御婆さまの借り猫

 佐太村の元庄屋の大きな屋敷の御婆さまは大の猫好きでは有ったが、燕に遠慮して飼うを憚って居った。昔は鼠が増え、天井裏で鼠や鼬が運動会を始めると一時的に他家から猫を借りる事もよく有った。借りてきた猫の様にと言う諺も有る。猫も心得たもので三日もすれば我が物顔で有った。
「おい、燕。巣を作らして貰った御礼に桜貝を巣に残していくと言う話を聞いた事が有るが、御前は何も残さぬのか、あの話は嘘か」
「海迄は余りに遠いので代わりに牡丹の種を一つ残して行きます、きっと見事な花を咲かせますよ」
「御婆さまの老耄にも困ったものじゃ」「何か粗相でも為されたか、何時もの独り言か」「猫に話掛ける事は何時もの事じゃろが」
「今度は燕と何やら話されて居られた」
御婆さまは燕から貰った牡丹の種を大事に植木鉢に蒔、水を撒いた。忘れた頃に小さな芽がやっと出て来て次第に大きく育った。
「御婆さまの老耄にも困ったものじゃ、今度は植木と何やら話をして居られた」
御婆さまの世話の懐が有ってやがて牡丹は蕾を付けた。釦と言う意味の外国語には花の蕾を指す場合も有る。見ての通りの語源でも有る。
 御婆さまは大きな蕾が花開く時、中から小っちゃな小っちゃな親指大の姫御前が出て来るものと信じて期待して居ったが、いざ、見事に開花した時に花の中からは見るも汚らわしい青虫が出て来て腰を抜かしそうに成った。
「私を殺さないで、きっと役にたちます」
「御婆さまの老耄にも困ったものじゃ、今度は汚らわしい青虫と喋って居られた」
「御婆さま、あんな汚らわしい青虫、直ぐに殺して仕舞いなされ、家の者に嫌われ愛想を尽かされますぞ」
「青虫が汚いのは猛禽類の糞に擬態しての事じゃ、糞が其処に在る事は猛禽が近くに居る威嚇に成る。其の事を孫達には教えたりはせぬのか、御尻から赤い角の様な物を出すは御尻を頭の角に似せて、大事な頭を守る為じゃろが」
 青虫は何度か脱皮を繰り返し、やがて動かなく成って不恰好な蛹に成った。何日か経った或る日の事、蛹は羽化が始まった。中からそれはそれは見事な羽の蝶が出て来た。
「御婆さま、羽化出来るまで育てて下さった御礼にそなたの願いの半分は叶えられましょう」「何とな、何故半分なのか」
「願いを全て叶えるには男子の蝶を観付ける必要が」
「御婆さまの老耄にも困ったものじゃ、今度は蝶と何やら話して居られた。雄の蝶を見つけ出して欲しいと言い出された」
「御婆さまを怒るらしたら遺産分けで損をなさりますよ、何も言わぬ事が一番じゃ」 孫達は御婆さまの我が儘を聞き届け、手分けして雄蝶を探し廻った。蝶は相手がやっと見付かり喜びで番いの乱舞を繰り返したが、やがて雄蝶は死んで仕舞った。
「気の毒な事に成った、せっかく見付かったのに残念じゃのう」
「いえいえ、私の望みは既に叶えられました。今度は御婆さまの望みを叶える番です」
「望みは何じゃ、言ってみなされ、金銀珊瑚の山かギヤマンの壷か、書画骨董か、宝石宝飾の類か、長寿か家内安全か、無病息災か、数多の名誉名声か、それとも恋愛、結婚、情欲、色欲か・・・」
「年寄りをからかうものでなか」「そなたと話して居る所を家の者に見付かって仕舞って、呆けが始まったと思われて仕舞った、何とか成らぬものかのう」
「心配御無用、今迄言った事は皆嘘、空言だったと嘘を吐けば良いのです。嘘も方便ですよ」
「ええ、わてが嘘を吐くのか」
「早よう言ってみなされ、日が暮れて仕舞う、望みは何じゃ」
「わての事より佐太村の事が心配じゃ、大水が出る度に心配じゃのう、大淀川の傍では心配の種は尽きぬ、堤防が切れたりしなければ良いがのう」
「何と欲の無い、褒美に猫を家で飼う事を許そう、以後燕も猫を嫌って巣作りを已める事はそなたの家では有るまい」「そなたの年齢の数の間は望みが叶い続けるであろう、せいぜい長生き為される事じゃ」胡蝶はそう言い残して何処かへ飛んで行って仕舞い二度と立ち戻る事は無かった。
「御婆さまの老耄が治り本に良かった」「本に良かった」「本にな」「本に」
 佐太村とは人形浄瑠璃の菅原伝授手習鑑にも出て来るあの佐太村の事で有る。守口に実在する場所でも有る。以後御婆さまの家では猫が居ても燕は平気で巣作りを始める様に成った。御婆さまは飼猫を愛で乍、三年後に白寿を祝った後で亡くなられたが、死の三日前迄元気で自分で憚りに行って居られた。願いが叶ったのか以後九十六年間堤防の上から手の届く程の大水は出た事が何度か有ったが佐太村付近の堤防が切れる事は一度も無かった。飼猫は頭上の燕を無視して玄関で悠然と昼寝をする有様で有った。燕も猫が下に居ても平気で有った。燕の為に玄関の戸を開けっ放しの留守でも一度も空き巣、泥棒に入られる事は無かったので有る。
































      2010−07−26−486−01−01−OSAKA



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