たらちね

 垂乳根とは、母に掛かる枕詞の様でも有るが意義不詳で良く判ら無いが。母に対する尊敬の念が込められて居るので有ろう。たらちねと言う名の落語も有る。母への想いを綴った日記も多い。昔から母に対する想いは殊更で有ったので有ろう。母が亡く成って終い、最早二度と会え無く成ると尚更でも有る。親孝行も生きて居る内でも有る。死んで終っては、墓に蒲団を掛ける訳にも行か無いので有る。父の恩は山よりも気高いく、母の恩は海よりも深かったので有る。
 此の世の命を授かり、御乳を貰い、襁褓を替えて貰い、食事の世話をして貰い、言葉を教わり、病気の時は寝ずの看病をして貰い、風呂に入れて貰い、添い寝をして貰い、服を着せて貰い、鼻をかんで貰い、御尻を拭いて貰い、母の恩は余りにも測り知れ無い。母性本能の成せる技で有る。しかし、母性本能は人丈のものでは無い。子猫を思う母猫の想いも同じで有る。御産の時に嬉涙を流したりもするので有る。枕元で御産をし、人の寝床の中に銜えて入れ様としたりもする。人の寝床が猫に取って一番の安全の場所で在ったので有る。子猫の御尻を舐めて排便を促し、御乳を飲ませるので有る。少し歩ける様に成ると、車座の家人の真ん中に子猫を銜えて来て、自慢げに遊ばせる、御披露目を為るので有る。野生動物の殆どが人に我が子を触られるのを極端に嫌うのを見ると特異な家畜でも有る。母猫は我が子を舐め喉をゴロゴロいわせ何やら幸せな様でも有る。猫の子を近所にあげる場合は母猫に充分に納得させて巣から連れ出しましょう。其う為無いと子猫を探し廻り悲しそうに啼きます。
 犬も虎の子に御乳を与える事もする。犬の尿で匂い付けすると我が子と勘違い為るので有る。吸う力も強く、乳首が痛く無い筈が無いので有るが、我慢して飲ましたりもする。
 戦時中の食料難の時代には、先に食べた様な顔して、子達に御飯を食べさせた母も多かった筈、川にはまった我が子を見て、自分は泳げ無いのに川に飛び込む母すら居る。我が子の病が癒える様にと御百度を踏んだり、水乞いをしたりで有る。薬絶ちをした乳母も居る。昔から我が子を亡くした母は墓への葬列には遠慮さしたので有る。悲しみの余り取り乱す母が多かったからで有ろう。戦死するかも判らぬ我が息子に万歳をし、国旗を振って出征を祝わされた悲惨な時代も有った。戦死し白木の箱に収まって帰って来た息子が軍神として敬われても、母の心は複雑で有った。戦時中敵兵に囲まれた、沖縄の防空壕の中で、泣き出す我が子の口を押さえ死なせて終った母親は叫ぶ事も泣く事も許され無かったので有る。
 時には母性本能も暴走する場合も有る。猿が我が子に死なれ、死んだ事を認められずにミーラ化した死骸を何時までも抱き抱えたり、傍に置居たりも為る。周りの猿は死臭で近づか無いのに。神隠し、誘拐、拉致等に遭い、何時までも帰らぬ我が子の陰膳を供えて待ち侘びたり為る母親も居る。昔の母は我が子の出世を余り望ま無かったの者で有る。出世し、名を上げても、気を使い早死に為る人が多かった為でも有る。学歴と人徳は車の両輪と思い込んで居たら。必ずしも其うで無いので有る。教室でふざけたおした生徒が主席で答辞を読んで卒業して行った事も有り、複雑な気分にも成る。学歴丈を求め、真の心を持った我が子に育てかねる現代の母の歯痒さが残る。
 母親も年老い、腰が曲がり、呆け始め、介護を受け乍、他人の如くに我が子に手を合わせる母。あれ程恩を受け乍、亡く成り実家も代替わりし、便りも無く成ると親子の絆も尽き果てる。昔は写真も無く、若き日の母の顔を忘れてしまう人迄居た、夢で見る母丈が頼りで有ったので有る。母親の50回忌の法事を済ませた人は本に不幸で有る。

 其の愛しい筈の母親を殺して為まう年少者の殺人事件が後を絶た無い。親を攻撃せずの生物の本能迄失われつつ有る。兄弟を殺したり、憎っき学校で無く、我が家に放火する童すら居る。何やら可笑しな世界で有る。我が実の子を虐待する母親の事件も有る。
 最近は母乳で我が子を育てる母も少なく成り、ミルクで我が子を育てる母も多い、何か影響して居るので有ろうか。家計の都合で共稼ぎの夫婦も多く、充分に育児に時間を割け無い事情も有る。鍵っ子も多く親子の絆も希薄に成りつつ有る。
 猫は人を親の様に思って居るので有ろうか、空腹に成ると子供の様に足に纏わり着き、甘えたりも為る人の寝床に忍び込み安心しきって寝たりも為る。温かくて気持ちが良いのは判るが、真夏の蚊帳の中に迄入りたがるのを見ると其れ丈では無い様で有る。鋭い爪を持って居乍ら、人には滅多に爪を出さ無い。鋭い牙を持て居乍ら、手に咬み付いても血が出る程には強くは咬ま無い、加減をして居るので有る。人に対する恐怖、畏敬等微塵も無い。人の方が猫を我が子の様に、誤解をして居るのか。鳴声が赤子に似て居るし、大きさも赤子に近い、其の為に人の誤解も多い。妻に母親の様に甘えてしまう男も居る。年下の母で有る。
 犬は人を雌犬と勘違いして可笑しな行動を取る場合が有る。飼い主の足に纏わり着き、物理的に盛れ無いのに盛ろうと為たり為る。悲痛な鳴声をあげたりもする。一生懸命に世話を為る飼い主も雌犬程度にしか思われて居無いので有る。
 テロで子を亡くした女性国会議員が切々と涙乍にテロの防止を呼びかけた映像が有る。母の悲しみは世界共通で有る。スペインの列車爆破テロの話で有る。天女の様な心の矢が娘が誘拐され、恥ずかしいめられ殺され、塵の様に捨てられた母の悲痛な思いは筆舌に尽くせ無い。少子化の弊害でも有る。子供が二人では人口は減るばかりで有る。江戸時代に江戸城の奥深くに大奥と言う不思議な場所が在ったので有る。世継ぎが産まれ無ければ、又、戦乱の時代に戻り、国が乱れるのを恐れて子作りに励んだので有る。国を統一し将軍と成り、権力の頂点に有り。湯水の様に御金が使え、贅の限りを尽くしても其丈は儘成無かったので有る。我が子を自分で育てる事も許され無かった場合も有り。育ての乳母もやがては縁組で別れが待って居ったので有る。縁組先では気の進まぬ縁組も断る訳にも行かず、我が子が居乍ら、縁組を承諾したので有る。何時の世にも悲しい母の物語が有ったので有る。
 娘の結婚式で泣く母親も多い、子供には目出度い祝いの席で大人が泣く事が理解出来無い、嬉しい時も泣く事が理解出来無い。泣くのは悲しい事ばかりで有ったので有る。虐め、からかい、差別、無知蒙昧、愛の欠落、裏切り、絶望、恥、無為、粗相の毎日でも有った。母の慰めが、癒しが無かったら、自殺する子が出るのも当然でも有る。たらちねの母の愛は今も昔も変わらぬ想いが有る。
 可也古いドラマが再放送されて居ます。映画ならDVD化され古い映画も目にする事も多いが、テレビドラマと成るとそうは行か無い。今は結構良い歳の女優達も当時は光輝く娘役を演じて居るので有る。時の流れを感じる時でも有る。若き頃の母に出会った様な懐かしさに陥ります。既に無く成った人も矍鑠と演じ切って居るので有る。良いドラマは何十年経っても色褪せては居無い。母を慕う子の気持ち、子を想う母の気持。時代を超えて蘇るので有る。夫婦の写真を観て居ると何故か似た顔の夫婦が多い、若き襁褓を替えてくれて居る時の母の顔を覚えて居て、母の若い頃に似て居る女性と夫婦に成って居るので有ろう母に対する想いはかくも強いので有る。
 子を想う母の子持ちを歌った演歌も多いが、何気無い童謡の中にも悲しい思いが籠められて居る場合も有る。誰もが知って居る一番より、余り知られて居無い意外な二番以降に有る場合も有る。赤とんぼや花嫁人形、ひな祭り、楽しい筈の歌が物悲しく想うのは日本人の心の不思議でも有る。
 春日神社の在る奈良には、悲しい悲しい昔の物語が有る、十三鐘物語で有る。鹿を殺してしまった童三作が、鹿の屍と一緒に生き埋めされたので有る。如何に春日神社の神の使いの鹿とは言え未だ歳はの行かぬ童のしでかした事、余りに惨い罰で有った。石子詰めの処罰されて時が六つと七つの間合わせて十三の鐘が鳴ったので有る。其の咎は両親、親戚に迄にも及んだので有る。我が子を生き埋めされた母の想いは幾許で有ったで有ろうか。未だに悲しい歌声が聞こえて来そうで有る。
 相次ぐ災難の為に生贄にされて娘も居ったので有る。人柱にされたので有る。賂、賄賂が陰で暗躍し、何も為なかった家に白羽の矢が当たるので有る。汚れを知らぬ処女で有る必要があったので有る。人身御供にされたので有る。悲しい歌が歌い続けられたので有る。気が振れて童の様に成ってしまう母も有り。 巷に溢れるアダルトDVD,女優は不特定多数の男に微笑み掛けるので有る。惜しげも無く乳房を曝け出すが、大人の男には乳房は何の意味も持たな無いが、子供の頃の記憶が興味をそそるので有ろう。子供の頃に母と一緒に御風呂に入った記憶が蘇る。平然と猥褻の限りを尽くす女優、母への想いか需要と供給が存在する。男女の交接が無ければ人の反映も無かったので有る。他人の睦言を見ても始まら無いが。本能の欲情は禁じ難し。テレビドラマも美人の女優に限って悪女を演じるので有る。美人なのに悪女役ばかりを演じる人まで居る。美人が悪い事をする意外性が受けるのか。女心の不可思議が存在する。美しい母が死んでしまう、悲しい映画も多い。次郎物語も其の一つでも有る。歳を取れば誰しも別れねば成らぬ運命、人生の試練でも有る。洋画もそうで有る。禁じられた遊びのラストシーンは余りにも印象的で有る。可也古い映画で有るが未だに忘れ難い。白黒映画では有るが未だに色褪せては居無い。
 聖母マリアとはキリストの母の事で有る。処女の身でイエスを宿したと言うので有る。昔から私生児を産む女は居ったので有る。如何に罪深い男が多かったかが判ります。育ての親か産みの親かは大問題で有る。大岡政談にも登場する。最近では卵子の提供者のもう一人の母が現れる可能性も有る。三人の母が遺産相続でいがみ合う等愚かでも有る。
 世の中には美人や聖母の如き貴婦人迄数多居れど、私には無縁の存在、今迄母以外の女から何の恩恵も受けず、独り者には寂しい死が待って居る丈で有る。妻も居らず、娘も居らず、孫娘も居らずで有る。母の居らぬ実家に帰っても始まら無いので有る。懐かしい故郷も母の元気な内で有る。嫁いだ娘は実の母より夫の母を大事にするのも無理は有りません。
 森羅万象、此れ輪廻で有る、繰り返しでも有る。生まれては死に、死んでは生まれで有る。花が大事なのでは無い、実が大事なのでも無い、種が大事なのでは無い、全てが大事で有る。生きている全てが大事で有る。老人を見捨てて様な政策が後を絶た無いのは、政治家はたらちねの母の恩を忘れてしまったので有ろうか。二度と戦争への蹉跌を踏まぬのが最大の母孝行で有る筈が、何やら憲法も改悪する、教育基本法も改悪する気らしい、愛国心を唱え乍、戦争への足音が聞こえて来そうでも有る。我が子を戦死させた母者の嘆きが聞こえて来そうでも有る。



                 女は弱し、されど母は強し。


          2006−12−10−189−02−01−OSAKA



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