雇われ女房

 むかし、むかし、或ところに女嫌いの男が一人で気楽に住んで居ったそうな。
 或日、何時まで経っても結婚しない孫の次郎の将来を思い倦ねた御婆さまは、遠縁の娘だと言って年上の変な娘、御さいを連れて来た。どうやら一度結婚に失敗した経験の在る娘らしい。
 御婆さまは何を思ったのか娘を置いて、一人で帰ってしもうた。どうやらお金で雇った娘らしい。
「其方、真逆此の部屋で儂と一緒に寝る積もりでは無かろうのう」
「心配いたすな、殺して食べたりはせぬは」
 どうやら娘の御さいは女房に成ったつもりで居るらしい。
 朝に成って懐かしい味噌汁の匂いが。次朗は、此処何年も味噌汁等炊いた事等無かった。
「先ほど御手水に立つた時、裏の荒地を見かけたが、彼の土地は御前さまの土地か」
「家の畑では在るが耕す者が居らぬで、荒れたままじゃ」
「怠け者じゃのう、何故自分で耕さぬ」
「せねば為らぬ仕事が山程在る、其んな、耕してい居る暇等無い」
「心配いたすな、わてが来たからには百人力じゃ、其の内里芋でも植えようぞ」
「御前さまは何をして働いて居るのじゃ」「山に入っては、薬草等を集めて居るがのう」
「其の薬は下の病にも効くのか」
「其方程の元気な女でも、病を持って居るのか」
「子供がほしいものじゃのう、前の亭主が種無しなのに、私のせいにされて追い返された」
「心配いたすな、其方とならば、直ぐにも出来ようぞ」
 働き者の御さいは掃除、洗濯の合間を見ては、裏の荒れ地を耕し始めた。今まで座敷の上で悠然と昼寝をして居った猫の玉もどうやら居心地が悪そうであった。
 雨の日はゆっくり本でも読みたい次朗では有ったが、御さいに扱き使われどうしで有った。何やらゴソゴソ脚立を持ち出して、棚の上の物まで片付け出した。
「あれー」次郎は御さいを抱き留めた。
「是、何時までわてを抱いて居るのじゃ」「私御手水に行きとう成った、そなたもせぬか」
「嫌な雨じゃのう」「其方は雨が嫌いか、雨は此の世の塵芥を洗い流してくれまする。ほれ見なされ、彼の様に木の葉が生き生きと」晩に成れば成ったで、指図三昧で有る。
「是、そなた、いましがた風呂に入ったばかりでは無いか、ちゃんと身体を洗って居るのか、わてが背中を流して差し上げるから、もう一度入りなされ、恥ずかしがる歳でも有るまいに」
「其方程の学門好きでも、情欲を抑える薬は作れんのか」
「其んな薬を誰が買う、其の様な薬が在る事すらも知らぬ者も多いがのう」
 或の夜の事、夜中に男は改まって御さいを自分の布団に呼び寄せて。
「此宵は、折り入って御願いが御座る」
「其方も矢張り男子で有ったか、わては構まわぬ、其の為に此処へ参った」
「じつわ、近か近か唐丸籠が街道を通る、何とかして咎人を助け出したい」「ハァー」
「そんな、大それた事を、其方まで、死罪に成りますぞ」
「命を掛けても、助けねば成らぬ大事な人」「私の蘭学の師匠でも有り、日本の為めにも死なしては成らぬ大事な人じゃ」「嫌じゃ嫌じゃ、其方を死なせたくは無か」「如何に大事な恩師でも其の様な男の為に其方が命を落とす事は無か」「男子では無か」「え、女子か」「女嫌いでは無かったのか」
 滅多に見せぬ御さいの泪を見て居る内に、愛しく成ってしまった次郎殿は、其の夜間違いを犯してしまったので有る。其んな折り継母が御婆さまが亡くなったと言う知らせを持ってやって着ては。色々と小言を言って帰ってしまった。
 恩師を助け出す二人の秘策とは。実家で盛大に結婚式を上げそのどさくさに紛れて助けだそうと言う物で有った。
「其の為に式を挙げるのか」呆れ返てしまった御さいで有った。
酒の中に眠り薬を入れ、役人迄も眠らせ御さいがすり変わると言う算段では有った、しかし、助け出せた物の、長旅の艱難辛苦の為か、大事な恩師は衰弱が酷く哀れ亡くなられてしもうた。
 婚礼迄挙げてしまった二人はもはや他人では居られ無い、御婆さまが約束した給金は未だ一度も支払わて居無い。御婆さまの口車に乗ったばっかりに御さい殿は大損をこいたので有る。たった一夜の間違いで子供まで出来てしまっては。御さい殿は文句の一つも言わずに、次郎殿と猫の面倒の只働きを一生涯強いられたので有る。哀れ御さい殿、其の年は例年に無く猛暑の夏で在った、里芋迄何を勘違いしたのか花を咲かせてしもうた。生来の次郎の怠け癖も元に戻ってしまった。猫の玉にとっては、又居心地の良い、我が家に戻ってしまった。裏の荒れ地は見事な畑に生まれ変わり、茄子や、南京、西瓜や、瓜、其れに里芋も採れ。次郎殿の助言で農民は干ばつや、冷夏にも泣かなく成った。御さい殿は四人の子を産み落とし、病気がちの庄屋に替わって差配をする様に迄成ったが、給金は未だに滞った儘で有った。彼の約束は一体何処へ行ってしまたので有ろうか。
 其れから又何年もし、末娘も野良に出出してこぶしの花も満開の頃、御婆さまの遠縁の者と名乗る、白寿を迎えた白い髭の老人が御婆さまの形見だと言って、大事そうな書付を置いて帰ってしもうた。何やら家康公の直筆の念書の様でも有った。御さい殿の給金はやっと支払われたので在る。目出度し、目出度し               2005−04−18−24−OSAKA

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