習作の為の習作(エチュード)

 名だたる大芸術家とも成れば、没後何年も経ってから、下書きの如くの習作、練習用の作品、一枚の紙切れが法外な高値が付いたりもする事が有る。一軒の家が買えるので有る。売れない芸術家にとっては羨ましい限りでも有る。ゴッホやモジリアーニの様に没後に名を上げた芸術家も多い。死んでから高い評価を得ても本人には分ら無いので有る。人の人生は過酷でも有る。売れない頃は皆、貧乏して苦しんで居ったので有る。昔は写真と言う便利な物が無く、下書きが重要な資料でも有った。絵の勉強も師匠の絵を手本に正確に模写するのが修行で有ったので有る。誰も見た事の無い、龍の絵を今にも動き出しそうに見事に描き切った絵師も、虎の絵と成ると猫の様に成ってしまったりもするのである。現存する虎や象より架空の、想像上の動物の方が生命感に溢れるのも不可思議な世界で有る。日本の浮世絵が西洋美術に影響を与えた事は、日本人として誇れる事の一つで有る。アット驚く奇抜な構図、大胆な色使い、単純で力強い線、ゴッホですら一目を置いたので有った。絵の手習い用に書かれた、北斎漫画の今にも動き出しそうな描写は世界的にも評価されて居る。芸術家の下書きを見れば作品を作るに到る作者の苦悩や迷いが読み取れる場合も有る。作品を完成させる為に何枚もの下書きを繰り返し、苦労を重ねたので有る。
 長く都会に住んで居る人が田舎のホテルに泊まって、蝉が煩い、烏が煩い、蛙が煩いと言い出すので有る。呆れた話で有る。当たり前の事が当たり前で無い現代人の病根が其処に存在する。猫が鼠を銜えて来たり座敷の隅で食べたり、犬が遠くの仲間と遠吠えをし合ったり。鶏が雛を守って猫と戦ったり、当たり前の事が見かけ無く成り。犬に服を着せたり、座敷で中型犬を飼ったりする非常識が存在する。飼い犬に手を咬まれる人も居る。犬の甘やかし過ぎが思わぬ災難を引き起こすので有る。犬は番犬としての価値は今だに薄れて居無い筈。大地に耳を付けて寝て、人よりも早く賊の怪しげな足音等の異変を逸早く察知する能力をもっと活用すべきで有る。日本では無いが外国では今だに狂犬病の発症が存在する。外国へ行った時はやたら他所の犬の頭を撫でるのは考え物で有る。狂犬病に罹ったら余りに悲惨でも有る。
 猫は真に不可思議な生き物で有る。野生其の物で有る、座敷の隅に鼠の食べ残しの頭と尻尾を見て驚愕した人も多い筈。内部に野生を秘め乍、人の膝の上に載ったり、人の寝床に忍び込むんだりもするので有る。座敷の上を悠然と歩く姿は豹や虎の如くでも有る。座布団の上で安心し切って悠然と昼寝をする寝姿は、百獣の王のライオンにも似て居る。人に付かず離れず一定の間合を取って、孤独を楽しんで居るので有る。以前に年老いた犬の散歩に猫も付いて来て居ったのを見た事が有った。犬が老耄して攻撃本能が無く成れば、猫とも仲良く暮らせるので有る。何やら複雑な気持ちでも有る。人も余り餌を猫に与えると鼠を捕らぬので催促される迄与え無い。猫も猫で空腹に成れば人の足に纏わり着き甘えるので有る。野生動物の殆どが人を見かけると逃げ出してしまうので、猫の甘えに我が子の如きの錯覚を感じる人も多い。猫と人の信頼関係とは一体何なんで有ろうか。真夏の蚊帳を吊って居た時も蒲団の中に入りたがっる事から単に寒いから忍び込んで居るのでは無い事は事実の様で有る。枕元で出産をした猫が子を銜えて蒲団の中へ入れ様とした事からも人の寝床の中が一番安全な場所で有ると思って居るので有ろう。猫はお外に行きたい、喉が渇いた、御腹が空いた、・・・。何かをして欲しい時は良く啼くし、して欲しく無い時も啼くし、良く判ら無いが、して欲しい時には、人の目を見詰めるので判る、して欲しく無い時は顔を背ける。野生動物に見つめられれば攻撃を受ける時丈で有る。人は犬に見詰められると恐怖を感じるが、人を見つめる猫の存在価値は余りに大きい。人は猫は抱き上げられるのを望んで居るかの如くに思いがちで有るが、首筋を軽く触ると嫌がって畳に爪を立てる事からも余り喜んでは居無い見たいで有る。人の思いと猫の思いに少しのずれも有るようで有る。猫は遊んで欲しがって人に近付いて来る事も有るかの様な事を言う人も居るが疑問も有る。何かを期待して我慢して遊ばれて居るのが真実で有ろう。猫は自由奔放で厚かましさの象徴でも有る。始めて来た御客の膝の上にも平気で載ったりもする。昼寝をして居ると猫が遣って来て、片足丈載せて、載って良いか聞くので有る、勝手に乗ったら叱られる事が判って居るので有る。猫は喜びを表現が上手で有る。表の玄関の扉を開けて欲しいと態々奥座敷まで呼びに来よるので有る。猫に付いて行く時には啼き声も変わるので有る、恐らくは喜んで居るので有ろう。人の膝の上で昼寝をしながら喉をゴロゴロ鳴らすので有る。何やら幸せそうでも有る。夏目漱石の「我輩は猫である」の様に猫の目を通しての社会風刺をした文学作品すら存在する。
 男にとって女も不可解な存在で有る。如何に溜息の出そうな好い女に出会っても所詮は他人の妻、何の恩恵も受ける事の無い赤の他人で有る。溜息を吐く丈の世界でも有る。自分に恩恵を与えて呉れる女をもっと大事にすべきで有る。本サイトには下品な女の記載も多いが女性蔑視では無い、女性の自由奔放さ、厚かましさの象徴でも有る。何故か猫の好きな女が多いので有る。座敷で新聞を大きく広げて読んで居ると何処からか猫が遣って来て背中の上に載りよるので有る。雄猫の睾丸を弄んだりもするので有る。猫も猫で其の内飽きる事が判って居るのかしばらくはしたいようにさせるので有った。女の腋毛を猥褻だと決めつける非常識が今だに存在する。何処かの国の様に、ブラジャーを着け無いのか乳首の膨らみが丸見えで、御乳が横から見えそうなのも問題では有るが。犬の字に成って寝て居たり、男の前で鼻をかんだり、男にかませたり、男の前で屁を平気で放いたり、朝顔で立ち小便をしたり、欠伸をしたり、胡座を掻いたり、鼾を掻いたり、陰部を弄ったり、男の前でパンツを履き替えたり、不精して便所に行かずモジモジしたり、くしゃみをしてしっこをチビッたり、便所の扉を開けた儘で用を足したり、湯船の水面に手拭を広げてわ泡の照る照る坊主を弄んだり、お風呂で水鉄砲で遊んだり、地蔵に尿を引っ掛けたり、馬に乗ったり、樹に登ったり、逆立ちをしたり、アフリカの踊りを踊ったり、・・・。
・・・。

 愛する夫婦がやや子が欲しくて交わる当たり前の事は描いても仕方が無いのか、不倫物が大流行でも有る。世の中には恋の経験も無い人も多いのか、異常な性欲の嗜好も多い、日頃女の尻に敷かれて居る為かアダルトビデオの世界では男が威張り散らし遣りたい放題で有る。所詮は虚構の世界で有る、やや子が産まれる訳では無い。やや子が出来る事は素晴らしい事なので有る。不倫をテーマにした方が売れるのか、人の心も陰湿に成りがちで有る。やや子が出来る訳では無いので食欲の様に満腹に成る事、満足が無い、麻薬の如きでも有る。所詮は他人の行為、見ても始まら無いので有るが見たく成るので有る、充たされぬ物に現を抜かすのは愚かで有るが御金を使って買ってしまう人も多い。夫婦で有っても、経済上の問題で子供が出来ては困るので避妊をし乍の交接に現を抜かして居る人も居る。何やら可笑しい世界でも有る。
 映画史上に燦然と輝くSF映画の古典「2001年宇宙の旅」が有る。発表当時は未来の出来事で有ったが。近未来のSF映画では有ったが、既に其の年代を過ぎてしまった。月面基地や惑星間飛行は夢物語でも有る。時の流れは無視出来無いので有る。人生八十年、人の一生を描こうとすれば、八十年前の時代から描かないと可笑しい事に成る。未来の事を無責任に描く訳には行かないので有る。二十年後の顚末を描きたくても描き辛いのが問題でも有る。未だみぬ未来を描く訳には行か無いので有る。時代劇なら五十年後の顚末も描き放題では有るが。二十年前とも成ると可也昔の話に成ってしまう。テレビやパソコンや携帯電話の無い世界等最早想像も出来無いのが現状で有る。最近のアニメの如くにヨーロッパ風の架空の国の、架空の時代の架空の動物の設定にすれば自由自在には成るので有るが、悩みは尽き無い。最近古い洋画の著作権が切れ出し、それらの古い映画のDVDが格安の値段で手に入る様に成った。西部劇の最高傑作の「駅馬車」もそれらの一つで有る白黒映画では有るが矢張り凄いので有る。この好機を利用して古典的作品を見直し多くの物を得るべきで有る。今だに其の輝きは色褪せては居無い。白黒映画では有るが他にも白眉の作品が有る、ラストシーンの凄い「禁じられて遊び」穢れの知らぬ娘の初々しさ「ローマの休日」初代のぎこちない動きの「キング・コング」・・・等が五百円程度の価格で発売されて居る、一昔前にモザイクだらけのしょうもない、詐欺紛いのアダルトビデオが一万円以上で発売されて居たのを思うに感慨深い物が有る。しかし、見たくても二度と見れ無い映画も中には存在する。中学生の頃、見た映画に点数を付けて帳面に控えって居ったが、百点満点は一作品丈で有った。青春映画の最高傑作のイタリア映画のヴィルナ・リージ主演の「巷の恋」で有る。東北新社のVHS「街の恋」には何故か収録されて居ません。昔にテレビのテレビ名画座で放映した筈で有るのに。ヴィルナ・リージの初演作で有名な筈なのに其れ以後二度と放映された記憶が有りません。叶わぬ物は諦めて手に入る物の中で価値有最高傑作を探し求めましょう。

 2011年にテレビのアナログ放送が終焉を迎える。アナログ方式のBS放送も終了する。当然、現行のテレビは受信出来無く成る。勿論アナログ方式のVHSデッキやDVDデッキも受信出来無く成る。当然デジタル方式のテレビやDVDデッキに買い替えるさせられるので有る。誰も頼んで居無いのにで有る大企業だけが大儲けをするので有る。来年にはパソコンの新OSウインドウズヴィスタが発売される、有料でダウンロードした映像がライセンスの問題で再生出来無く成る可能性も有る。御金を払ってダウンロードした自分のパソコンの映像がで有る。何やら詐欺に掛かった様な話でも有る。βとVHSの規格戦争の様な、ブルーレイとHD DVDの規格戦争も有り、負け組みに入る惨めさは味わいたくは無いもので有る。映画は総合芸術で有る、自宅でパソコンをしながら、テレビでDVDの映画を見て居れば、苦労し無いで感動を味わえる、何度も見れば外国語の勉強にも成る。物語の手法を盗む事も出来る。外国の街を見る事も出来る。外国旅行をした経験の有る人は懐かしい場所に出会う場合も有る。人生は儘成らぬのが常、未だ大分先の話で有る。慌ててテレビを買い替える必要も又無いので有る。




             nasubi06.htm 巷の恋


            2006−09−03−157−01−OSAKA




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