老桜は語らず

 今年は暖冬でか梅の花が咲き、桃の花が咲き、春一番が吹き荒れ、もう桜の花がちらほら咲き出した。やがて殆んどの桜が満開に咲く。満開に成る頃には散り始める花が出て来るのは悲しいところでも有る。全部一斉には咲かぬので有る。始業式の時には散って仕舞って居る危惧も有る。殆んどと言うには訳が有る、中には咲かぬ桜も有るので有る。校庭の周りに桜の樹を植える学校も多い。入学式の時期に開花する人生の門出に相応しい花でも有る。日本の国花でも有る。散り際の良さが愛国心の象徴として利用されたりも為る。
 昔からの小学校は校庭の片隅に楠木の大樹も多かった。楠木は樟脳の原料にも成り、虫の付きにくく大樹に成る。休憩時間の格好の日陰と成る。銀杏は嫌な臭いの銀杏を落とすが校庭で巨木に成る場合も有る桜の木は卒業生が記念に植樹を行なう場合も有り、同窓会を母校で行なう場合も有る。記念樹は勝手には切れ無いのも判る。昔は大樹も多く、子供が登って落ちる事も有った。今は登れる樹も少なく成った。
 元気の無い老桜に若木の根を接木して甦らせた例は有る。老木が花を付け無いのは余程の事で有る。去年咲かなんだ桜も初夏には若枝を幾つも伸ばし、青々とした葉を幾重にも付けた。老弱には見え無かったが今年も花を付け無かった、秋に基幹以外の若枝の全部を剪定されて仕舞った為でも有った。剪定さえ為無ければ少しは咲いた筈、剪定を為るには手間,暇も掛かる、あえて行なうは理由が有るので有ろう。数多の他の桜とは事情が違うので有ろう。人の世の悪意を連想して仕舞う。物言わぬ樹なら何を居ても天罰は降ら無いのか。老桜の傍にはすでに枯れた時の為の二代目の桜の幼木が植えられて居たりで有る。酷い話しでも有る。人生の苛酷を見る想いも有る。教育の場丈に咲かぬ老桜を観て学童の心は痛まぬので有ろうか。
 都会では桜を目に為るは一部の公園位では有る、見付けても敷地から枝が食み出すと文句を言う人も居るのか無惨に枝の伐られた桜の樹も目に付く。マンションの桜も浄水場の桜も悲惨で有る。老木には神が宿るのか、伐り倒した後の祟りを畏れ伐れぬ事情も実際に有る。国道の真ん中に老木が仁王立ちで有ったりで有る。京阪電鉄の萱島駅のホームには何故か楠木の大樹が天に聳えて居る。
 都会の緑化には限界が有る。土地の高騰で桜を植える程の余裕も無い。公園は兎も角、街路樹が川の土手の則面等で有る。街路樹も大きく成り朽ちると倒れる危惧も出て来て切り倒される運命でも有る。移植の費用等予算が取れ無い。しかし、大阪には緑化に力を入れて居る。歩道の街路樹、植栽は良く目に為るが車道に食み出しての植栽が実際に有る。以前は大型観光バスの入れた道路がもう入れ無い。曲がり角で大型トラックが曲がり切れずに立ち往生で有る。大型の梯子車の消防車も当然は入れ無い。定期的な剪定も必要、草刈や夏の散水も必要で有る。費用も掛かる。大雨が降れば土砂も流れ出す。犬や猫の格好のトイレでも有る。猫が突然飛び出して事故も原因に成る。苗木の内は何の問題も無いが三十年も経てば一抱えの巨木に成って仕舞う。銀杏は大阪の府の木でも有り、街路樹も多い、銀杏は食用に成る。茶碗蒸しに入って居ると何やら得を為た気に成るが、銀杏の実は変ね臭いがする悪臭に近い。落ちた実を拾って帰っても罪には成ら無いが樹に登って採ると窃盗罪に成る。
 ElCuerpo del Deseo(原題)と言うテレビドラマが「セカンド・チャンス」としてホームドラマチャンネルで放映為て居る。E2スカパー!では観れ無いが、スカパー!やスカパー!光やひかりTVやケーブルTVで観れる。ダイジェスト版はBSジャパンでも放映して居る。DVDでも販売されて居る。YouTubeでも一部観れるが字幕が出る訳では無い。全ての欲しい物を手に入れた老人も命迄は御金で買え無い。其の富豪の老人が死んで魂が貧しい農夫の肉体と入れ替わて仕舞った事から珍奇な事に。富豪と農夫との唖然と成る貧富の差が物語の場で有る。人生には時間が止まる時が一度丈有る死ぬる時で有る。其の時が来て今迄こんな幸せな気分に成った事は一度も無かったと言わせる。スペイン語のnuncaは一度も無い、決して無かったと否定的に使うが、masが付くと一生にたった一度丈有る場合にも出て来る。一生の内一度も無いのと一度は有るのでは大違いで有る。断られる恥を懼れて婚期を逃す人も居る。
 人生は苛酷で有る。老桜は枯れ去る運命で有る。定年退職して為る事が無くて急に老け込む人も多い。趣味の世界も結構御金が掛かるので有る。
















          2009−04−01−409−01−01−OSAKA



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