無花果いちじく

 イチジク(無花果、映日果)は、クワ科イチジク属の落葉高木。また、その果実のこと。原産地はアラビア南部。不老長寿の果物とも呼ばれる。

 名称

「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見える[1]ことに由来する漢語で、日本語ではこれ に「イチジク」という熟字訓を与えている。
「映日果」は、中世ペルシア語「アンジール」(anjīr)[2]を当時の中国語で音写した「映日」に「果 」を補足したもの。通説として、日本語名「イチジク」はこれの音読「エイジツカ」の転訛とする[3][4]。 中国の古語では他に「阿駔[5]」「阿驛」などとも音写され、「底珍樹」「天仙果」などの別名もある[要出典]。
 伝来当時の日本では「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐柿(とうがき)」など呼ばれた。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである。
属名 Ficus (ficus)はイチジクを意味するラテン語。 イタリア語: fico, フランス語: figue, スペイン語: higo, 英語: fig, ドイツ語: Feige など、ヨーロッパの多くの言語の「イチジク」はこの語に由 来するものである。

 形態・生態

 葉は三裂または五裂掌状で互生する。日本では、浅く三裂するものは江戸時代に日本に移入された品種、深く五裂して裂片の先端が丸みを帯びるものは明治以降に渡来したものである。葉の裏には荒い毛が密生する。葉や茎を切ると乳汁が出る。
初夏、花軸が肥大化した花嚢の内面に無数の花(小果)をつける。このような花のつき方を隠頭花序(いんとうかじょ)という。雌雄異花であるが同一の花嚢に両方の花をつける。栽培品種には雄花がないものもある。 自然では花嚢内部にはイチジクコバチが生息し、受粉を媒介する。日本で栽培されているイチ ジクはほとんどが果実肥大にイチジクコバチによる受粉を必要としない単為結果性品種である。
果実は秋に熟すと濃い紫色になる。食用とする部分は果肉ではなく小果(しょうか)と花托(かたく)である。

 歴史[編集]
原産地に近いメソポタミアでは6千年以上前から栽培されていたことが知られている。地中海世界でも古 くから知られ、古代ローマでは最もありふれたフルーツのひとつであり、甘味源としても重要であった。 最近の研究では、ヨルダン渓谷に位置する新石器時代の遺跡から、1万1千年以上前の炭化した実が出土 し、イチジクが世界最古の栽培品種化された植物であった可能性が示唆されている[6]。
日本には江戸時代初期、#名称節にもあるように、ペルシャから中国を経て、長崎に伝来した。当初は薬 樹としてもたらされたというが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、挿し木で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにもひろく植えられるに至っている。
食用[編集]


 乾燥イチジク
 果実は生食するほかに乾燥イチジクとして多く流通する[7]。
生果・乾燥品ともに、パン、ケーキ、ビスケットなどに練りこんだり、ジャムやコンポートにしたり、スープやソースの材料として、またワインや酢の醸造用など、さまざまな用途をもつ。ほかにペースト、濃縮果汁、パウダー、冷凍品などの中間製品も流通している。日本国内では甘露煮にする地方もある。
果実には果糖、ブドウ糖、蛋白質、ビタミン類、カリウム、カルシウム、ペクチンなどが含まれている。クエン酸が少量含まれるが、糖分の方が多いので、甘い味がする。食物繊維は、不溶性と水溶性の両方が豊富に含まれている。

 その他の利用
 熟した果実、葉を乾燥したものは、それぞれ無花果(ムカカ)、無花果葉(ムカカヨウ)といい生薬として用いられる。イチジクには整腸作用があり[8]、果実を干したものは緩下剤に使われた。 また果肉や葉から出る乳液にはゴムに近い樹脂分が含まれるが、民間薬として、痔や疣(いぼ)に塗布したり、駆虫薬として内服した。
 またイチジクの樹液にはフィシンという酵素が含まれており、日本の既存添加物名簿に収載され、食品添加物の原料として使用が認められている。 ほかにイチジク葉抽出物は製造用剤などの用途でかつて同 名簿に掲載されていたが、近年販売実績がないため、2005年に削除された。

 『旧約聖書』の創世記(3章7節)に「エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイヴは、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉で作った腰ミノを身につけた」と記されている。また、『新約聖書』のルカによる福音書には、実のならないイチジクの木のたとえ話が記されており、実がならないイチジクの木を切り倒すのではなく、キリストは実が実るように世話をし、肥料を与えて育てたという。イチジクは聖書の中でイスラエル、または、再臨・終末のたとえと関連してしばしば登場する。
 古代ローマの政治家大カトは、第一次・第二次ポエニ戦争を戦った敵であるカルタゴを滅ぼす必要性を説くため、演説の中でカルタゴ産のイチジクの実を用いたと伝えられる。イチジクの流通は乾燥品が中心であった当時において、カルタゴから運ばれたイチジクが生食できるほど新鮮であることを示し、カルタゴの脅威が身近にあることをアピールしたのだという。
 尾張地方の一地域で夏至にイチジクの田楽を食べる風習がある。































            2012−12−01−550−01−01−OSAKA  



                     HOME
                  −−戻る 次へ++