映画リベルタリアス/自由への道 

 劇場未公開・NHK衛星第2で放映の1996年製作のスペイン映画。1936年7月、スペインCNT(全国労働者連合)は軍部・ファシストの反乱に抗して、民衆と共に武器を手に立ち上がった。そしてバルセロナを中心とするカタロニア地方では、アナキズム革命が成立する。そのさなか、女性たちはライフルを手に、アナキストのシンボル、赤と黒の帽子とスカーフを身につけ「ムヘレス・ルブレス(自由な女)」として最前線に赴く。アナキストたちに希望の光は見えるのか。最前線に赴く彼女たちの運命は・・・
 1936年7月、フランコ軍の共和国政府に対する反乱が勃発。スペイン市民戦争の始まりだった。 しかし、マドリとバルセロナでは労働者たちが団結し、軍の反乱は失敗。バルセロナ近くの村では教会を敵対視する労働者同盟によって教会は閉鎖、修道女マリア(アリアドナ・ヒル)も教会を追われる。マリアが逃げ込んだ場所はこともあろうか売春宿であった。そこであやうく売春をさせられそうになったマリアだったが、そこへやってきたのは女性解放同盟の兵士たちだった。彼女たちの目的は、売春婦の解放と意識改革。マリアは女性兵士たちに助けられ、兵士たちと行動を共にするようになる。労働者同盟、イベリア・アナーキスト同盟の側で、軍に抵抗する女性解放同盟の人たち。彼女たちが目指すのは戦場の最前線で戦い自由を勝ち取ることで、武器を持つことこそ自分たちの活動の意味があると考えていた。男だけが戦場に赴き、革命を起こしても女性は自由にならない。男性とおなじ戦場で戦い勝利を獲得すれば、男性と同じ権利を要求できると考えている。「家政婦のように使えて死ぬよりは、男性と同じように戦って死にたい」そんな女性たちの姿はとても逞しく、その中で、(神に)仕えることだけを考えてきた修道女マリアはうろたえるばかり。しかし、おどおどとしていたマリアも彼女たちと行動を共にするにしたがって、少しずつ変化し、自分の意志をもつようになってゆく。まさにスペインの歴史を大きく変えた市民戦争の激動の時代に翻弄される一人の修道女の姿を追った作品。
 気弱で清純な修道女をアリアドナ・ヒルが演じている。彼女とは対照的なたくましい女性兵士たちの面々も有名な女優ばかり。
 スペインの内戦について知らない人にはわかりにくいので、簡単に背景を知っておいてから観た方がよいかもしれない。わたしも最初に観たときはよく理解できなかったし・・・。
 映画は反乱軍側から撮影されて居る為に、正規軍が敵に見えるところが珍奇では有る。最後は悲惨な結末に至るので気の弱い人は最後迄観ない方が懸命かも。
 殺された司祭を見て「なぜ殺すの?」という問いに、「誰かが償いをするの」と答えるピラール。そのことについてはあまり考えないんだという「兵士」としての彼女は、やがて惨たらしく死を迎えることになります。前半のコミカルな展開と後半の息苦しい場面の対比が、あまりにも鮮やかで、思い出として他者が語るセンチメンタルな市民戦争と、それを生き抜いて現在も抱えているスペインのおじいちゃん、おばあちゃんの思いの落差に、想い到るわけです。実際、フランコ側に立った人たちの方が圧倒的に多く存命しているのでしょうから、終わりの方の場面でフランコと思われる優しげな将軍がマリを救う場面があっても失笑などしてはいけない、当然な配慮なのです。残酷なのはモロッコの傭兵たち自身で将軍には罪はない、で、右側も左側も両方に配慮しながら、ではその主幹はと言うと。
 一つは戦争という惨い現実、もう一つは自由を求めて生きた無名の人々の記憶、特にフェミニズムから見た市民戦争です。この視点があるから、この映画は単に歴史再現ドラマではなく、90年代の映画として秀逸だと思うのです。 
 女性は武器を置いて女性らしく革命を支えようという論者に対して、ピラールが噛みつくシーン、武器を取ったから男と同じ権利が手に入ったんだ、私は今嬉しくてしかたがない、もう、以前の「家庭にいる女」には戻らない、という叫びに今のスペイン女性が共感を持つのは当然です。(まあ、でも、そのままいけば、男も女も深夜勤務の企業戦士になっちゃうわけで、シエスタのあるスペインこそ、残しておいてほしいな、とか)
 自由を謳歌する「ふしだら」といわれた女性兵士たちは、組織的軍隊に組み込まれるのを拒否した兵士達といっしょに捨てられて、滅びていきます。最後まで生き延びるマリアは、、修道院で育ち、誰かにすがって命令に従順に生きてきた彼女は、聖書をバクーニンに持ち替えても、その生きる姿勢を変えることができませんでした。 「教会」「アナーキスト」「フランコ将軍」と目まぐるしく変わる時勢を、流さ れるままに見つめてきた彼女の視線は、私達「ふつうの市民」のものです。彼女の姿はちょうど映画「禁じられた遊び」の少女のように、その最終場面のように、後ろを向いて痛々しく、うろたえた迷子の姿をしています。第9回東京国際映画祭(1996):審査員特別賞
  革命運動史
 第一インターの強力な支部を形成したイタリアは、バクーニンの影響を強く受けたマラテスタ、カフィエーロ、コスタなどの指導によりアナキズムが強力に根付いた。ロシアにおいては、ロシア革命(十月革命)後の共産主義政権の独裁に反旗を翻して蜂起したクロンシュタット軍港の水兵たちの運動や、ウクライナにおいて白軍を撃退したネストル・マフノ率いるマフノ運動の存在が大きい。モスクワやペテルスブルクなどの都市部においてもアナキストは、共産党の独裁に対する反対勢力として社会革命党左派(エスエル左派)とも連携し、非合法をも含む様々な活動を展開している。スペインもまたバクーニン以来、アナキズムの根強い地域であり、20世紀前半のスペイン内戦においてアナルコ・サンディカリズムを主張する労組(CNT/FAI)はフランコと対峙する人民戦線側では最大の勢力を誇り、各地で革命を起こしバルセ ロナ市では労働者による自治が行われた。また人民戦線政府の閣僚となったCNT/FAIに対して革命的アナ キズムの路線を貫いたドゥルティや、「革命」とフランコとの「戦争」の二者択一のアポリアに対して「革命戦争」の方向を提示した「ドゥルティの友」の活動も看過してはなるまい。
 19世紀末から20世紀前半にヨーロッパを中心にして、アナキストによる力尽くの体制排除を目的とした暗殺事件が世界中で多発した。当時の世界情勢は概ね帝国主義化しており、中には反帝国主義から事件を起こしたアナキストもいたと思われるが、しかし実際には効果が上がらず、第一次世界大戦以降のアナキズムはアナルコ・サンディカリズムとし精力的に展開され、上述のようにスペイン革命においては革命の中心的勢力となる。しかし、スペイン・アナキズムの主流だったCNT/FAIが革命権力の問題を解決出来ず 、それがその後のアナキズムの後退の始まりとなった。









































































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