抱足の猫

 会えば喧嘩ばかりして居る男女が最後に結ばれて、目出度し、目出度しで終わるのが恋愛物語のパターンでは有るが。少しでも結婚する気が有れば、喧嘩等せぬと思うのですが。映画やドラマ等では美男、美女が演じてこそ、男女の喧嘩も面白いので有ろう、人の恋を自分の恋と思ってしまう心の錯覚が在るので有ろう。本来他人が結ばれようが、分かれようが関係の無い話の筈。
 愛し合って居る男女が、事情が在って別れねば成ら無い悲恋物語も、一度も恋等した事等無い人にとっては、羨ましい話では有る。美しい女優が演じる様な女なら捨てたりはせぬと思うのですが。
 映画の中の恋物語は現実に在りそうには描いて有るが、人の実際の恋とは似ても似つか無い。現実は余りにも過酷で有る。素敵な恋愛を夢見て居る内に歳を取ってしまうのが落ちで有る。
 行か無いでと縋る女を振り切って行ってしまう男が居る等とは信じられません、映画等も罪で有る。
行か無いでと猫に足を抱かれた事は有りましたが。
 ロシア映画の「ソラリス」の中で捨てても捨てても現れて来る妻の化身の話が出て来ますが。美しい女優を起用し無いと物語が成り立た無いと言う、現実乖離が存在する。美女が居ててこその話で有る。
 私の心の中の女は猫好きで在った、私より猫の方が大事の様で有った。猫も猫で足に纏わり着き、時には向こうに行ってはいけないと、足に抱き竦めたりしたので有る。
 種の違う動物が直接的な行動に出るのは異例の事で有る、空腹が特異な行動をさせるので有ろう。動物にとって餌が取れるか如何かは、重要な事で有る。餌が取れ無いと、身体が衰弱し益々餌が取れ無く成ってしまいます。満腹の時は寝て居る事の多い猫も、空腹に成れば猫なりに英知の限りを尽くして居るので有ろう。昔から人は猫に鼠を獲らす為に、自由奔放にさせ、頭を撫でて可愛がて置き乍も、偶にしか餌を与えて来無かっので有る。人とは猫にとって惨い事を長年して来た者で有る。
 美味しい餌を鱈腹与える事が、愛情だと勘違いしてしまう、人間の愚かが最近見られます。貧乏な家庭の子よりも、比較的裕福な家庭の子の犯罪が増えて居ます。満たされ無い事が分かって居ても、何が満たされ無いのかが分から無い現代の子供達の悲劇。
 猫は犬より阿呆だと思って居る人も多いですが、本当に阿呆なら鼠等獲れる筈が無い。餓の恐怖と空腹が動物に英知を与えるので有ろう。便利過ぎ、豊か過ぎる現代文明が、人の英知を奪って居るので有ろう 百の恋物語は努力に拠って書けても、我が心の女の女心は捌き切れ無い。人生は余りに非情でも有る。 叶わぬ恋を夢見て一生を終わる人も居れば、迂闊な事を言って、恥を掻くのを恐れて其の一言が言えなんだ人も居ます。男と女の事は猫の背を撫でる様には簡単に行きませ。
 足に抱き着いてまでしても行かせたく無い猫の気持ちの分かる、女心を描いた時代劇に大奥が在ります 何度も映画化やドラマ化されて来ました。
 大奥、其処は、将軍と御匙以外の男性が立ち入る事のを厳しく禁じた、女だけの城で在り、江戸文化が極めて高い純度で醗酵した、究極の美の世界で在った。煌びやかで華やかに見える其の濃艶な女の園、豪華な衣装と、贅の限りを尽くした調度品に囲まれた世界の裏側には、愛や憎しみ、権力闘争等、凄まじい迄の執念が渦巻いて居た。
 最近も作られて居ますが83年に関西テレビが開局二十五周年を記念して製作した番組は、私には特に印象が強い。江戸時代のタブーとも言える大奥を真面目に取り上げ、徳川二代将軍、秀忠時代に創設されてから江戸城開城に至る迄の、徳川三百年の歴史の奥深くに存在し続けて居た大奥の歴史を史実に基づいてオムニバス形式で描いて居ました。80年代を代表する豪華女優陣が演技と艶やかさを競い合っい、当時「大奥に出無ければ女優で無い」と言う風潮まで有った。勿論、出演者が身に纏う豪華な衣装や、大奥を彩る大道具小道具も、毎回視聴者の目を奪っう煌びやかな物で有った。全話を通じてナレーションを担当して居るのが、最終話では女優としても登場して居る岸田今日子。彼の独特の怪しげ気で魅惑的な語りが壮大な大奥歴史絵巻をより一層う盛り上げて居ました。其処は、秘められた女の世界で在った。
 終曲の時代劇には珍しい森山良子の「セ・フィーニ(愛の幕切れ)」が特に切なかった。
 全51話の中でも第六話の「一に引き、二に運、三に器量」第七話の「種馬と蓮華草」は印象的でした 上様に御子が出来ますようにと浅草の観音さまに祈願に詣でられた、春日局がひょんな事で古着屋の娘おらんと出会い、観世音の御引き会わせと信じ、大奥に召上げ。おらんが巻き起こす大騒動。野心に燃えた侍の娘、行儀見習いの豪商の娘、三人の競い合いに敗れ自棄に成り、春日局の逆鱗に触れ謹慎に成った節分の夜に偶然に上様と出会う物語で有る。女の野望、目論見、嫉み、失望、千路に乱れる女心を見事に描ききって居ました。下女達と無心に踊るおらん役の藤真理子の演技が輝いて居ました。
 又、第十話の「虹を摑んだ少女」第十一話の「上様は秋刀魚が御好き」も印象的でした。
 「女性の身乍、位人臣を窮める運が宿って居る」老僧の予言道理に。京都の八百屋仁左衛門の娘、御玉は春日局に引き立てられ、才覚を発揮し春日局の代行が出来る様に迄成った。春日局が病に倒れ、病の重さを活けた白い牡丹の花で表現する等さすがで在った。家光が疱瘡に罹った時に生涯薬は飲まぬと神仏に誓い、家光が治癒ちた後も生涯誓いを守った事も描かれて居ます。如何に将軍でも、逝か無いで呉れと念願しても叶わぬ事。御玉は其の後家光の側室と成り、四代将軍徳川綱吉を産み。やがては老僧の予言道理に、女性の身では最高の位の従一位の官位を授かったので有る。
 此の様な番組を観て、此処彼処に現われる、名台詞に堪能して頂きたい物で有る。時の流れで在ろうか映像の中でしか当時の若い頃の女優達に出会え無いのは悲しい事では有る。猫の様に幾ら人の足に抱き着いても、最早過去には戻れ無いので有る。
          3005−05−05−32−OSAKA

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