公衆の花園

 最近定年後の趣味で園芸を行う人も多い、家に庭の有る程の優雅な生活を送って来た人達でも有るが。園芸の面白みが判って来ると、庭中を花で埋め尽くしたくも成るもので有ろう。塀の中の自分丈の秘密の花園では花の心も余りに浮かばれないで有ろうと思うのか、家の道端に植木鉢を並べ、公衆の花園を提供して呉れて居る心美しき人すら居る。イギリスの小説に秘密の花園が有る、幾度も映画化もされた余りにも有名な児童文学で有る。花園で不幸な事故で妻を亡くした。主が花園を閉鎖してしまったので有る。母を失ったショックと病弱で車椅子の生活をして居る処へ、少女が引き取られて来て、秘密の花園を蘇らせて少年の心を開かせる感動作で有る。巷に花を飾っても、花を盗む、花盗人が居無い事も又不思議では有る。日本にはそんな心無い花盗人でも大目に見る心の大らかさが有った。水遣りも大変な事で有ろう。種や球根、化学肥料を買うにも結構掛かる事で有ろう。日々の通勤に世知辛い世間の中で一時の癒しを提供して貰えるので有る。
 土いじりをする女主人の傍で年老いた犬が居て、傍で猫が毛繕いをして居るので有る。犬と猫は仲が悪く見掛けたら直ぐ様喧嘩を始める者と思い込んで居たので、不思議な光景でも有る。主が犬を散歩に連れて行く猫一緒に着いて来て,着かず離れず。猫を見たら矢鱈吼える犬の方に問題有りか。
 花は自分の為に咲いて居るので有るが、多くの通行人の目を楽しませて居るので有る。季節が廻って金木犀の花咲く頃に成ると、極楽浄土等一度も見た事の無い人までもが極楽浄土を感じるので有る、不思議な世界で有る。虫を誘き寄せる匂いに人も感じるのに、生命の不可思議を感じる。人も虫も遺伝子レベルでは其れ程の差では無いので有ろう。
 柘榴の実は不思議な存在で有る、形が手投げ弾に似て居る為に手榴弾の物騒な名前の元に成って居る。実が割れて中の赤い粒粒が見える為に猥褻なエロチシズムの物の象徴でも有る。自ら硬い実を割って、小鳥が啄ばみ易い様にして居るので有る。花はまだ良いが、他人の庭の果実は罪で有る。通行人は指を銜えて見て通る丈で有る。持てざる者の僻みか、網で囲い等されては心が痛むので有る。人の心の不思議で有る。盗ってはいけ無い人の庭の柿程甘い柿に見えるので有る。市場では一杯売って有るのに。甘柿と思って渋柿を盗んでしまって酷い目に合う人も居る。昔の我が家の渋柿も盗む人が居た。樹に近づく丈で泥棒に思われて居るので有る。人は自然の恵みに対する感謝の気持ちを忘れては成ら無い、庭の柿の樹の柿も全部は取らず、二三個は残し、小鳥にも分け与える心が大切でも有る。
 柿を樹を植える家も在れば、匂いの良い柑橘類を植える家も多い、橙や蜜柑、金柑、ザボンや珍しい三宝柑や八朔、夏みかん、ポンカン、柚子等は多く、枇杷も多い。小鳥の為は小さい紅い実の成る木も好まれる、イスラウメやグミの類で有る。渋い実は青く紅く色付くと熟した美味しさの印でも有る。南天は災難が転じて幸せに成る様に縁起を担いで鬼門に良く植えられたりも為る。定年を俟たず不熟で解任された武士も昔は居た。
 其の公衆の花園の女主を久しく見掛けて居ない、入院でもされたか。花を世話する家族も居無いのか、何やら枯れた儘で有る。庭は草茫々で有る。犬も猫ももう居無い。人の世の無常の世界で、心が痛む。空家に成ってしまって居るのか人の住んで居る気配が無い。其の内、家も取り壊され新地にされてしまうので有ろうか。悲惨でも有る。
 夫の暴挙にも子供の為に我慢に我慢を重ねて来た妻が末娘も嫁ぎ、夫の定年退職を期に熟年離婚をする場合が多く成った。植木に現を貫かして場合で無く成ったので有る。退職後庭弄りで優雅な老後を送ろうと思って居った人も当てが外れるたので有る。年金は減らされ、増税と国民負担の増大、貯金を切り崩しての老後でも有る。御金が尽きれば死ぬしか無いので有る。其の内消費税率が又上がるのが目に見えて居るで有る。収入の少ない老人の生き地獄が又始るので有る。
 何年か前、或る小学校の周りの道路丈歩道が補修された。雨水を通すレンガに変えたので有る。そして歩道を少し広くした。さらに車道に植栽をしたので有る。歩道の一角に植栽は良く見かけるが車道にで有る。以前は大型観光バスも止められたものを、今では大型トラックが角を曲がれず立ち往生、火事の時も梯子車も入れ無い。茂みの中から猫が飛び出す可能性も有り、運転手は特別の注意が必要でも有る。犬は潅木に用を足し、後で後ろ脚で砂を辺りに撒き散らし真に汚い限りである。夏の水遣り、植木の剪定等費用も馬鹿に成ら無いので有る。今では犬や猫の公衆便所に成って居る。何が真に人を幸せにするか良く考えるべき、教訓でも有る。
 園芸好きは何も日本丈の物では無い、スペインでも花の植木鉢をベランダや街の白い壁に吊るし、花の道を作って旅行客を楽しませて居る。外国にも公衆の花園が有るので有る。葵の花は日本丈の物かと思って居ったら。スペインでも多くの家で植えられて愛でられて居る。街路樹には花の咲く木は少ない、花に見とれて居ては日が暮れてしまう為か。花の蜜に引かれて遣って来る蜂に刺され無い為か。冬に咲く山茶花は生垣に良く使われるが。スペイン国の首都のマドリッドの大通りの街路樹は5月に成ると街路樹がリラの様な名前の判らぬ花の樹がが見事な迄に白い花が満開に咲き乱れ、真に見事で有る、ゴールデンウイークを利用しての日本人観光客も此の時期には多いが、花の時期が過ぎ、花が散った後で何やら綿毛の様な物が飛び散り、目に入って困り果てる事に成るので有る。何処の世も何事も両方良い事も少ない物なので有る。
 梅の実を採る為の梅の花、桃の実を採る為の桃の花、椿の実を採る為の椿、梨や林檎の花が農園一杯に満開に咲き乱れても、花の隋道を潜り貫けても、其れ丈では桃源郷には成ら無い、人を持て成す心が大事なので有る。桃源郷の中国の話は現代にも悪政で失われてしまった人の心への踏襲、哀愁で有ろうか。此の世に無い実現不可能な夢物語の世界の事では無い、嘗ては有った古き善き時代の事を指して居るので有ろう。無慈悲、無思量な悪政が続く限り語り継がれる物語で有ろう。毎年同じ様に花は咲くが、其の花を愛でる人は同じでは無いと世の無常を詠った古い漢詩も有る。地下鉄等の大きな駅等には一角に活け花のコーナーが有ったりもします。世知辛い世相の現れか、予算の関係か最近は交換の時期が矢鱈長い。花に縁っては華が萎れ枯れ落ちてしまう場合も有る。枯れ落ちる華の哀れで有る。欄の一種では散り落ちる華の前兆は花弁が赤く色付く物も有る。明日落ちる華が判るので有る。不思議に限りでも有る。
 日本人は特に桜の花には思いが強い、花の命の短さ、儚さ、散り際の潔さか。枝垂れ桜の見事な老木には殊更で有る。人の思いとは裏腹に環境の悪化か、元気の無い老木も多い。名木が枯れるのは余りに痛ましい。若い活力溢れる桜の根を老木に接木し、老木を蘇らせた桜守りも居る。名木もやがては枯れる運命でも有る。其の時に為に二代目の幼木が傍に植えられ居たりも為る。其の桜が見事な成木に成るのは何十年も先の話で有る、気の長い話でも有る。大気汚染や酸性雨等諸悪は数多で有る。自分の居無い百年後の事等考えようとも為無い二枚舌の政治家が、未来の児童達が何時かわ償わねば成らぬ禍根を次々に残して行くので有る。改正と称して。好い事を恰も為るかの如くに鼻高々に、悪さの為放題、やんちゃの為放題で有る。教育基本法が改悪され、国民投票法が改悪され、日本国憲法が改悪されれば、日本も戦争出来る国に成るので有る。戦争反対と言った丈で売国奴と言われるので有る。何やら戦争への足音が聞こえて来そうで有る。桜の花の如くに儚く散った、かっての特攻隊の如くに、非常識が常識に成るので有る。「栄え有る任務を戴き此の上無い名誉で有ります・・・」と挨拶し笑顔で飛び発った特攻隊員全員のビッショリ濡れた枕掛けは一体何を物語って居るので有ろうか。其れを言い伝える戦争体験者も又少なく成った。 女主無き廃墟の如き公衆の花園の気に成る顛末は後日此のページで報告します。病院からひょっこり元気に成られて退院され、又、花を咲かされえる事を念願致しましょう。



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