甘えの美学

 殆どの野生動物は人を見たら逃げ出してしまいます。長い歴史の中で人間から如何に酷い目に遭わされて来たかが分かります。ガラパゴス諸島の様に人が滅多に訪れなかった島では人への恐怖も無く人を無視しての自由気儘の生活で有る。野生動物と仲良くしたい心優しい大人や子供達にとっては現実世界は余りに無慈悲でも有る。動物園の檻の中へ食べ物を摘んで入れた酔っ払いが指まで食べられた事件すら有る。野生動物の遺伝子に人への恐怖が書き込まれしまって居るので有ろう。野生動物でも餌付けえをすれば可也人にも懐く様で有る、鳶の様な猛禽類も人の手から直接餌さうを捕ったりもします。手の甲を向けると掴められ無いと分かって居るので有る。最近では都会では鉄砲で撃たれる事も無く、烏や鳩は人を恐れ無く成りました。雀ですら人を無視して餌さを啄ばんで居ます。昔は20メートルも先でも人を見たら飛び立って居た雀がである。手が届きそうに近づいても逃げません。ヨーロッパでは雀も餌付けされてしまって居るのか人と仲良くして居ます。手乗り文鳥の様でも有る。烏は人を恐れず遣りたい放題で塵袋を突付いて塵を撒き散らかす有様で有る。公園で鳩に餌さを与え無いで下さいと無粋な看板が吊ら下って居たりします。餌を遣る心優しい老人は犯罪者扱いで有る。以前に鳩に避妊薬入りの餌さを与えて捕まった人も居ます。鳩は平和のシンボルでも有り。繁殖し過ぎても駆除も出来無いので有る。住民の悩みは永遠に尽きる事が無い。
 家畜の中でも猫の存在は不可思議の限りで有る。座敷の上を悠然と歩く姿は野生動物其の物でも有る。鼠を捕らえて食べたりするので有る。座敷の隅に鼠の頭と尻尾が残って居るのを見て驚愕した人も多い。昔から餌さを遣り過ぎると鼠を捕ら無く成るのでたまにしか与えません。猫も飼われて居るとは思って居ません。そんな猫で有るが猫の方から人に近づいて来て、何やら甘えるので有る。子猫が人を親と間違えて甘えるのは当然としても、成体に成った猫も人に甘えるので有る。人の足に纏わり着き甘えて鳴くので有る。屋外で猫同士では決して見せ無い甘えの世界で有る。野生動物に見詰められる経験が皆無の現代人にとって、人をジーと見詰める猫の存在は大きい。座敷で昼寝をして居ると傍に遣ってきて片足を御腹に載せて、載って良いか聞くので有る。黙って載ったら叱られるのが猫にも分かって居るので有ろう。野生の本性を内部に秘め乍、人の膝の上に載のりたがり、人の寝床に入りたがるので有る。人に甘え、気持ち良さそうに喉を鳴らしたりもするので有る。人の膝の上に載れば背中を撫でられのは最初から分かって居るのにで有る。猫にとっては人に身体を触られえ程度の屈辱は我慢が出来無い程の事では無いので有ろう 真夏で蚊帳を吊って居た蒸し暑い時でも人の寝床に潜り込みたがるのを見ると、必ずしも寒さ避け丈では無い様で有る。人の寝床が猫にとって最も安心の場なんで有ろう。以前に枕元で御産をしてしまった猫が子を銜えて私の寝床に入れようとした事が有る。人の寝床を自分の巣と思って居るので有る。猫の鳴き声が赤子の泣き声にも似て居て、大きさも赤子に似て居て、人の猫への想いは特別で有る。甘える事で人の心を操る猫は一体何を思って居るので有ろうか。度々猫を呼ぶと振り向くのが面倒なのか尻尾で返事をしよるので有る。
 最近親に甘え無い子が増えて来ました。夜遅く迄勉強に追われてか、親と顔を合わす事も無いのか。親も小遣いを充分与える事が親の愛と思い込んで居るのか。親も子供に甘えられたい筈なのに、小遣いが底を尽いた時丈親に甘えるので有ろうか。欲しい物を親に何でも買い与えられ直ぐに飽きてしまう子供達。直ぐに大きく成ってしまい、甘えたく成っても甘えられ無く成ると言うのに。大人に成っても人は親には甘えたい物で有るが、親が亡く成ってしまっては其れも出来無いと言うのに。
 野良犬に飼い主と間違えられてかひつこく自転車を追って付いて走って来られて、仕方なしに飼った人も居ます。甘え方も様々で有る。犬は良く吼え、甘えて居るのか威嚇して居るのか。煩く吼えれば何でも叶うと思われてか際限無く吼えるので有る。犬を甘やかすのは間違いで有る。叩くのも愛で有る。犬に服を着せる人も居ます。立派な毛皮を着て居てで有るう。中型犬を座敷で飼う人さえ居る。犬は大地に耳を着けて寝て長い間番犬の役にたって来たのに。犬を甘やかし飼い犬に手を噛まれて初めて自分の間違いに気が着くので有ろうか。
 男にとって女性への想いは複雑で有る。母親の様に甘えたい気も有れば、子供の様に甘えられたい気も有る。最近男に甘え無い女性も増えた。第一線で仕事をして居れば、周りの男では物足り無いので有ろうか。当然婚期も遅れます。晩婚に成れば産める子の数も少なく成ります。何が人生の得に成り損に成るのか良く思案の為所でも有る。
 恋愛映画も珍奇で有る。作り話、虚構の世界の事を言っても始まら無いが、女に結婚する気が少しでも有れば最初から嫌味な事は言出さ無いと思うので有るが。会えば喧嘩ばっかりして居る男女が最後には結ばれる意外性がうけるか、観客を焦らすテクニックか。今まで偉そうにして居た女が突然に甘えたりするので有る。女の心の中に何が起こるので有ろうか。女心は男には永遠に理解出来無い。恋等した事の無い男の僻みで有ろうか。
 エロチシズムの不可思議が其処に存在する。恥じらいと甘えが男心を刺激するので有る。水着の女性より和服の女性の裾の乱れの方がエロチシズムが発生するので有る。不可思議な世界で有る。見てはいけないと言われると見たくなるし、触ってはいけないと言われると触りたく成るので有る。してはいけない禁断の不倫に走る男女も以外と多い。最近何故かスカートを履か無い女性が増えて着ました。確かに作業にはズボンの方が機能的では有るが。ズボンをパンツと言って憚らない女性、春風の悪戯を期待する殿方も多い筈なのに。機能性の為に失われたエロチシズムの大きさに気が付か無い淑女も多い。
 今やインターネットで全世界のエロチック映像が無料、有料でダウンロードが出来る時代でも有るが、氾濫するハードコアセックス映像のの中でサイトの開設当初の映像、クラシックな映像の方がエロチシズムを何故感じるので有ろうか。恥じらいと甘えが男心を擽るので有ろうか。かっての大和撫子は一体何処へ行ってしまったので有ろうか。以前の大和撫子は欧米の男性の羨望の的で有った。珍奇な映画の氾濫の御蔭で外国女性は皆破廉恥な者と思い込んでしまって居る人も多いが。恥じらいと甘えでエロチシズムは表現出来る物で有る。猥褻も芸術に成るので有る。甘えの美学が生きて居る証としての日常生活の中にも存在する。生理的な要求までエロチシズムの表現に成るので有る。御下劣の中にも芸術が花咲くので有る 恰も泥田に咲く蓮の花の如くに。生きて居ると言う事、やや子を授かり生めると言う事は其れ程素晴らしい事なので有る。
 若い頃の母親への想いは還暦真近に年いっても決して消える事が無い、襁褓を換えて呉れて居た頃の若かりし母の面影は生涯消える事が無く。母に似た女性と夫婦に成る男も多い。顔も夫婦は良く似るので有る。
 年月の経つのは速く其の内親も亡く成り、孝行をしたくても出来ず、親に甘えたくても甘えられ無く成る時が必ず遣って来るので有る。人の子も子供の内は大いに親に甘えれば良いので有る。人は天下を取っても親には頭が上がら無い程の恩を受けて居るので有る。



            2006−05−06−121−01−OSAKA



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