下らぬ物

 くだらないは、動詞「下る」に打ち消しの助動詞「ぬ」がついて「くだらぬ」、「ない」がついて「くだらない」となった。
「下る」には、通じるといった意味を示す場合があり、それを「ない」で否定して、「意味がない」「筋が通らない」などの意味となり、取るに足りないの意味に転じたという。
他の説では、上方から関東に送られる物を「下りもの」と言い、その中でも清酒は灘や伏見が本場であるため、「下り酒」と呼ばれていた。
反対に関東の酒は味が落ちるため「下らぬ酒」と言われ、まずい酒の代名詞となり、転じて現在の意味となったとする説があるが、「下りもの」と呼ばれる以前から、「くだらぬ」は使われていたため、この説は考え難い。
 また、日本に農作を伝えたのは現在の朝鮮にあたる百済の人々で、百済の人々を頭の良い人としていたため、頭が悪く話の通らない人を「百済ではない人」と呼び、略され「くだらない」となったとする説もある。
一般的に昔の否定は「ぬ」であり、名詞を「ぬ」で否定することは考えられないことと、「くだらぬ」という言葉が使われ始める遥か前から、「くだらない」が使われていたことになるため、この説も考え難い さらに他の説では、仏教に「ダラ」という九つの教えが有り、その教えが一つもない行為を「クダラが無い行動」と言ったことから、「くだらない」に転じたとする説もある。<br>
仏教用語に「ダラ」を含む言葉は多いが、「ない」は日本の打ち消しなので、日本に「ダラの教え」が伝来してから、「くだらない」になったと考えられる。
そのため、「ダラ」という教えが実在し、日本でも「ダラの教え」が使われていたのであれば有力な説となるが、ダラの教えがはっきりとしていないため俗説と考えられる。
 映画等も年間に作られる数は数多有るが日本に紹介されるのは一部有る。アメリカ映画は日本ではどう言う訳か数多く紹介されるが。他の国では映画賞でもとらない限り余り日本には紹介される事も無い。











































































            2009−08−24−432−01−01−OSAKA  



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