春の東風が吹いて

 大淀の土手に春風が吹き出す頃に成ると、土の中から珍奇な物が頭を擡げる、土筆ん坊(ツクシンボウ)で有る、スギナの胞子穂で有る。袴を取ると食用にも成る。梅の花が咲き、桃の花が咲き、桜の花が咲き、桜吹雪が乱れ舞い、小川の淀みに花浮き橋を掛ける春が訪れる。やがて蓮華草が咲き、和蘭蓮華が華を咲かせ、麦畑の上の天空で定位置飛翔で雲雀が春を謳歌して囀る。

 春子は太郎の家に遊びに来ては座敷で座布団を枕に猫を御腹に載せて犬の字に成って昼寝をするのが何よりの楽しみで有った。
「春子ちゃんは自分の家では昼寝は為んのんか」と叱りもせずに太郎の優しい母者の律。太郎の家には怖い父が居らなんだので有る。
「世取りが出来たら昼寝等して居られぬ、昼寝が出来るのも今の内じゃ、三国一の花嫁御寮の辛い宿命じゃ」
「うちは、当家の未来の主の御母堂じゃ宜しゅうにな、釈迦や孟子や孔子の教えを守り、慈悲の心に努めますよってな」正座して手を突いて頭を下げて平伏した。
「何やて、小学校で本真にそんな事教わって居るのか」「しっこは大丈夫なのか」

 小学生の太郎は堤の土手の和蘭蓮華(クローバー)の花の上に横の成って、春風に靡く空の雲を眺めて雲雀の巣の探し方を考えて居った。教室で春子が尿垂れを仕出かしては、何時も太郎が始末をさせられ頭に来て居ったので有る。春子は許婚の噂を学校中に流して居ったので有る。春子は元庄屋の三女で勉強も出来たので叱られ無かったので有る。

 春子が偶然遣って来て不幸にも見付かってしまった。
「太郎ちゃん、見っけた」傍に来て横に成った。春風が吹いて裾を捲った。
「微風が吹いて、雲雀が囀って、クローバーが咲いて気持ちが好いね」
「こうして一緒に寝て居ると夫婦に成った様な変は気に成るわね」春子は和蘭蓮華の華で華飾りを編み出した。
「うちら許婚やねんで、もう忘れてしうたんか」「法事の時に家の御父はんと御前所の御父はんが酔っ払って勝手に決めた戯言や」
「うち、好い男を探すのが面倒臭く成って来たわ、あんたで我慢したる」
「うちに気が無いや何て言わせへんで、うちの御尻を触ってばっかり為て居ったではでは無いか」
「此の大阪にも其の内女性専用の列車が走る事で有ろうのう(当時は珍奇な列車は走って居無かった)」「あんた見たいな痴漢が多い為じゃ、大笑いじゃ。世界に大阪の恥曝しじゃ」
「・・・」

「うち、催して来てしもうた、あんた、誰も来いひんか見張ってて」
「真逆、此処で為る心算じゃ」太郎はムックリと起き上がって仕舞った。


 悩み多かりし丸坊主頭の中学生に成った太郎は堤の土手の蓮華草の花の上に横に成って、春風に靡く雲を眺め乍、進学の問題、高校受験、進まぬ勉学、恋愛も出来ず、性の悩みも有った。学校の勉強は余所に物理の相対性理論や哲学者のカントの純粋理性批判や数学のガロア理論に取り付かれて居った。英語は赤点を取って居った。
 女海兵隊員でも無いのにセーラー服を着た春子が偶然通り掛かり、不幸にも見付かって仕舞った。
「太郎ちゃん、見っけた」傍に遣って来て横に成った。春風が吹いて裾を捲った。
「微風が吹いて、雲雀が囀って、蓮華草が咲いて気持ちが好いね」
「こうして一緒に寝て居ると夫婦に成った様な変は気に成るわね」春子は蓮華草の花で花飾りを編み出した。
「うちら許婚やねんで、もう忘れてしうたんか」「法事の時に家の御父はんと御前所の御父はんが酔っ払って勝手に決めた戯言や」
「うち、好い男を探すのん面倒臭く成って来たわ、あんたで我慢したる」
「うちに気が無い何んて言わせへんで、学校の階段でしょっちゅううちのスカートの中を覗こうと為て居ったでは無いか」
「心配為るで無い、あんたに異常変態性欲の気が有る事は承知の上での話じゃ」
「・・・」

「うち、催して来てしもうた、あんた、誰も来いひんか見張ってて」
「真逆、此処で為る心算じゃ」太郎はムックリと起き上がって仕舞った。


 高校生の太郎は憂鬱な大学受験を来年に控え、勉学に疲れると父譲りの古い写真機を片手に旧街道をブラブラ歩き廻り、滅多に人の訪れるぬ、道端の道標、石仏、地蔵、羅漢達を写真に撮るのが趣味でも有った。春風が吹いて、日本晴れで有った。殺風景な森の中で太郎は場違いに綺麗な花の群生を発見した。片栗の花で有る。花が咲く迄に十年は掛かるらしい。片栗粉は水で溶いて熱湯を注ぐ必要が有る。温度が低いと固まら無い。粉の儘ではだまが出来る。歩き疲れて草の上で横に成って居ると、急に小用を催した。気持ち良く用を足して居ると。不幸にも春子に見付かって仕舞った。
「太郎ちゃん、見っけた」傍に遣って来てた。春風が吹いて裾を捲った。
「こんな綺麗な片栗の花園でおしっこなんか放居て居たら罰が当るで」
「微風が吹居て、小鳥が囀って、片栗の華がが可憐に咲居て気持ちが好いね」
「こうして一緒に寝て居ると夫婦に成った様な変は気に成るわね」
「あんた、片栗の花言葉を知って居る、初恋よ、恥じらい気に俯き加減でうちみたいに綺麗や、初恋の女と夫婦に成れるあんたは幸せ者やね」「うちでは不服なんか」
「うちら許婚やねんで、もう忘れてしうたんか」「法事の時に家の御父はんと御前所の御父はんが酔っ払って勝手に決めた戯言や」
「うち、好い男を探すのん面倒臭く成って来たわ、あんたで我慢したる」
「うちに気が無い何んて言わせへんで、うちの御乳を触りたがったでないか」
「心配為るで無い、あんたに猥褻嗜好の気が有る事は承知の上の話じゃ」
「・・・」

「うちも、あんたと同じに罰当りな事為とう成った、あんた、誰も来いひんか見張って」
「真逆、此処で為る心算じゃ」太郎はムックリと起き上がって仕舞った。


 憧れの大学に入れ、自慢の角帽を被っれた太郎で有ったが、長年の唯一の親友に憧れの女性を盗られ、失恋と進まぬ勉学に悩んで居った。太郎は堤の土手の桜の木の傍で横に成って、春風に靡く雲を眺め乍、難解な微分方程式で大宇宙の進化を研究する宇宙論が太郎の研究テーマで有った。宇宙の創造の前に一体何が有ったのか今だに悩んで居った。何も無い虚空から大宇宙が創造した等如何考えても、理解出来無かったので有る。
 高校を卒業しても就職にも就けず、嫁にも行けず家でブラブラして居った春子の買い物帰りに偶然にも不幸に出遭てしもうた。

「太郎ちゃん、見っけた」傍に来て横に成った。春風が吹いて裾を捲った。
「微風が吹いて、雲雀が囀って、桜吹雪が舞って、小川に花浮き橋が掛かって気持ちが好いね」
「こうして一緒に寝て居ると夫婦に成った様な変は気に成るわね」春子は傍の桜の花の小枝を摘んで髪に挿した。
「うちら許婚やねんで、もう忘れてしうたんか」「法事の時に家の御父はんと御前所の御父はんが酔っ払って勝手に決めた戯言や」
「うち、好い男を探すのが面倒臭く成って来たわ、あんたで我慢したる」
「うちに気が無い何て言わせへんで、うちの御便所を覗いたでないか」
「心配するで無い、誰にも言わ無いで置居てあげる、内緒に為てあげる」              「・・・」

「うち、催して来てしもうた、あんた、誰も来いひんか見張って、見たって良いよ」
「真逆、此処で為る心算じゃ」太郎はムックリと起き上がって仕舞った。


 大学を卒業し或る製薬会社に就職し、高給を貰って居った、想った女性に結婚して欲しいとも言えず婚期を逃し勝ちで有った。春子は何度も結婚したが三年もせぬ内に不始末を仕出かしては家に戻された。出戻りで有った。今だにやや子も出来ずで寡婦の一人暮らしで有った。

 春風が吹いて、ゴビ砂漠の黄砂が日本に迄遣って来て、洗濯物を汚す。春風の悪戯で有る。
 或る春の夜、飲み屋で鰆を肴に酒を一人で飲んで居ると、不幸にも春子に出遭うて仕舞った。

「太郎ちゃん、見っけた」「今夜は一緒に飲もう」酒に悪酔為た勢いでか、夢現の内に夫婦に成って仕舞うたらしい。

「何時迄御乳を触ったら気が済むのじゃ」夢現で触ってしまって居ったので有る。
 目が覚めると傍に春子が犬の字に成って寝て居った。悪夢で有った。
「春子は腋毛は剃らぬのか」「何で」
「あんさん、何処へ行くねんや」「一寸小便」
「わても催して来たわ、一緒に為よ」
「あんさんも幸せ者や、わてと夫婦に成れて、三国一の花嫁御寮とはわての事やで」尿を放き乍言うた。
 何も為た記憶も無いのにやや子が出来た。式も挙げずに春子は家に居着居た。昼には座敷で裾の乱れも気に為ず、犬の字に成って昼寝を為て居った。裏の黒猫が呆れも為ずに厚かましくも遣って来て、春子の御腹の上で寝るので有った。多くの野獣の雌は妊娠すると雄への欲情が消える。しかし、春子は身重の身で催すので有った。其れが離縁された原因らしい。貴婦人も尿は催すが其の事では無い、淫乱症の事で有る。見境が無かったので有った。義母の律は叱りもせず自由にさせて居った。
「春子、主人が風呂に入って居るのに、背中も流してあげぬのか」
「御母はん、わて、恥ずかしい」「恥ずかしい事してやや子を作って置き乍今更」
「春子、御風呂に入る前に尿為ときや」
「あんたはん、御背中を流しますわ」最初の内は借り手来た猫の様に静かに為て居ったが、童に戻って仕舞い、照る照る坊主で遊んだり、水鉄砲で遊んだりで有った。前を隠すのも忘れて大躁ぎで有った。

 やがて、春子は玉の様な元気な男の子を産み落とし、太郎は当地が元領地で所縁の菅原道真に肖って道男と名付けた。文楽で有名な菅原伝授手習鑑にも出て来る近くの佐太の天満宮に宮参りに出かけた、白太夫も祀られて居る。梅の花が咲き乱れ、季節の上では春で有ったが、春の東風はは未だ吹かずで有った。家に帰るなりやや子を太郎に押し付け便所に駆け込んだ、相変わらずで有った。如何やらやや子を産んでから締まりが無く成った様で有る、恥ずかしい話で有る。汚い亭主の下着も嫌がらずに洗濯して居ったので有る。やや子が出来てゆっくり昼寝も出来ぬ毎日で有った。一子の母に成っても手淫の悪癖は今だに治ら無かった。下品な話で有る。裏の家の黒猫が何を勘違いしたのか家に居ついて脚に纏わり着き、寝床に迄忍び込む有様で有った。厚かましい話で有る
 季節に由って物の名前が変わる珍奇が今の世に有る。牡丹の咲く春の牡丹餅、萩の花咲く御萩で有る。昔から小豆が冬を越すと硬く成り春は漉し餡で牡丹餅を作る、秋は収穫したての軟らかい小豆で粒餡でも出来る。漉し餡の牡丹餅は牡丹の花に似て居るし、粒餡は萩の花に似て居る。秋も勿論漉し餡も作るし、ややこしい話で有る。テレビでは秋の番組を春に再放送する場合も有る。季節感の無い時代でも有る。
 春風が吹いて、花粉症で悩む人も多い。困った事に牡丹餅を作りって居て手が汚れて居る時に決まって洟が出るので有る。クシャミを為れば泪も出るし、御乳も出れば尿もチビル。御母堂も大変で有る。
「あんた、洟が落ちそう擤んで」汚い話で有る。律は呆れ顔で有った。


 やがて、道男もヨチヨチ歩きが出来る様に成った。或る晴れた日、春風が吹いて。三人は大淀の堤の土手の和蘭蓮華の花の上で横に成って、春風に靡く雲を眺め乍、色々考えて居った。
「わて、又、やや子が欲しく成った、今度は娘が良いわ、あんさんは如何え」子供に戻って花飾りを編み出した。
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花、主無しとて春を忘れそて誰の歌か知ってる」
「菅原道真公や、当地が領地で在った。肖って道男に一字を戴いた、帰り序に佐太天満宮に御参りして帰ろ」
「文楽の菅原伝授手習鑑に出て来る佐太村て、当地の事か」
「当地も有名や、幽霊の足跡で有名な来迎寺も在るしな」
「・・・」

「わて、催して来てしもうた、あんさん、誰も来いひんか見張って」
「真逆、此処で為る心算じゃ」太郎はムックリと起き上がって仕舞った。相変わらずで有った。


 春子に待望の二人目のやや子が出来た。勝手に娘だと決め込んで名前迄考えて居った。散々悩んだ末に夏に産まれるから夏子に決めた。親戚の五男の結婚式が、近くの佐太天満宮で行われた。佐太一番の親戚でも有る。天満宮での挙式が済み、披露宴も終わり、二人は春風に誘われて引出物を抱えて大淀の堤を歩いて自宅に帰った。

 太郎は土手の和蘭蓮華(クローバー)の花の上に横の成って、春風に靡く空の雲を眺めて、色々と考えた。親戚の付き合いの事、町会の役員の事、労働組合の闘争の事、珍奇は女性専用列車の事、憂鬱な裁判員制度の事、株の暴落、政治の泥試合、日本国憲法の改悪、教育基本法の改悪、一向に上がらぬ預金の金利、大型の梯子車や観光バスも曲がれぬ犬や猫御用達用の公衆便所の車道の植栽。車内での携帯電話の長電話、ポケットの小銭を弄って居たらチャラチャラと煩いと言われた事、自転車に乗り乍鏡を使う女子学生、大きな声で通行人に放言を吐く狂人、・・・。

 春子は流石に留袖が汚れてはと横には成らなかったが傍にしゃがみ込んだ。
「微風が吹いて、小鳥が囀って、クローバーが綺麗に咲いて気持ちが好いね」
「もう直、二人目のやや子が出来るのに何時迄赤の他人で居るねんや」花飾りを編み出した。
「今更、結婚式なんか」「あんな恥ずかしい事をして置き乍、他人事か」
「・・・」

「わて、催して来てしもうた、あんさん、誰も来いひんか見張って」
「真逆、此処で為る心算じゃ」太郎はムックリと起き上がって仕舞った。相変わらずで有った。


 蓮田に蓮華の華が咲き乱れる猛暑の夏が遣って来て、春子は天女の様に可愛い娘を産み落とし夏子と名付けた。或る吉日に夏子を抱いて近くの佐太天満宮に宮参りに出かけた。何やら自慢気で有った。やがて義母の律に世帯を任され内輪丈で天満宮で式丈挙げた。突然の驟雨に見舞われ、稲妻が光り、雷鳴が轟いた夕立で有る。旱魃の年は雨の日が良い天気で有る。時に大淀は黄河の様な様相を示す、主の大真鯉も岸に寄添い童の餌食に。大淀には怪奇な台湾泥鰌も生息して居る。或る日の事、巨大な鯰を貰って帰り料理しようとして居ると。
「春子、到頭気でも狂うて仕舞うたか、鯰をわてらに喰わせるとは何と言う嫁御じゃ、わてらに恨みでも有んのんか」春子は初めて律に叱られてしもうた。座敷で座布団の上に尿垂れされても叱ら無かった律がで有る。

 其の内、春子は又、やや子が欲しく成った。律も相変わらず元気で有った。春の東風は未だ吹かずで有った。





          東風吹かば匂いひおこせよ梅の花 主無しとて春を忘るな

                                  菅原道真




          2008−03−21−306−03−02−OSAKA



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