ひらかた大菊人形展

 ひらかた大菊人形 龍馬伝が百周年記念で今秋限定復活。2010年10月9日(土)〜11月28日(日)の間に開催。
 長い歴史に培われた日本の園芸文化の粋である菊人形展。日本三大菊人形に数えられたひらかた大菊人形が、「京阪電車開業百周年」「ひらかた代菊人形百周年」を記念して今秋限定で復活します。
 NHK大河ドラマでお馴染みの「龍馬伝」をテーマに、豪華絢爛な11場面の大菊絵巻を展開します。「黒船来航」「薩長同盟」「寺田屋とお龍」など、激動の時代を駆け抜けた龍馬の生涯を菊人形でご覧ください。(パンフレット)
 関西の秋の風物詩として長年愛され、2005年に閉幕した菊人形展「ひらかた大菊人形」(京阪電鉄、朝日新聞社など主催)が10月に復活する。同電鉄の開業100周年を記念し、今年限定で行う。テーマは幕末の志士・坂本龍馬の予定で、同月9日〜11月28日に大阪府枚方市のひらかたパークで開催。 龍馬の生涯を薩長同盟や寺田屋事件など11の場面に分け、約1万株の菊などを使った人形27体で描く。妻のお龍(りょう)や桂小五郎など多彩な登場人物を鑑賞通路近くに展示し、「龍馬になった気分を味わえる」(京阪電鉄)という。
 ひらかた大菊人形は1910(明治43)年、京阪電車の大阪・天満橋―京都・五条(現・清水五条)間の開通を記念し、同府寝屋川市で開かれた菊人形展が始まり。44〜45年を除いて毎年開催されてきた。ピークの74年には約85万人が来場。しかし、菊人形をつくる職人・菊師の高齢化や後継者不足から、96年間の歴史に幕を下ろした。
 ひらかたパークでは閉幕後も毎秋、菊師から従業員らが技術を学ぶため、5体ほどの製作、展示を続けてきた。本格的な再開を求める声が多く寄せられたため、1年限定での復活が決まった。(朝日新聞)
 ひらかた大菊人形の歴史。
 1910年(明治43年)10月15日、京阪本線の天満橋駅ー五条駅(現・清水五条駅)間の開業記念事業として東京両国国技館で開催されて好評を得ていた菊人形に着目。名古屋の黄花園主と契約、大阪府北河内郡友呂岐村(現在の寝屋川市)にあった「香里遊園地」で第1回菊人形を開催、京阪電車で往復乗車の観客には入場無料・関係先に招待券を配布するなどの積極策をとり成功を収めた。翌1911年も内容を充実して菊人形展が開催されたが前年以下の成績で、香里園遊園地の土地も住宅地として売却されてしまった。香里園遊園地の代替として枚方駅(現在の枚方公園駅)の側に約1万平方メートルの土地を購入し、岐阜菊楽園の浅野善吉を中心とする菊師らによって1912年(大正元年)10月6日ー11月25日第3回菊人形が開催された。以後1918年(大正7年)まで順調に続けられたが、金銭トラブル(電車の乗客数に対してのバックマージンの金額で折り合いが付かなかった)で岐阜菊楽園が請負を辞退した。
 そのため宇治で菊人形展開催を熱望していた料亭の主人「別所吉松」との話し合いの結果、1919年(大正8年)宇治橋と国鉄宇治駅の間に新たな菊人形館を建てて開催された。枚方時代より優れた菊人形が名人によって製作され、水戸・高松の芸妓の余興を見せたのに好評では有ったが毎年欠損を出し、1922年(大正11年)の菊人形展終了後に火災で菊人形館が焼失、宇治での開催は不可能になった。そこに南海鉄道の後援で堺大浜で菊人形を興業していた東京相撲協会年寄、春日野・中田の両名から枚方に移したいとの申し入れが有り、大浜の菊人形館を枚方に移築して1923年(大正12年)の菊人形展が枚方に戻って来た。1924年(大正13年)には本館・余興館・ボート池・滑り台・ブランコなどが整備され、1925年(大正14年)には枚方遊園は実質京阪電気鉄道の経営となった。これが『ひらかたパーク』の起源である。
 その後、太平洋戦争で菊人形展は1943年(昭和18年)の「戦力増強決戦菊人形」の後、枚方遊園一帯は軍需工場や農地に転用されることになり1944年(昭和19年)・1945年(昭和20年)は開催中止(この間に京阪は阪神急行電鉄と合併して京阪神急行電鉄と改称)。1947年(昭和22年)と1948年(昭和23年)は、農地調整法の影響で菊人形館一帯が復旧していなかったため、現在の関西大学の敷地内にあった吹田の千里山花壇(千里山遊園)で「千里山ひらかた菊人形」として開催(千里山花壇では、これ以前にも菊人形展を開催していた実績があった)。京阪が阪急と分かれる直前の1949年に枚方に戻り、以後毎年、ひらかたパークの秋の風物詩として開催されるようになった。
 開催地は同遊園地のイベントホールで、その同ホールを菊いっぱいに彩る菊の祭典。主にNHK大河ドラマ等をテーマに何場面かに分けて其々の違った菊の雰囲気を醸し出す。菊の匂いに引き込まれそうなその人形は将に大河ドラマなど題材となった作品を忠実に再現したようで見る者を感動させた(大河ドラマが現代ものとなった場合は他のテーマとなった。1984年から1986年はNHK大型時代劇をテーマとした。また時代ものでも題材が「徳川家康」だったときには土地柄により別テーマとなった。
 しかし、菊人形を製作する“菊師(きくし)”の高齢化と後継者不足などを理由に、2005年12月 4日、第94回大会「義経」の閉幕をもって「ひらかた大菊人形」は96年の歴史に幕を下ろした 2005年をもって 100年近い歴史を閉じた「ひらかた大菊人形」ではあるが、枚方で菊人形を見ることができなくなったわけではない。かつてのような大掛かりな大菊人形展はなくなったが、翌年以後もひらかたパークでは菊人形の何体かを飾っている。また、「ひらかた大菊人形」が閉幕する以前から、枚方市が主催する講習会で市民ボランティアが菊人形作りを学んでおり、閉幕の翌年から、枚方市民会館前などで、市民ボランティアが作成した菊人形が飾られている。菊の季節には、市民が育てたたくさんの菊の花も市民会館周辺や京街道沿いに飾られている。このように、かつての民間遊園地の集客事業としての菊人形から、市民に根ざした地域文化として菊人形を存続させていく方向で、関係団体や市民が動いているのが現在の状況である2010年秋は、京阪電車開業百周年、ひらかた大菊人形百周年記念として、復活開催された。
(ウィキぺディア)
 ひらかた大菊人形(過去50年間)
 年度−回数−テーマ
1955年−第44回−古今演劇名舞台
1956年−第45回−義経絵巻
1957年−第46回−伝統50年の特集
1958年−第47回−大阪城物語
1959年−第48回−浮世絵風俗絵巻
1960年−第49回−名作絵巻物語
1961年−第50回−中国物語絵巻
1962年−第51回−お国自慢
1963年−第52回−お祭り百景
1964年−第53回−赤穂浪士
1965年−第54回−王将一代
1966年−第55回−江戸
1967年−第56回−汽笛一声
1968年−第57回−ふるさとの祭
1969年−第58回−天と地と
1970年−第59回−古都絵巻
1971年−第60回−天皇の世紀
1972年−第61回−新・平家物語
1973年−第62回−東海道
1974年−第63回−勝海舟
1975年−第64回−にっぽんの祭り
1976年−第65回−伝統65年名作絵巻
1977年−第66回−花神
1978年−第67回−太閤秀吉
1979年−第68回−源義経
1980年−第69回−西遊記
1981年−第70回−おんな太閤記
1982年−第71回−忠臣蔵絵巻
1983年−第72回−浪華
1984年−第73回−宮本武蔵
1985年−第74回−真田太平記
1986年−第75回−武蔵坊弁慶
1987年−第76回−独眼竜政宗
1988年−第77回−武田信玄
1989年−第78回−春日局
1990年−第79回−翔ぶが如く
1991年−第80回−太平記
1992年−第81回−信長
1993年−第82回−炎立つ
1994年−第83回−花の乱
1995年−第84回−八代将軍 吉宗
1996年−第85回−秀吉
1997年−第86回−毛利元就
1998年−第87回−徳川慶喜
1999年−第88回−元禄繚乱
2000年−第89回−葵
2001年−第90回−源氏物語
2002年−第91回−利家とまつ
2003年−第92回−武蔵
2004年−第93回−新選組
2005年−第94回−義経





































































            2010−10−12−490−01−01−OSAKA  



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