何苦楚と渾身の糞力


 火事場の糞力は余りにも有名で有る。火事の時に出せた家具が元に戻せ無いので有る。火事場の恐怖と興奮に因るアドレナリンの成せる業でも有る。身体は自己防衛の為に100%の力を出さ無い保護機能が働く為で有る。骨が折れたり、腱が切れたり、肉離れを起こさ無い様にでで有る。恐ろしい時に心臓がドキドキするのは一目散に逃げれる準備の為でも有る。命に係わる場合には其の保護機能が働か無い。骨や腱や筋肉よりも命が大事なので有る。日頃身体を鍛え鍛錬する事で、渾身の力も出せる様に成る。
 日頃、練習に練習を重ねるスポーツ選手もオリンピック等の晴れ舞台では充分に普段の実力が出せ無い選手も多い。筋力丈で無く、精神力を鍛える事も必要か。オリンピックではドーピングの問題が話題にも成るが何やらやるせない気持ちに成るのは私丈で有ろうか。迂闊に風邪薬も飲め無いので有る。
 母性本能は自己防衛より強力で有る。子の命を守る為に、自ら囮に成ったり、自分より身体の大きい天敵に立ち向かったりもします。川で溺れて居る我が子を見た母親は自分は泳げ無くても川に飛び込んでしまったりもします。 
 人間の脳にもフィルター機能が有るらしい。知ら無い外国語は言葉では無く、騒音としか聞こえ無いし聞こうともしない。余計な事は直ぐに忘れてしまうし、必要の無い事は考えようともし無いので有る。交通事故で頭の或る部分を怪我し、其のフィルター機能が壊れると凡人が突然に天才に成ったりもします。百科事典も丸暗記出来るらしいので有る。其れが幸せか如何かは別問題で有る。学校で興味の無い事を丸暗記させられるとフィルター機能が特に強く働いてか中々覚えられ無い、地獄でも有る。会社の大事な仕事の手順等は割りと早く覚えやすい、身体が覚えてしまうので有ろう。
 人生は過酷でも有る。何苦楚と頑張っても誰しもが成功者に成れる訳では無い。結婚すら出来無い人も居る。成功者の苦労話は数多有れど、誰もがそう成れる訳では無い。
 世間では五十五歳に成ると歳の為に能力が落ちる事を理由に給与を下げる企業が多い。給料が下がれば楽な仕事に移れるものと思って居る人も多いが仕事は楽に成る訳でも、減る訳でも無い。重要な会議には外される位で有る。雑務の仕事も減らされる訳では無い。何やら可笑しな世界で有る。
 童話は人生の最初に出会う物語だけに印象も強い、母親にせがんで何度も読んで貰った経験の有る人も多い筈、母親も何度も読まされ空で覚えてしまって居ったので有る。文豪も渾身の一作を後世に残したく思うものでも有ろう。童話を書くのは作家丈では無い「星の王子さま」のパイロットのサンテグジュペリや「不思議の国のアリス」の数学者のルイス・キャロル等色々でも有る。日本の「赤いろうそくと人魚」も小川未明の印象深い作品でも有る。「不思議の国のアリス」を読んで感動した或る姫君が「貴方の書かれた本を全部読んで見たいものだわ」とスイス・キャロルに言われたら。後日、何冊もの分厚い難解な数式の書かれた数学の専門書が贈られて来て唖然とさせたと言う逸話も有る。
 芸術は力んだからよいものが出来る訳では無い。スペインの映画監督のペドロ・アルモドバルは自由奔放な作風で珍奇な作品を数多く作ったが一度も賞を得られ無かった。最近に成って完成度の高い作品を意識してか作り出し、賞を取ってアナウンサーにヤットと言われてしまった。完成度は増したが奇抜性が無く成ってしまった。映画の中には古くても未だ色あせぬ渾身の一作品と言える物も多い洋画の「禁じられた遊び」や西部劇の「駅馬車」、日本映画の「七人の侍」等は何度見ても矢張り凄いので有る。
 少し古いが日本の大衆映画の「トラック野朗 故郷特急便」は10本記念丈に渾身の作品とも言える、観客を楽します事に徹した、今だに色あせぬ映画でも有る。シリーズ作品で最後の映画が最高傑作で無いにが多いが最後を飾る作品に相応しい物に成って居る。一作品に同じ歌が三番までのフルを二度も登場する不思議な映画では有るが、其の両方を歌い分けて居ると言うのもさすがで有る。未だうら若い歌手の石川さゆりの渾身の思いが感じられます。映画も古く一部御見苦しい場面も有るし、歌はもっと古く、ペギー葉山が歌って居た歌で、其の歌とは。

          南国土佐を後にして

         作編集曲  武政英策

1.南国土佐を後にして 都へ来てから幾歳ぞ

  思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を

 「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」

2.月の浜辺でたき火を囲み しばしの娯楽のひとときを

  私も自慢の声張り上げて 唄うよ土佐のよさこい節を

 「見ませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜」

3.国のとうさん室戸の沖で 鯨釣ったと云うたより

  私も負けずに励んだ後で  唄うよ土佐のよさこい節を

 「云うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ

  潮吹く魚が泳ぎよる  よさこいよさこい」


 戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代が定年退職を迎える時期に成った。技術の伝承の危惧も有る年金問題や社会保障等、恵まれて居るとは言い難い。会社を退職して遣る事が無く成り老け込む人も居る第二の人生を大いに楽しむべきでも有る。何苦楚と渾身の力を振り絞るべき時期でも有る。
年末の餅搗きは昔から大掃除や薪割りと並ぶ男子の大仕事でも有った。今でこそ機械も有るが。渾身の力の要る大事で有る。餅搗きは又夫婦の共同作業でも有った。亭主が搗き、女房が捏ねるので有る。其の大事の杵を花嫁が跨ぐ神事とする風習の有る地方も有る。杵は男の男根の象徴でも有るのか。
 老人も若者に負けて居られ無いので有る。優雅な御隠居では居られ無いので有る。五十歳を過ぎてからも外国語に挑戦する人も居る、退職後に画家に成った人も居ます。死ぬまでに童話位渾身の一作を書き残して置きたいもので有る。世の中不信の為か管理社会に成り下がってしまった。人の上に立つ者にとって大事なのは才では無い、才の有る者を遣う真の心で有る。人間不信の時代か管理業務の煩雑、我武者羅に働いて居れば良かった時代は過ぎ去ってしまったので有る。文書管理、服装管理、入出管理、環境管理、品質管理、・・・際限無く増えて来たので有る。昔は良かったと嘆く人も居るので有る。其の反動か荒唐無稽な夢物語、物理的に不可能な魔法の世界、CGで非現実の世界も作れるので有る。動物が喋ったり、人形が喋ったり、空を飛んだり、見た事も無い動物が居たりで有る。人の真の心を描く為の虚構の世界。矛盾が矛盾を生む世界。混沌の精神世界。
 セサミストリートは幼児番組の代表選手で有ったが、大分前に英語版をNHKは已めてしまた。日本語バージョンは別の局で放送中では有るが。スペインでも以前はスペイン語バージョンをTVEで放送して居ましたが已めてしまった。造花で無く本物の花を使ったり、本物の象をスタジオ内に登場させたたりで有った。有名人も出場して貰って居ったので有る。幼児番組にで有る。御金も掛かった事で有ろうに。こんな国に生まれたかったと思える渾身の作品も有ったのにで有る。人と人形の絶妙の会話は語学勉強の手本でも有ったが残念でも有る。儘成らぬぬ此の世の見本でも有る。日本のテレビの幼児番組を観て悲しいのはテレビに出したい親の見得か大勢の子が綺麗な洋服を着て出演して居て、遊戯もすなるが何をしに此処に居るのかが判って居無い子が多い事で有る。
供達に夢を与え続けた、かって漫画家の手塚治虫氏の悩みは画きたいアイデアは数多有るのに書いて居る時間が無いと言う事で有った。天才の贅沢な悩みでも有る。渾身の作品も又数多で有る。凡人は一生に一つ作れば良しとしなければ成らない。芸術の道は厳しいので有る。
 子供の頃、授業中に小学校の講堂で観た映画は特に印象は深い。アニメの「雪の女王」や「傴僂の仔馬」や「路傍の石」、何故か大人の観る「無法松の一生」等もして居ったので有る。夜に運動場で映画を上映して居ったので有る。風が吹けば画面が揺れたので有る。映画も古く雨が降って居る様な映画も有ったので有る。私は学生の頃は印象深い映画を帳面に付けて100点満点で点数を良く付けて居ったもので有った。「ベンハー」の競技場のシーンや「天地創造」のバベルの塔のシーンの様に90点台の渾身の作と思える作品も多かったが、100点満天はヴィルナ・リージの「巷の恋」丈で有った。二度と観れ無い映画丈に何がそんなに良かったのかは今と成っては確認でき無いが四十年も前の映画を部分的にも覚えて居るのも不思議な話では有る。学校からかえって来て慌てて便所を済ます、胸躍らせて渾身の思いで観た事を覚えて居ます。物語はと言うと両親を亡くし、母親代わりの姉と弟の二人暮らしで姉は小船で漁をして居った。或る日仕掛けた罠の籠の全てに見事なロブスターが掛かって居ったので有る。何時も会う度に喧嘩ばかりの男が悪戯して、罠の籠に大きなロブスターを全部に入れて置いたので有った。会えば喧嘩の二人。或る日突然の嵐で娘の小舟が転覆、男は娘を助け小島の自宅へ。母親が娘を介抱し、何時もは減らず口をたたく娘の天女の様な寝顔に見とれて居ると。「何時もはあんなに憎たらしい口を利くのに如何して寝顔はこんなにかわいんだ」母親は「こんな娘がお前の嫁に来てくらたら良いのに」と嘆き乍息子を部屋から追い出してしまう。娘には恋人が居たが弟の事で嫁に行くのを躊躇って居たのだった。娘は塩田でも働き。スカートをたくし上げて働く女の脚線美に口笛を吹いてからかう男に、みんなの前で島で男が言った事をばらしてしまうので有った。眠った振りをして居ったので有った。恋人と男の争いが有り。最後に娘は男のボートを追って海に飛び込んで泳いで行く。少年も「僕も・・・」と言って着いて行ってしまうので有る。最初と最後丈良く覚えて居るのも不思議な話では有る。恋愛映画は最後は結ばれるのが判って居るが観客を焦らす工夫が成されて居る。現実とは違うので有る。結婚する気が有れば男を馬鹿にした様な事を言う筈も無いのにで有る。多くの人はまやかしに騙されるので有る。現実に起こら無い魔法やまやかしゲーム等の虚構の世界に逃避してしまうので有る。



              真に子供の為の童話が欲しいものでも有る。             


           2007−02−22−203−02−01−OSAKA          









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