵は種無し南瓜で無かったので有った。秋茄子は嫁に食わすなと言う教訓を守った御蔭でも有る。
「あんたの子と違うか」呉介の女房の忍野の嫉妬が又始まった。
「其方は余程おそそが好きだと見えるのう、わてのおそそは見たくは無いのんか」小用を急に催した忍野が湯殿で亭主の前で御粗相を仕出かしてしもうたから大変な事に。
「何と言うはしたない女房じゃ、もう堪忍成らん」と言って後ろから野獣の様に犯してしまた。
 やがて忍野はやや子を身篭り、太郎を産み落とした。雪江への嫉妬も無く成った。
 太郎は父親に似ず。勉学は得意で常に成績は一番で有ったが口が巧く、嘘吐きで有った。後に二枚舌の政治家に成り大臣に迄成ったが、位人臣を極める一歩手前で一言の失言で躓居た。

 政治家の放言は綸言汗の如しで有る。一度口から出た言葉は元には戻ら無いので有る。日頃思って居るから終口に出てしまうのか、一言の失言で大臣の職を辞す政治家も多い。弁解の記者会見が返って火にに油を注ぐ結果と成る。マスコミは鬼の首を捕ったかの如くに書き立てる。ニュースに1時間の公演全部を報道する訳では無い、問題の数秒以外全部をカットして報道するので有る。前後の関連は全く無視でも有る。一時間の公演を実際に聞いた人は納得出来ても、ニュースで其の問題の一言を聞いた人はとんでもない政治家と言う印象丈が残る。報道の傲慢の暴力でも有る。何人もの人の意見を聞いて、都合の良い意見丈を報道する事も出来る。

 演劇や映画では狂人の放言が重要な存在と成る。作者の本音が隠されて居る為で有る。狂人の放言なら政治の皮肉も非道徳、宗教批判も戯言として逃れる事が出来る為でも有る。狂人の戯言を訴える当局が笑い者に出来る為でも有る。此の世の真実を語れる為でも有る。時代の一歩先を見据えた世間の批判をかわす為でも有る。シェイクスピアの戯曲も意味有りげな戯言が随所に見られる。書きたい事も書けなんだ宗教弾圧の時代も有った。狂人の政治家が戦争を始めるのでは無く、普通の政治家、軍人、教育者、僧侶、神主、裁判官、医師、会社員や農夫が戦争に巻き込まれて行く処に戦争の狂気が存在する。世界に誇れる平和憲法の日本国憲法を改悪しようと言う目論みも有る。憲法が変われば再び戦争に巻き込まれる時代が訪れるかも知れ無いので有る。男山の頂上で立ちションベンをして天下盗った様な気に成って居ては行け無いので有る。既に、国家権力の横暴か、国民の意向に関係無く半強制的に参加させられる裁判員制度が始まる。無作為なら狂人が選ばれる可能性も有る。裁かれる犯人、容疑者も不運で有る。裁く裁判員も不幸で有る。日当を出すからと文句も言わせ無い制度でも有る。自衛隊の国際貢献、人道支援、復興援助の美名で海外に派兵し、戦死者が出れば自衛隊に入りたがら無い若者が増えると、徴兵制度を言い出す政治家も出て来る。国の為に喜んで死ぬる若者を育てる為に教育基本法も改悪され、少数政党の意見等耳を貸さ無い人も多い。再び吾が子が軍神と祀られ無い為にも考えるべき時で有る。
 憂鬱な女性専用列車も今だに此の大阪には走って居る、淑女は喜んでも居られ無い、世界に恥晒しでも有る。男の前ではやや子に御乳も飲ませられ無いヒトの不幸が有る。














          2007−11−26−277−02−01−OSAKA



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