石橋の上の花嫁御寮

 むかし、むかし、あるところに、それはそれは元気な男の子がいたそうな。かけっこをしては村一番だし、木登りさしても村一番だし、喧嘩をしても負けたことが一度も無かったのである。権太朗と言うその男の子の日課は大人でもてこずる大きな雄牛の世話をすることだった。子供が雄牛の世話をしていたのである。しかしである、元気すぎると言うかその悪ガキぶりは、近隣八ケ村にまで知れ渡ってしまっていたのである。
 おかげで、其のガキ大将は大人に成っても縁談にはめぐまれず。不愍に思ったお婆さまは八ケ村の娘御を探し捲くったのでした、娘御ならだれでも良かったのである。しかしながら嫁御に成ろうと言う様な、娘御など居るはずも無かったのである。かっての庄屋でも有った名門の一家でも世取りが居なくては、成り立たた無かったむかしのはなしである。親類、縁者、遠縁の者にまでお願いいたしましたが、ついに吉報は待てど、暮らせど、届か無かったのでございました。
 一方、権太郎の方はと申しますと、女のことなどまったくの関心がなかったのである。ときには、馬に乗って野をかけめぐり、ときには、竹刀を振り回しては汗を流し、草の上で大の字に成って昼寝をしては、国の未来を憂いて居たのでございました。
思い倦ねたお婆さまは、ついに佐太の天神宮に願掛けをなされたそうな。其の願いが叶うたのか、ある日のこと、村はずれの石橋のところでで思わぬ珍事が。こともあろうに花嫁行列が進むも成らず、戻るも成らず、石橋のところで立ち往生してしまったのだった。 たまたまそこを通り掛かった、権太郎は見るに見かねて。
「どうなされたました、この様なところで・・・」
 花嫁御寮の申されますのには、いましがた、さきさまから、花婿が駈け落ちしてしまってもう居ないと言う知らせが、花婿の居無いさきさまへ、輿入れするわけにもいかず、されとて、この儘戻っては、出戻りだと一生言い続けられるし、思案に倦ねておりますとか「親御を説き伏せる事も出来ず、駆け落ちをするような男に将来の期待はなか、諦める事じゃ、でも、この儘帰っては、良からぬ噂をする者も居るだろうし、困った物だ・・・」「しかしながら、困たことじゃのう。女にとっての一生の大事。思案に倦ねるのも分かりますがのう、いつまでもこのような所で、立ち往生というわけには・・・」
「・・・」蓮の花が咲き乱れ、静けさのなかの、気だるい様な夏の日の午後の事であった「真につかん事を聞きますが、気を悪くせんで。そなた飯を炊く事が出来ますかいな」
「はあ?・・・」嫁御は最初何の事か判らなかったのでしたが。「ご飯ぐらい炊けますがな、あんまり女を馬鹿にしないで下さいまし。そなた、あの権太郎殿ですね。」不運な。「こんな時に、人の弱みに着け込む様で心苦しいが、飯炊きが居なくて往生して居る。わしは美人には全く関心が無か、飯が炊ければ充分じゃ、何も言うことが無か、女は少々不細工でも良か、元気が一番じゃ、遠慮はいらん、家には女は婆さまだけが居るだけじゃ」 花嫁御寮はブスーとして。「そんなに私は不細工ですかいな。」と聞き返したとか。 花嫁行列は往生こいて、とにかくひとまず、言われるままに、権太郎の家敷に入ったのである。権太郎のガキ大将ぶりをしらなかた分けでは無かった嫁御だが。むかし、狂った雄牛が川向こうであばれ捲くるて居たので有る。小川には朽ちた古柱一本が掛かって居るだけで、其の細い橋を誰一人、牛が渡れるとは、思わなかったので有る。だが、信じられない事が起きたのである。其の時、其の橋を雄牛が渡って来たので有る。其の時の雄牛を追っぱらってくれたのが、彼の権太郎で有った。二度も助けてもらったので有る。
花嫁衣装を着替えてから、門の傍の厠を借りた後嫁御は、早速、飯炊き仕事を指せられたのでした。大釜で炊く白飯にも其れなりに技術が居るので有った。
飯を炊いて居ると、母御が娘御の側に来て。何を勘違いしたのか。
「もういっそのこと、ついでに、ここの嫁に成ってしまえ。」と言い出した。
「おっかさんたら、何を勘違いしているの。」娘御は呆れかえってしまって居たとか。
其れを聞いて居た、権太郎は。
「よか、よか、好きなようにしたらよか。」
 なんともおおらかなむかしのはなしである。二人はそのうち夫婦になり。嫁御はそのうち元気な男の子を四人も生み、そのうちの一人は国を動かすほどの人物になったそうな。 お婆さまの願いは聞きとどけられたのでございました。めでたし、めでたし。
         (「或る昔話」依り抜粋、オリジナルで有る。)

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