非人

 此処で言う非人とは、人で無しの事では無い。卑しい身分の集団を差別的に蔑んで言った、差別用語の事でも無い、確かに江戸時代に刑場等の雑役、下働きに従事して居た賤民をそう呼んだ事も有るが、昔の話で有る、今は無い。罪人や物乞いをする乞食の事でも無い。世を逃れた僧の自称でも無い。仏教で言う六趣の内、人趣と畜生趣を除く四趣の有情。地獄、餓鬼、修羅、天の事では無い。鬼神等が人の姿で現れたもの、天龍八部、夜叉、悪鬼、悪魔、魔人、鬼畜、外道の類の事で有る。
 又又、凄惨な事件が起きた、或る高校生が誰でも良いから人を殺したく成り、命を授かっり、御乳を貰い、襁褓を替えて貰い、食事、洗濯、風呂や寝間の準備と数多の恩有る御母堂を事も有ろうに、包丁で首を刺し、鋸で首と腕を切断し、生首をバックに詰め、巷を持ち歩き警察に自首した。自首したら無罪に成るものと思ってか、年少者は死刑に成ら無いと思ってか。又又かと人の噂も七拾五日、其の異常さにも重犯罪の多さに鈍感に成ってしまって居る現代社会の病根が有る。
 学生の凄惨な事件が起きる度に世間の非難は学校は一体何を教えて居るのかと言う事と成る。校長は全校生を一堂に集め一度しか無い命の大切さ、大事を説くが、教わら無いと判ら無いと言うのも可笑しな話で有る。校長の耳に胼胝の説法も馬の耳に念仏か、学生の重犯罪は後を絶た無い。凄惨な事件を利用して教育改革を言い出す政治家も出て来る。教育基本法を戦前の親を敬う心を大事の教育、家長も威厳の有った古き良き時代に戻そうと言う目論見も有る。戦前の教育は教育勅語の世界でも有る。日本が戦争への道に進むのを回避出来無かった時代遅れの教育方針でも有る。戦争に因って百何十万人もの人が殺されたので有る。戦争に負けた途端にかっての敵国の米英の言い成りに成り。教育者は教科書の教育方針が変わり、新しい教科書が間に合わず、間に合わせに現行の教科書の不適切な表現の部分を墨で真っ黒に塗り手繰らしたので有る。教育者は心が痛ま無かったので有ろうか。
 早速、少年の精神鑑定が行われた。精神異常の病気なら学校の責任は無く成る。罪も裁かれる事も無い世の中円く治まりそうで有る。人の心は都合の悪い事は病気のせいにしたくも成るものか、たとえ病気でも本来は罪、咎が消える筈が無い。病気を治してから償うべきもので有る。狂人が得をする様な事が罷り通っては成らじ。殺人其の物に快感を感じる性的倒錯か。しかし、吾が子に殺された母者の無念は永遠に晴れる事は無い。
 人に非ず、人で無し、非人、狂人、変態、変質者、鬼畜、外道の所業でも有る。
 生物の本能には共食いをせずの大原則が有る。種の存続を願っての事で有る。雌を争って雄同士は闘うが死に至らしめるところ迄はし無い、負けを認めて逃げ出したものを追っかけたりはし無いので有る。例外的に人丈が戦争で合法的に人を殺し合うので有る。
 生物の本能のもう一つに親を攻撃せずの大原則が有る。親に攻撃を受けても反撃はし無いので有る。生命進化の本能の不思議でも有る、御蔭で生命は進化を遂げ繁栄を続けて居る。神仏の御蔭では無い。其の大事の本能迄が蝕ばまれて来て居るので有る。
 加虐性性欲異常者は居る、女性に虐待を加え無いと性的満足が得られ無い人で有る。殺人其の物に快感を感じた犯人は過去にも居た。小学校に乱入し、天女の様な心の少女を何人も殺害したので有る。もう一人殺せ無かった無念さが犯人を死刑に成る日まで苛み続けるとしたら余りに悲惨でも有る。人の心に潜む悪夢でも有る。今まで生きて居た人が死の恐怖と苦しみに悶えるのを見て快感を感じるので有ろうか。生きて居た人が死んで物と化す時に快感を感じるので有ろうか。其の欲望を抑制出来無い心の脆弱性、現代社会の混沌たる痴情の中で光明を見つけられ無い、無知蒙昧の世界でも有る。
 迷い多き心の現代人の心を利用して、怪しげな宗教を創設して暗躍する集団も有る。地下鉄でサリンを撒いた宗教団体も名前を変えて今だに宗教活動、信仰と信徒の勧誘等を続けて居る。日本中の顰蹙を買った、あの白装束隊は今は如何して居るので有ろうか。実に怖ろしきは人の心成り、真の心を見極められぬ心の弱さか。真の心に目覚めましょう。
 犬に餌を与え、余りに美味しそうに食べ、容器を舐め回すので、もう少し入れたあげようと容器に手をやったら噛まれて骨が見える程の大怪我をした人が居ます。飼い犬に手を噛まれるの例えも有る。恩を仇で返す話でも有る。犬畜生と言う言葉も有る。其れで犬が好きに成れ無い人も居る。犬に薩摩芋の皮を遣ろうと投げたら子犬が近寄ると盗られると思ってか子犬を咬み殺してしまた母犬も居た。咬み殺してから正気に戻ってか舐めたりするので有る。愚かで有る。高い御金を出して買った時の子犬は可愛いかったが、犬は直ぐに大きく成ってしまい可愛さが消え、手をやく様に成って来て保健所に処理を委託する人も多い。毎年多くの犬が処理されて居る。其の処理を待つ犬達の悲しい表情を写真に撮る写真家も居る、犬は殺されるとは判ら無いから何を撮ろうと言うので有ろうか。未来の事が本能的に判るとでも言うので有ろうか。最近座敷で犬を飼う非常識が罷り通るて居る。犬にちゃんちゃんこを着せる人迄居る。
 猫も珍しく人を咬む事が有る。吾輩も実際に何度か猫に咬まれたて痛い目をしたが、如何言う訳か血が出た経験が一度も無い、怪我し無い様に加減をして居ったので有ろう、猫がで有る。猫は人を親の様に思って居るので有ろう。幼い童が猫を玩具にして遊んでも猫はされる儘に成って居る。二階からも飛び降りられる猫がで有る。鋭い爪を持って居ても童には爪を立てずで有る。座敷の上を土足で歩く事を許された唯一の家畜の猫は、餌を余り与えると大事な種籾を喰らう憎っき鼠を捕ら無いので催促される迄与えません、餌の事等考えもし無い人も多い。猫は人の脚に纏わり着き甘えて餌を貰う事を学んだ。猫も自由奔放に人との共同生活を楽しんで居る様でも有るが、餌だけ貰えず、人に飼われて居るとは思って居無い。人も大層には飼って居るとは思って来無かった。猫は特に子に対する情が深く、人も学ぶべき事も多い。
 以前にパソコンにLinuxをインストールしたら、戦闘の殺人ゲームが付いて居て唖然とした事が有る。敵を倒せば点数が上がるゲームで有る。血しぶきも飛ぶので有る。オープンソースのLinuxがで有る。昔は犬が居て、猫が居て、鶏が居てが普通で有ったが、最近の集合集宅では其れも叶わず、子達は動物の生命の喜びや悲しみの経験が足りずに大きく成り。パソコンのゲームに夢中に成ったりで有る。その様な殺人ゲームで大きく成ったら心の発達にも疑問が有る。
 人の言葉には感情を伝える不思議な力が有る。字幕の無い洋画も楽しめたりもします。勿論外国語の意味は解ら無いのにで有る、喜びや悲しみが判る、人類共通の感情が伝わるので有ろう。音声を消すと全く意味が解ら無い。不思議な世界でも有る。
 犬や猫も言葉の意味は解ら無くても人の言葉の感情は感じて居る筈、手で合図を送ると不思議と良く意思が通じる時も有る。手話の如きで有る。乳児に話し掛け無いと其の後の成長に障害が出たフランスの王家の事例も有る。言葉の持つ不思議な力でも有る。呆け防止の為にと、歳いってから外国語の勉強を始める人も居る。良い事では有るが六年間も英語を勉強して置き乍外国へ行って、屁の役にも立つ無かった経験の有る人も居る。英語は発音が難しく日本人には聞き取り難い。一層の事ラテン系の言葉に換えて見ては、ラテン系の言葉はローマ字に似て居て母音が日本語の様に多く、日本人にも可能性も有る。学生時代にスペイン語を勉強して居たらと悔やまれる部分でも有る。しかし一生勉強しても話せる様に成るとも限ら無いのも又事実で有る。光陰矢の如し、学成り難しで有る。
 非人と言う言葉の差別的なイメージのする言葉を二度と使わずに済む様な、重犯罪の無い社会が来て欲しいものでも有る。非人と言う言葉は差別用語では無いかと言出すう人も居るかも知れ無いが、特定の集団職種を差別する意図は全く無く、社会の重犯罪防止の啓蒙の為にあえて使用しました、悪しからず。しかし、人の道を外れたら非人、外道と言われても仕方が無いのも又事実で有る。人の道を外れ無い様うに自分を絶えず戒めましょう。
 万事生きて居ればこその話で有る。死んでしまっては吾身を喰らう蛆にも劣る。







          2007−05−19−228−02−01−OSAKA



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