老桜は語らず                       
 『カラスの飼育 Cria cuervos』と言うスペイン映画が有った。名匠カルロス・サウラの作品で有る。飼い犬に手を咬まれるに当たる、飼って居る烏に目を突かれるのスペインの諺を知ら無いと題名の意味が良く判ら無い。両親が亡く成り叔母が継母と成って奮闘する物語で有るが、継母の為す事全てが気に入ら無い娘が継母に殺意を抱く映画で有る。母との楽しかった想い出と現実の幻滅で揺れ動く娘心。日本では内容が暗く陰湿で評価も低いが外国では高く評価されて居る。歌の『悲しみの朝 Porque te vas』も人気を博した。母親役のジェラルディ・チャップリンは喜劇王の異名を持つあの名優チャールズ・チャップリンの長女でも有る。容姿より演技が勝れ、スペイン語も流暢で有る。女優賞も受賞して居る。
 日本では烏は嫌われ者で飼う人等居無いだろうが、似た鵜は鵜飼用に良く飼われる、矢張り目を突かれ無い様に注意が必要とか。烏は厄病神でも有る、烏が啼くと不吉な事が起こると言う迷信も有った。都会では久しく鉄砲の音を聞かずで烏も横着で有る。人が近付いても塵の穿りを止めずで有る。数多の烏の乱舞は恐怖すら感じる部分でも有る。寒い朝は何故か電線に数珠繋がりで有る、下を歩く時は注意が必要。以前に窓の網戸に羽を広げて中を窺って居た烏が居た。ドラキュラ映画の蝙蝠の如くで有った。カレンダーの犬の絵に興味が有ったので有ろう。動かぬ犬は屍に見えたので有ろう。寺の床の間の幽霊の掛軸を見て座敷に上がり込んだ烏も居たとか。繁殖期に巣に近付く時以外が人に攻撃為無いので実害は少ない。
 飼い犬に手を咬まれる事件は多い、毎日餌を貰って居た老婆を噛み殺して仕舞った事件すら有る。明日から誰に餌を貰う積もりで有ったのか。余りに美味しそうに食べて仕舞ったのもう少し餌をあげようと迂闊に容器に手を近づけると咬まれる場合が有る。咬まれると骨まで達する大怪我と成る。犬も猛獣で有る事を忘れて仕舞った悲劇でも有る。犬も年老いると猫にも吠えずで有る。猫も犬と仲良しに成って、犬の散歩に後から付いて行ったりで有る。付かず離れずの不思議な関係でも有る。
 猫は始めて訪れた客の膝の上に平気で載ったりもする。飼い主が想う程には人を認識して居無いので有る。昔から猫に餌を与えると鼠を獲ら無いの催促される迄与え無かったもので有る。猫も猫で飼われて居るとは思って居無かったので有る。竈の在った頃は猫は竈の中で寝て居て朝に人の焚き付けに驚いて飛び出したりで有る。白猫が鼠猫に成ったりで有る。雪夜の晩に寝床の中に入りたがるのは理解出来るが、蚊帳を吊って居た真夏でも蚊帳の中に入りたがるのは不可解でも有る。人の寝床の中が一番安心出来る場所で有ったの有ろう。或る晩に猫が喉をゴロゴロ鳴らして目が覚めたら枕元で御産をして居たので有る。猫も嬉泪を流すので有る。産んだ猫の子をを咥えて寝床の中に入れようと為ので有る。
 最近は少子化の影響か寂しい想いをして居る人が多いのか、ペットを飼う人も多い。一部の行き過ぎも見受けられる。座敷で犬を飼うが当たり前かの如くのCMも有った。昔は犬の放し飼いも多く、犬に座敷に上げる癖を付けると他所の家に上がり込んで襖に見事な山水画を描いたりで有った。見事な毛皮を着て居るのに更にチャンチャンコを着せる愚かも有る。犬は大地に耳を着けて寝て居て、足音で飼い主を察知したりで有る。番犬が何時の世も犬の本分で有ろう。
 最近が動物への虐待事件も多い、犬や猫をエアーガンで撃ったり。水鳥をボウガンで射ったりで有る。釣り糸が脚に絡まる悲劇も有る。以前に学童に悪戯を繰り返す烏を護謨銃(パチンコ)で撃ったと犯罪者扱いで大きく新聞が書き立てた事が有る。昔の悪童は良く遊んで為て居た事で有る。素人の腕では狙っても当たる筈も無いのにで有る。パチンコは武器では無く玩具の一種で有る。
 梅の花が咲き、桃の花が咲き、こぶしの花も咲き始める、春一番が吹き荒れ、其の内桜の花がちらほら咲き始める。やがて殆んどの桜が満開に咲く。満開に成る頃には散り始める花が出て来るのは悲しいところでも有る。全部一斉には咲かぬので有る。年によっては始業式の時には散って仕舞って居る場合無きにしも有らずで有る。殆んどと言うには訳が有る、中には咲かぬ桜も有るので有る。校庭の周りに桜の樹を植える学校も多い。入学式の時期に開花する人生の門出に相応しい花でも有る。日本の国花でも有る。散り際の良さが愛国心の象徴として戦争映画で利用されたりも為る。合歓の木は忘れた頃に芽吹く晩生の木で有るが花は咲くので有る。
 昔からの小学校は校庭の片隅に楠木の大樹も多かった。楠木は樟脳の原料にも成り、虫の付きにくく大樹に成る。休憩時間の格好の日陰と成る。銀杏は嫌な臭いの銀杏を落とすが校庭で巨木に成る場合も有る桜の木は卒業生が記念に植樹を行なう場合も有り、同窓会を母校で行なう場合も有る。記念樹は勝手には切れ無いのも判る。昔は大樹も多く、子供が登って落ちる事も有った。今は登れる樹も少なく成った。
 元気の無い老桜に若木の根を接木して甦らせた樹医の例は有る。老木が花を付け無いのは余程の事で有る。去年咲かなんだ桜も初夏には若枝を幾つも伸ばし、青々とした葉を幾重にも付けた。老弱には見え無かったが今年も花を付け無かった、秋に基幹以外の若枝の全部を剪定されて仕舞った為でも有った。剪定さえ為無ければ少しは咲いた筈、剪定を為るには手間、暇も掛かる、敢えて行なうは理由が有るので有ろう。数多の他の桜とは事情が違うので有ろう。人の世の悪意を連想して仕舞う。物言わぬ樹なら何を居ても天罰は降ら無いのか。老桜の傍にはすでに枯れた時の為の二代目の桜の幼木が植えられて居たりで有る。酷い話しでも有る。人生の試練を見る想いも有る。教育の場丈に咲かぬ老桜を観て学童の心は痛まぬので有ろうか。
 都会では桜を目に為るは一部の公園位では有る、見付けても敷地から枝が食み出すと文句を言う人も居るのか無惨に枝の伐られた桜の樹も目に付く。マンションの桜も浄水場の桜も悲惨で有る。老木には神が宿るのか、伐り倒した後の祟りを畏れ伐れぬ事情も実際に有る。国道の真ん中に老木が仁王立ちで有ったりで有る。京阪電鉄の萱島駅のホームには何故か楠木の大樹が天に聳えて居る。
 都会の緑化には限界が有る。土地の高騰で桜を植える程の余裕も無い。公園は兎も角、街路樹が川の土手の則面等で有る。街路樹も大きく成り朽ちると倒れる危惧も出て来て切り倒される運命でも有る。移植の費用等予算が取れ無い。しかし、大阪には緑化に力を入れて居る。歩道の街路樹、植栽は良く目に為るが車道に食み出しての植栽が実際に有る。以前は大型観光バスの入れた道路がもう入れ無い。曲がり角で大型トラックが曲がり切れずに立ち往生で有る。大型の梯子車の消防車も当然は入れ無い。定期的な剪定も必要、草刈や夏の散水も必要で有る。費用も掛かる。大雨が降れば土砂も流れ出す。犬や猫の格好のトイレでも有る。猫が突然飛び出して事故も原因に成る。苗木の内は何の問題も無いが三十年も経てば一抱えの巨木に成って仕舞う。銀杏は大阪の府の木でも有り、街路樹も多い、銀杏は食用に成る。茶碗蒸しに入って居ると何やら得を為た気に成るが、銀杏の実は変ね臭いがする悪臭に近い。落ちた実を拾って帰っても罪には成ら無いが樹に登って採ると窃盗罪に成る。












































            2010−03−01−479−01−02−OSAKA



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