至福の時

 人生は余りに過酷でも有る、至福の時等数える程しか無いのが凡人の現状で有ろう。多くの人から祝福されて結婚しても、罵しり合って分かれる夫婦も有る。親に大事に育てられた娘もやがて嫁ぐ為に親と別れ無ければ成らない。親もやがて年老いて惚け始める。一人暮らしでは病気に成ったら大変で有る。健康管理が大事で有る。日頃の節制と精進が大切でも有る。
 世の中には多くの人が色んな事で悩み、苦しんで居るので有る。歳いく程に脚が痛い、腰が痛いと言う事に成り、老眼に成り眼鏡が必要に成り、耳も遠く成るので有る。尿もれ、痔、白髪、禿げ等々色々で有る。新聞の広告に其れ等用の商品が数多載って居るのを見ると、人の不幸を利用して居る商売とも思えてしまう。
 人の弱みに付け込んで信者を集める新興宗教も多い。信仰すれば心が癒され、幸せに成り、病気が治ると言うので有る。其れでも病院へ行って薬は飲むので有る。治れば神の御蔭と成って御布施、賽銭をはずむので有る。地下鉄でサリンを撒いたような教団も名前を変えて存続し続けて居るので有る。実に怖ろしきは人の心成り。
 日々の生活の中に至福の時を求めるのは贅沢な思いなのか。仕事が粛々と仕上がり逸脱が無ければ好しと為なければ成らないのか。学生の頃からの心を許した親友の有る人も少ない、映画の様な素敵な恋をする人は更に少ない。愛しい人と夫婦に成れる人は尚更少ない。会社の中では知り合いも多いが定年退職してしまえば其れっきりでも有る。辞めた人の噂等誰もしないので有る。駅の大便所は何時もは空いて居るのに、したい時に限って塞がって居るものなので有る。空いて居る便所がヤット見つかって暫しの至福の快感に浸るひとも多い。緊張と緩和の世界で有る。日々の努力、精進が無いと至福の時も遣って来無いので有る。苦難の受験地獄の果てに難関の大学に入学出来至福の喜びに浸り過ぎ、本来の勉学を為る事を忘れて遊び呆けてしまう大学生も居る。
 そんな中で、音楽や映画、演劇等の芸術は一時の至福の時を与えて呉れる場合も有る。優れた映画は何度観ても感動を与え続けるので有る。何十年も昔の映画で有ってでもで有る。
 愛しい人と恋をし、夫婦に成って子作りに励んで居る時は確かに至福の時には違い無いが、異性が居なくても生理的に射精が起これば快感が起こるので有る。生命の子孫繁栄の本能の成せる業でも有る。かくて巷に卑猥なアダルトビデオが氾濫する事とあい成る。偽の至福の時に違い無い、実益の無い事でも有る虚構の世界でも有る。非道徳な不条理の世界でも有る。同じ価格帯の芸術的な映画と比べると余りに高価な映像媒体の世界でも有る。料理番組の如くでも有る、観てる人には指を銜えて観てる丈で食べる事が出来無いので有る。其れが判って居ても又買いたく成るので有る。性欲の成せる業の深さでも有る。其の様な偽物の虚構の世界では真の至福の時は永遠に遣って来無いので有る。
 人生には試練が付きもので有る、登竜門と言う言葉も有る。流れの急な竜門と言う河を登りきった鯉は竜に成ると言う伝説で有る。しかし人生は長いので有る。歳いってから名をあげた人も居る。日曜画家で名をあげた画家も居る。死ぬ前に童話の一つ位作って置きたいもので有る。死ぬる時には楽しい思い出丈が走馬灯の様に蘇がえって貰いたいもので有る。
 同じ外国に、同じ都市に二度も旅行した人が居ます、同じホテルにで有る。二度目は可也喋れるものと高を括るって居ったら。二度目は気が緩むのか思った程の成果は無かった。二度目では良いとこ悪いとこが見えてしまい複雑な気にも成った。言葉が判ら無い事は致命的でも有る。何も出来無いので有る。ツアーのパックで添乗員付きで有れば、金魚の糞の様に人の後に付いて行けば良いので有るが。一人の個人旅行では全て自分の責任でも有る。飛行機が欠航にでも成れば大変な事に成る。巷には平然と変な日本語で近付いて来る掏摸も居る。御蔭で電車の中で辞書を覚えるのも恥ずかしく無く成った。命に係わる大事でも有る。テレビのニュースが判る様に成るには至難の業で有る。教育用のCDのスピードはアナウンサーの喋るネーティブなスピードとは程遠い。其れ丈に、言葉が判った時の喜びも又大きい筈。何度も何度も観た字幕付きの洋画と現地の実際の会話では違うので有る。一生掛かっても外国語が判り、人生を二倍楽しみたいもので有る。語学の教授でも中々完全に理解出来る至福の時は少ないとか、語学の道は余りに厳しい。何時かは其の至福の喜びを味わいたいもので有る。
 童謡には不思議な想いが有る。楽しい筈の歌が物悲しく聞こえたりもするので有る。雛祭りや花嫁人形、赤とんぼ等。余り聞か無い二番以降に多い。親が居て、兄弟が居て喧嘩しての、二度と戻れぬ懐かしい子供の世界への哀愁の想いか、映画の中で歌われる童謡もCDで発売される訳では無いので格別の想いも有る。「トラック野郎 故郷特急便」で菅原文太の歌う花嫁人形も其の一つで有る。
 世の中には取りたくとも中々取れぬ賞を受賞し至福の時を味わう人も居る。ノーベル賞やフィールズ賞、アカデミー賞、金獅子賞や金熊賞、レコード大賞、直木賞や芥川賞等の文学賞等々、・・・。しかし外国の映画賞の様に日本では珍奇に想われる映画が受賞したりもする場合も有る。芸術感が国民性と必ずしも一致為無い場合も有る。日本の古い映画が外国の高い評価を得て賞を取って居る場合も有るのは日本の誇りとも成る。又取れぬ凡人の僻み、嫉みも有る。賞を取っても驕る事無かれ、日々精進を続ける事が肝要か。


















          2007−02−25−205−01−01−OSAKA



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