El Privilegio de Amar

 愛の特典とでも訳すべきか、数多の中南米のテレビ小説の一つでは有るが、スカパー!のTVEでも以前に放映された為観られた方も可也多い筈では有るが。オフィスで電子レンジで紅茶を点てたり、ポップコーンを煎ったりとドラマとは全く関係の無い事を憶えて居る。携帯電話が出て来る事からも其れ程の昔の作品では無いがパソコンのディスプレーが液晶でなくブラウン管で有ることから少しは昔で有る。ミニスカートが出て来るので年代が判って仕舞う。1998年の作品で有る事が墓の碑銘で判る。意外にも外国でも名刺を利用するのか、此のドラマの中でも重要な小道具として登場する。一枚の名刺に直筆のサインを加える丈で保証に成るとも思え無いが。日本では社員身分証明書のカードでさえ保証に成って居無いのに。
 物語の下敷きにシェイクスピアのオセロが有るのか、親友の裏切りや夫婦の浮気、良からぬ噂、不義密通、過去の罪、捨て子がテーマでも有る。オセロが貞淑な妻を廻りの噂を真に受けて最愛の妻を殺して仕舞う悲劇では有るが、此の物語では愛に狂った女が貞淑な妻役の女優と摩り替って愛人のオセロ役の男に殺されるシーンで逆に殺して仕舞う顛末が描かれて居る。親に捨てられた娘が美しく成長し親に逢いたい想いが募る。捨てた親は吾が子を捜し逢いたい想いが募る。身近に居乍ら知りえ無いもどかしさ。華やかなモデル業界が舞台でも有る。ホテルのロビーを思わせる豪邸のロビーに唖然とする処でも有る。戦前の日本の如くでは有る。貧富の差が日本より激しい。階段が人生の栄光への階段として象徴的に描かれて居る。最初の出会いではエレベーターの不具合が需要な意味を持たせて居る。初めての出会いを強力に印象付けて居る。珍しいホテルの階段でのファッションショウが登場する。格調高い衣装の解説のスペイン語が登場する。ショーの衣装は何故か格調高い気品有るロングスカートが中心でも有る。実際の有名なデザイナーが全面的に協力し手居るのか素敵な衣装が随所に登場する、実際に美容師役でも登場。豪邸で部屋に豪華な高価な花が飾られて居ても人の悲しみは癒せ無い、荘厳な教会で余りに悲しい告白が続く、捨てた娘に逢え無い悲しみが有る。
 スペイン語では神父の事を親しみを込めてパドレー(父)と呼び。尼僧の事をマドレー(母)やエルマーナ(姉妹)と呼び、実際の父、母、姉妹と重なるところが意図されて居る。寛いで下さいと言うスペイン語の慣用句も皮肉を込めて登場する。お嬢さんを指すセニョリータは通常のムチャチャとは違って特別に尊敬が込められる、呼ばれて自分で無いと周りを見回す珍奇が態々描かれて居る。テレビのオイガ(もし)の呼びかけにと何と答えて仕舞ったりで有る。テレビに毒される皮肉か。教会で神父は信徒の告白の守秘義務が有る。吾が子を判っても母親に言え無い酷いさが描かれて居る現代の皮肉か、大富豪に成っても捨てた吾子に逢え無いので有る。
 中南米にはインデオや東洋系、日系の俳優も多い、言語以外は日本人と余り変わら無い。出演の女優も何故か日本人風で有る。
 信仰心深いメイドが信仰深い厳格な女主人の息子に愛され妊娠して仕舞った事から悲劇が始まる。息子を神父にする為に修道院に入れ、罪の無い貧しい娘は追い出され、乗り合いバスの中で出産して仕舞い。子供を抱えては生けて行け無いので裕福な家の前に捨て子をして仕舞う。捨て子は素晴らしい娘に成長し職を探し、新聞の広告の間違いで三人の娘と共同生活をする羽目に。一人は聖母マリ風で禁欲的で恋が出来ず、もう一人は女主人の夫と浮気を為乍も恋人と婚約したりの肉欲的に描かれて居る。
 捨て子をした母親は大富豪と結婚しモード界に君臨して居るが吾が子に逢いたい想いが募り父親の神父と一緒にに密かに探し廻る。其の貧しい娘が母親のモードの館にモデルに成りに遣って来て可笑しな事に成って行く。先妻の子と恋に陥るて可笑しな事に。其の儘結婚して幸せに成るかと思いきや関係を持ったとたんに他所他所しく成り、処女を疑たりで、外の女に気が移ったりで有る。共同生活をして居る娘が其の女の夫の愛人に成った事からさらに怪しい事に。夫の唯一の親友の子を孕んだ女が妊娠したと長男に迫って無理矢理に結婚して仕舞う、貧しい娘は妊娠した儘捨てられたので有る。長男の妻は結婚は出来たものの愛を得られず事故で流産をして仕舞う。貧しい女は悪妻に階段から突き落とされるも無に出産する。女は弱し、されど母は強しで有る。孫娘を抱きたい母親。神父の母は捨て子を血液鑑定迄して孫娘を探し出して神父に告白して仕舞う。吾が子を探し出せても母親や娘に言えない悲劇。流産した妻は愛に狂い色々と悪さを。妻の昔の秘密を疑い始める夫。過去の罪に苛まれ火を恐れる神父の母。ドラッグ中毒の悪妻、多くの人は鏡に写る自分の異常性に気が点か無い。ドラマでは鏡が人の狂気の表現に利用して居る。アルコール中毒の死んだ筈の先妻の出現。吾が子は我が儘で想い通りに成らず捨てた娘への想いが募る。其の娘が自動車事故で車椅子の生活に。アルコール中毒は嗜好性が強く最初の一杯で酔うと抑制力が薄れる、最初の一杯を飲まぬ事で有る。外国でも禁酒を奨める宗教の如くの組織も有る。多くの人が苦労をして居るので有る。ドラッグ中毒で自分が段々に自分で無く成って行く狂気の恐怖が描かれて居る。現代では病院で出産し病院で死ぬのが一般的に成り病院が重要な舞台でも有る。此のドラマも病院の場面が多い、神父の職場の教会とモデルの館が中心でも有る。
 女性のスカートは段々に短く成って行くものと思って居たら、ミニスカートがブームに成った時を最後に又長く成った。最近では牧童用の作業ズボンで平気で街を闊歩する女性も多い。馬に乗る訳では無い。便所で用を足すのが不便で有る。本ドラマでは若い娘のミニスカートは可愛いく登場するが意図的にかファッションショーでは何故か格調高く気品有る豪華なロングスカートが主で有る。ミニスカートのブームが去る事を予見したか。ミニスカートもブームの一時性か、人の心の移り気の罪でも有る。女性の髪形もモードの重要な要素では有る。本職のファッションデザイナーが全面的に協力か素敵な衣装が登場する、美容師役で実際に出演か、画面に一瞬字幕が出る。其の大事な髪を自分で剃って仕舞う唖然とするシーンが登場する尼僧に成る訳では無い。愛の狂気の表現か。
 色んな事件、事故、病気、犯罪が続きドラマは進行して行く。経済的に裕福に成っても心迄は豊かには成ら無いので有る。人の心を救う聖職の場の教会と人の命を救う場の病院が対象的に描かれて居る。外国も血の繋がりを大事にする。夫婦は重要で有るが血の繋がりが無い。最後に輸血で母娘の血の繋がりが象徴的に描かれて居る。
 悪妻の象徴に結婚した途端に豹変し愛人と浮気を繰り返し、ドラッグ依存やアルコールや煙草や嫌な犬や階段から妊婦を突き落としたり、子を盗み出したりとエスカレートする犯罪が狂女を象徴的に描かれて居る。自由奔放、贅沢三昧、溺愛が我が娘を狂気に走らせて居る事が親には判ら無い、犬を座敷で飼って手を噛まれるが如くで有る。西洋では飼ってる烏に目を穿られると言う酷い諺まで有る、誤った愛でも有る。改心して髪を剃って尼僧に成るべきかとの暗示か悪妻が狂気で自分の髪をバリカンで刈て仕舞う場面が登場する。演劇は映画と違って舞台で実際に演じられる丈に虚構では有るがより現実に近い。迫真の演技に多くの観客が涙為る、凄惨な殺人場面も虚構に過ぎ無いが此のドラマでは皮肉を込めてオセロが貞淑な妻を悪い噂を信じて殺害する場面で、逆にオセロ役の名優が愛人の女に殺されて仕舞う。荘厳なオペラの歌声のもとで満員の観客の観て居る前で凄惨に御互い殺し合い死んで仕舞う。観客は物語の台本とは違う結末に唖然と成るところでは有るが、緞帳の幕は何故か中々下り無い。格調高い歌声丈が場内に響き渡る。
 過去の罪に苛まれる神父の母親がドラマの進行に重要な存在でも有る。自分丈密かに知りえた陶酔に浸り孫娘を自分丈のものに為て仕舞う、告白をして娘に娘と言え無い様にして息子の神父や実の母を苛み続ける。過去の罪に苛まれ火を恐れる女が其の息子に復讐され生きた儘火に焼かれる。刑務所に入って迄過去の罪に苛み続ける顛末が描かれて居る。刑期を終えて出所しても罪を償え無い、罪の重みの苛みから逃れられ無い教訓でも有る
 宗教上の告白の守秘義務の酷さが描かれて居る。神を欺く訳には行か無いので有る。其処に娘が居乍ら実の母に娘だと言え無い酷さ、日本人は神仏に祈るのに声に出す事は無いがドラマに為辛い。言わ無くて神仏なら判ると思って仕舞うのも可笑しな話では有る。実際には思って居る丈で言って無い事を言わせて仕舞う珍奇はドラマの手法は有る。男女の愛も言わずに判るのが美徳とされるが言わ無いと判ら無いので有る。












         2009−05−07−410−01−01−OSAKA



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