家畜の諭しと癒し

 最近のマンション等の集合住宅等では動物の飼育を禁じる所も多く、昔の様な、牛や馬、鶏や兎、犬や猫の家畜と一緒に暮らして居た生活が懐かしい。昔は牛や馬も良く仕事をして居たので有る。
 マンション暮らしでも思いも掛けない事も有る。庇の隙間に雀が巣を作ったり、鳩はベランダに巣を作ろうとしたりもする。大都会のオフィスビルでも隼が巣を作って子育てをしたりもすることが有る。或る日網戸に烏が羽を広げへばり付いて部屋の中をう窺がって居た事が有ります。烏は犬や猫を襲ったりはしないが、犬や幽霊の掛け軸には関心が有るのか思いがけない行動に出る場合も有る。網戸は穴が開いてしまうし糞で汚されるわで大変で有った。絵の生き物を動か無い為に死骸と勘違いしたので有ろうか。死肉を貪る、野生の本能が其うさせるのか。鳥が人を襲う恐怖を描いたヒッチコックの「鳥」は余りにも有名だが、実際は子育ての時に雛を守る為に人を襲うので有って、無闇には人を襲ったりはしないので有る事は救いだが、死体なら襲われ無い保証は無い。烏も数羽が空に舞って居る丈では問題は無いが、時には百羽以上も何処からか集まって来て頭上で乱舞されると恐怖すら覚える。ゴルフのプレー中のゴルフボールを盗む烏も居る。卵と間違えてでは無い。人を困らして遊んで居るので有る。子供達に悪さをする憎い烏を事も有ろうに学校の先生がゴム銃(パチンコ)で撃って仕舞い散々の非難を受けた事が有る。狙っても 滅多に当ら無いのに。都会では鉄砲で撃たれる事が無い為に遣りたい放題で有る。
 外国の或る国では現代でも鳥葬を行って居る所も有る。死者を鳥に食べさせるので有る。鳥が食べ易い様に死者を切り刻んだりもします。何処の国でも死んだら悲惨で有る。土葬で土に埋められる所も有れば火葬に伏し、火に焼かれるので有る、風葬や鳥葬も有る。遺体を永遠に保存する為に昔は内臓を取り除き防腐剤を使ってミイラも作られたので有る。生きて居る内が花で有る。
 座敷の隅に鼠の頭と尻尾が有るのを見て驚愕した経験の有る人も多い。飼い猫が鼠を捕まえて食べ残して居ったので有る。家猫も野生其の物で有る。内部に野生を秘め乍、人の膝の上で寝たりもするので有る 数多い家畜の中でも猫は特筆すべき存在で有る。犬も放し飼いは出来るが現在では法律で禁止されて居る。猫は御外に出たい時は出て行き、又帰って来るので有る。他所で何をして居るかは気にもしないので有る。無責任が通るので有る。家猫に鶏を襲われる事も有る。野生の本能を持ち乍、人の膝に載り、布団の中に忍び込むので有る。座敷に新聞を広げて読んで居ると背中に載ったりもするので有る。其の強かな生き様には学べき事も多い。
 家猫にとっては人の寝床の中が最も安心の場所で有るので有ろう、枕元で御産した猫が未だ胎盤の着いた子猫を咥えて人の寝床の中へ入れようとしたので有る。猫の御腹は羊水でべとべとで有った。家畜も子供の情操教育の一躍を担て居るので有る。猫の嬉涙を見た子とゲームしかしない子とでは大きな違いが有る様にも思える。集合住宅での猫の飼育を禁じる人の罪は計り知れない。パソコンでは出来ない様な事を色々とするので有る。出産が近づくと人に救いを求めるかの如くに甘えたりもする。猫も嬉泣きをするので有る。動物にとっても御産は喜びで有るので有る。枕元で御産されカッターシャツを汚されても、猫の嬉し涙を見てしまった感動の方が一生の宝でも有る。我が子が目が見える様に成り、ヨチヨチ歩きが出来る様に成ると、家族が囲んで世間話をして居ると真中へ我が子を咥えて来て、御披露目を自慢げにするので有る。我が子を人に触らせる野生動物が居るで有ろうか。人に対する信頼でも有るので有ろうか。暫くして「有難う、もう良いよ、巣に戻したり」と言って巣の方を指差したら人の気持ちが分かったのか子を咥えて巣に戻した。猫も人の言葉は分から無くても、手話の如くに手の動きを見て察しうを付けて居るので有ろうか。猫は傍に来ても勝手には膝の上には載ら無いので有る。載って良いか聞きよるので有る。手で合図を送ってやると直ぐに飛び乗って来るので有る。
 猫は自由奔放で有る。首輪を付けて鎖で繋がれるのを極端に嫌います。其を知って居乍鈴の付いた首輪を付ける人も居る。鈴の音の為に鼠が取れません。罪な話で有る。
 家猫は誠に不可解な存在で有る。初めて訪れた客の膝の上にも平気で載ったりもする。道端で昼寝をして居て、通り掛かりの旅人に体を触られても平気で有る。田舎では猫に悪さをする人等居らぬので有ろうか。人への信頼か其れとも家具程度にしか思って居ないのか強かで有る。御外に出ては野性動物の様な自由奔放な生活をし乍、腹が減ると人の足に纏わり着き甘えるので有る。喉が渇くと人の入って居る風呂に迄入って来るので有る。玄関が閉まって居て御外に出られ無いと態々奥の部屋迄催促に来たりもする。水洗便所を使う猫すら居るので有る。
 子供の頃、隣の裏の家の飼い犬が座敷に上がり込んで襖に小便を引っ掛けて居るのを見てしまい、唖然としてしまった記憶が有る。犬を座敷に上げる習慣を付けると思わぬ悪さをしでかす物で有る。最近では中型犬ですら座敷で飼うのが当たり前の如くのテレビコマーシャルを目にして呆れる事も多い。昔は犬は外で猫は座敷でと住み分けて争いが無かったのに。猫は犬の鎖の間合いを保ち大回りをして悠然と歩いて居ったので有る。犬が突然に襲って来ても届か無いので有る。猫の方が上で有った。昔は犬は大地に耳をつけて寝て居って、人よりも先に異変を察して飼い主に知らせて居ったので有る。世の中には悪人も多く今も犬の番犬としての価値は色褪せては居無い筈なのに。飼い犬に手を咬まれると言う諺も有る。事実飼い犬に咬まれて怪我をする人も多い。吼えられると煩いと甘やかすと命取りに成ります。
 以前に雨後の水溜りに野良犬が突然寝転がるのを目にしました。犬もたまには風呂に入りたかったので有ろう。犬は寒さに強く雨位平気な筈なのに、最近犬に服を着せる人が居る。立派な毛皮を着て居るのにで有る。
 昔は馬車が馬力によって道を走り、牛車が牛に引かれて荷物を運んで居たので有る。牛や馬が田畑を耕して居ったので有る。荒起こすをし、仕上げをして終わりだが念の為にもう一度仕上げをしようと思ったら、牛や馬は言う事を聞きません。余計な事はせんで宜しいと諭すので有る。人の思いは通じ無い物でも有る。



            2006−03−11−109−01−OSAKA



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