猥褻か芸術

 小説や映画なら猥褻か芸術か議論も有ろうが、巷に溢れ返るアダルトビデオに芸術性を要求するのは酷な様にも思えるが、同じシリーズ物で女優のみが変わる物が多い中で、出来栄えに可也の差が存在する事からも、芸術性が確かに存在する事が感じられます。パッケージの写真に釣られて買ってしまい騙されたと思わ無い為にももっと芸術性を追求しましょう。
 アダルトビデオの世界も需要と供給が厳然と存在する。世の中の人々は皆幸せを望み乍も、幸せとは限ら無い。恋愛のした事の無い人も多い、婚期を逃した人も多い。性欲は生命の根幹に位置付けられる丈に満たす為には相手を必要とし、食欲の様に手軽に満たせる物では無い。満たされる事が無い丈に需要が根深い。アダルトビデオは猥褻で有れば有る程良く売れ、芸術性は度外視されてしまって居る。採算が取れれば良いの有る。
 人の性欲に関する嗜好も千差万別で有る、其のジャンルの多さからも、人のの深層心理の不可思議を垣間見る思いがする。病的な変態性性欲異常者は論外としても多くの人の心の中に、隠された嗜好(フェチシズム)が存在する。一部を持って全体を論じるのは誤りで有る。異性の性器に関心が有るのは当然としても性器以外の物にも嗜好が強い。女性の衣服や下着や帽子や髪の毛や履物に迄及ぶ。女性の乳房は男の憧れでも有る。大きければ良いと言うもので無いが、子供の頃の母親への思いの記憶がそうさせるのか多くの男性の性的な嗜好の対象でも有る。不思議なのは性器に隣接して居る為に汚い排泄行為まで性的な嗜好の対象に成り得ると言う事で有る。男性と違って女性は排尿の為には性器や御尻を曝け出さなければ成らず、羞恥心も生まれ当然と言えば当然で有る。交接後に尿意を覚える女性も多く、中にはアクメに達すした時に感極まって失禁する女性も居るのか性的な嗜好に成り易い。尿は糞程五感を害しない。又排尿は快感を伴う場合も多い。昔と違って道端で用を足す女性等見掛ける事が無い為に興味を抱く男性も多い。 美しい貞淑な人妻風の和服を着た淑女が、暫く話をして居たと思ったら、突然大股を開いて猥褻な行為を行うので有る。自慰をしたり、男と交接したり、御風呂に入ったり、便所に行ったりで有る。日常的な世界で有り乍、非現実的な虚構の世界。何が猥褻で何が芸術かは紙一重の世界でも有る。
 アダルトビデオ、DVDを買う人は圧倒的に男性が多い為に虚構の世界も其が反映されて居る。男性上位で矢鱈偉そうにする男が多い、現実の反動か。数多有るアダルトビデオの中で、自慰や男女の交接や裸や性器の露出を伴わ無い、不可思議なジャンルが存在する。尿失禁の世界で有る。男なら道端の立ち小便も不可能ででは無いが、女性は恥ずかしくて出来無い、我慢をするしか無いにで有る。其れ丈をテーマにしたDVDも売られて居る。尿意を我慢する女性に興味を抱く男性も多いのか不思議なエロチシズムの世界で有る。
 糞尿が人肥として売れた昔は、何処の御店も喜んで便所を貸して呉れたが、最近は客以外の人の使用を禁じる張り紙をする店迄有る。公衆便所も少なく探すのも旅行客にとっては大変で有る。男なら道端で立ち小便も出来るが女性はそうも行かず只管我慢を強いられるので有る。迂闊に道端で用を足してしまっては軽犯罪で捕まりそうでも有る。難儀な時代でも有る。便所での排尿を厳しく躾けられた女性にとって道端での放尿には恥ずかしく耐えられ無い屈辱的な事に違い無い。尿失禁したらもっと恥ずかしい筈では有るが。エレベータの故障や高速道路での事故等で長時間の停滞に巻き込まれたら女性は大変で有る。
 女性は尿道が短く、男の様に意志に従って強力に尿道を締め付ける隔膜尿道括約筋が強力では無く、専ら膀胱括約筋で尿の漏れを防いで居る。この括約筋は意の儘に成らぬ付随意筋で有る。其の為、女性は笑ったり、咳やクシャミで洩らしてしまい易い。出産の大事の為に一部を犠牲にして居るので有る。自然の摂理で有り神を怨んでも仕方が無い。大自然が便所で有った大昔ならば何の問題も無かったが、男女同権を履き違え女性にも重労働を強いる人も居る現代では暖かい思いやりが大切で有る。
 女性の尿失禁に関心の有るのは日本の男丈かと思って居たら、外国人も意外と多い、インターネット上でもウエットセックスに関するサイトも意外と多い。日本からのアクセスが多いのか日本語のページすら有る。美しい白人女性の淑女が其の様な事をし続けて居るのも真か不思議な世界で有る。日本人の様に陰湿な悲惨さが無いのは一つの救いで有る。重要なのはスタッフの為に演じて居るのでは無い事で有る。
 アダルトビデオは少しでも多くの人に買って貰うために御好み風に色々盛り沢山で有りが多い。一つのテーマ丈を追求した作品は不思議な存在で有る。自慰や男女の交接や全裸の出て来無いのが不思議な存在で有る。男女の交接が正常で、其れらが出て来無い事がアブノーマルに分類されってしまって居るのも可笑しい話でも有る。男には加虐症(サディズム)の気が有り。女には被虐症(マゾヒズム)の気が有るとでも言うので有ろうか。便所でしてしまえば何の事も無い事が、便所に行け無い状況を敢えて設定しての撮影で有る。健気に必死で尿意を我慢するう女優達。不思議なエロチシズムで有る。御産に似た大事の後の開放感が快感に通じるのか、女の強かさが有る 恥じらいと快感は紙一重の世界でも有る。猥褻と芸術も同様で有る。女の恥じらいと法悦的な快感の表情を芸術と思い込んでしまう人も多い。
 最近はインターネット上でDVDの販売やダウンロード販売を行って居るサイトも多い。そのジャンルの多さに人の性欲の嗜好の多さに驚かされてしまいます。数多のDVDの中から猥褻な作品は数多有れど芸術作品を探し出すのは至難の業でも有る。芸術とは何か。生理的な弱さの甘えや幼稚さが男の愛しいみが生まれるので有ろうか。鋭い牙と鋭い爪を持ち、内部に野生を秘めた家猫が空腹に成ると人の足に纏わり着き甘えるので有る。数多の野生動物が人間を見て逃げ出すしてしまうのを思うと、猫の強かさには思うべき所が有る。寒い晩には人の布団の中に迄忍び込むので有る。猫も又強かで有る。女も同様で有る。 恥じらいと甘えが男心を擽るのか、男女平等化の弊害か女心を得る為に命を掛けて争うとする気概の有る男も少なく成った。昔から男達は良き女を求めて競って来たので有る、女も負けた男に付いて行く理由は無かったので有る、非情な世界でも有った。満たされ無い事は分かって居ても、何が満たされ無いのかが分からない現代人の不幸が存在する。芸術作品も明日に希望の持てる物でなくては成らない。何もしない内に人生が終わってしまわ無い様に良く考えましょう。



         2006−02−26−107−01−OSAKA




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