カ ラ ス の 飼 育

 凶悪な事件が相次いで発生しています。人の心は何処まで鬼畜に成り下がれるのか。親殺しの大罪を犯す少年も居ると言う現実から目を背けては成ら無い。
 容疑者が年少者の場合は、名前も顔写真も現場写真も出ません。一方被害者は名前を公表され、顔写真も載せられ、日本中に晒者に成って居るのが現状です。更に○○さんが殺された事件と言い続けられます。殺された事が事件だと誤解する人は居無いでじょうが、何か悪い事をして、殺されたかの様な印象を受けます、報道の有り方に疑問を持ちます。容疑者が年少者の場合は、名前も顔写真も現場写真も出ないので、人は七十五日も経た無い内に事件を忘れてしまいます。蛮行が世に蔓延して居る為、人の心も麻痺してしまっています。其の上、良識が有る筈の弁護士までも、被害者の無念の思いを逆撫でするかの様に、容疑者が年少者で有る事、心の病気で責任が取れ無い事、死刑は廃止すべきだ等々言い出します。殺された人は殺され損か?
「飼い犬に手を咬まれる」「恩を仇で返す」と言う言い方の他に、西洋では「飼っているカラスに目を突つかれる」とも言う所も有るそうな。日本ではカラスなど飼うような人は居無いでしょうが。飼育している鵜に目を突つかれる鵜匠はいるそうな、気を付けましょう。カラスよりかは賢い犬も、餌を余り美味しそうに食べてしまったので、もっと餌を入れてやろうとうっかり器に手やると、取られると思ってか飼い主の手を咬んだりもするそうな、毎日餌を貰って居るお婆さんを咬み殺したりもするそうな、明日から誰に餌を貰うつもりだったんでしょうか、いやしい事です。犬よりかは賢い猿も、後から生まれた飼い主の赤子に嫉妬して、赤子を咬み殺したりもするそうな、浅はかな。猿よりかは賢い人間も、犯罪を犯してしまった子供が、犯人の親として世の晒者にしたく無いと言うもっともらしい理由をつけて、更に親殺しの重罪を重ねたりもするそうな、愚かな。子を産み、お乳を与え、おむつを交換し、長年苦労して育てて来た、信じきって居た我が子に殺された被害者の無念の思いは筆舌に尽くせない物が有ります。
 映画「カラスの飼育」は其の様な飼って居るカラスに目を突つかれる事をテーマにした珍しい映画です。姉夫婦が相次いで死んで、姉の三姉妹を引き取る羽目に成った、未だ結婚もしても居無いうら若い叔母の奮闘の物語です。三姉妹を世話す丈でも大変なのに、懐かず殺されそうに成ると言う、やるせない思いをテーマにしています。継母として立派な子に育てようと、厳しく躾けるれば躾けるほどに反感をかわれる叔母、三姉妹にとって叔母は権威と秩序の象徴でしかなかった。次女は時々夜中に家の中をを徘徊しては、優しく懐かしい亡き母の幻影と対話し、思い出と空想を彷徨い始める。姉妹に起きた夏休みの出来事を、何気ない日常生活を通じて、幼く純粋な少女の視点から現実と幻覚を交錯させて描いています。此の映画の背後には自由を抑圧する政治に対する反感の思いが込められて居ます。余談ですが継母のイメージが日本と西洋では少し違う様な印象を受けます。日本では本当の母親に成ってしまいたい思いが強いのに、西洋では叔母はいつまでも叔母であって母親とは呼ばせないみたいでよ。因みに母親役の女優はあのチャップリンの娘です。 信じきって居た人に突然裏切られた衝撃も分かりますが、信じるべき人が居無いと言うのも、又現実です。テレビのトーク番組ではおかしな事を言い出す人ばかりを集めて居ます,真面目に質問に答えて居た、外国人が気の毒です。選挙の時には、信じきって一票を投じて当選させた政治家が、或日突然おかしな事を言い出したりもします。よそみをしていると、目を突つかれかねません。政治家はもとより、教育者や宗教家の信頼まで揺らいで来て居ます。最も良識や信頼が必要とされる裁判官まで、裁判員制度の導入で、法律用語も満足に判らない、ド素人に強制的に参加させようとしています。アメリカの陪審員制度の真似か。無作為に選出する事が問題です。資格試験等を実施し、合格した或る程度良識の有る人から選出すれば良い物を、わざとそうし無い分けが有るのでしょう。選出されたら大変です、出頭しないと罪になりますし、原則として断れません。うっかり秘密を漏らすと、又、罪に成ります。選ばれたら如何しょうかと国民に恐怖を与える事で、司法に関心を持たせるのが狙いとしたらとんでもないことです。今後の動向に注意しましょう。(映画「カラスの飼育」はカンヌ映画祭受賞作品では有りますが、レンタルビデオ店でも見かけたりもしますが、内容が暗く陰湿な為、余りおすすめ出来ません、悪しからず。)



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