甘蕉と無花果

 無花果は花を食べる不思議な果物でも有る。花の蜜で甘露で有る。乳の様に白い樹液を出す。料理に使えそうで有る。ジャムにも出来そうで有る。干して保存出来る様にも出来る。干し柿の様に炊くと渋柿に戻ってしまう事も無い。柘榴と同様に無花果は愛、豊穣の象徴でも有る、卑猥なイメージも有る。
 バナナの花は不思議で有る為に熱帯植物園の目玉でも有る、茎のような先端からは、長楕円形の葉(葉身)が大きく伸びる。花(花序)は偽茎の先端から出て、下に向かってぶら下がる。花序は1本の果軸に 複数 の果房(果段)がつき、各果房には10本から20本程度の果指から成って居ると説明が有る様に不思 議でも有る。
 食用バナナでは種子は消失して居り、吸芽の株分けなどによって繁殖されて居る。生産性、栄養価は高水準だが保存には高コストと成る特性により主要作物に準じて居る。
 バナナを干した干しバナナは特別な存在でも有る。保存食にも成るし料理にも使えそうで有る。
 バナナの葉は格別に大きく、日本人には馴染まぬ熱帯植物のイメージが余りに強烈で有る。小屋の屋根にも葺ける。バケツをひっくり返した様な熱帯のスコールも耐えそうです。
 市販のバナナには種が無い、種の痕跡は有る。野生のバナナは当然進化をする為に交配と種は必要で有る筈。無い筈が無い。突然変異で種無しが出来、株分けで増やして来た為でも有ろう。
 美味しい果物は数多有るが種が有ったり、皮を剝く包丁を必要とする物も多い、バナナは包丁を必要とせず簡単に剝け、料理の手間を省いて空腹を紛らわせる事が出来る便利が有る。病院の栄養食に付いて居る場合も多い。種が無いので飲み込んでしまう懼れも無い。房が青い内に収穫され、輸送の長い時間の間に黄色く熟す。災害時の避難所への差し入れにも良く利用される。避難所では御飯を炊き出し御握りを握り二つずつ配る風習が有る。何故二個なのか長年疑問で有ったが。両手が塞がると腹を空かした餓鬼達も喧嘩を為無い為でも有る。或る時、バナナの差し入れが有り、バナナも安易に二本ずつ配ってしまい、並んだ最後の人に行き渡らなかったとんでもない不祥事も有った。散々並ばされて当ら無かった人の不満が爆発、悲壮でも有る。たかがバナナで有るが無念の思いは一生消え無い教訓でも有る。只働きのボランティアが責められる悲劇の事例で有った。手軽に手間を掛けず食べられ、栄養価が高く、空腹感が無く成る便利が有る。
 砂糖が無かった昔、甘味を出す為に人は工夫を為て来たので有る。果物の甘味を利用するのも一つの手で有った。果物で甘味を出そうと干し柿を利用したら甘い干し柿が渋い渋柿に戻ってしまい、失敗した教訓も有る。以前にカレーのルーの中に入って居る筈の無い柿の種が入って居た事が有った。異物混入もので有るが種は果物の中に有る物で異物の回収問題には成ら無い、誤って飲み込む可能性が大で有ってでもで有る。隠し味に柿が入れて有る事を偶然発見してしまった。林檎を入れるカレーのルーも有るから当然とも言えるが。無花果は西洋料理の甘さを出す為に使えそうで有る。干しバナナや干し無花果、シェフの腕の見せ処でも有る。鶏の丸焼き料理は世界中に有る。厄介なのは骨と内臓で有る、其れを取り出し代わりに美味しい詰め物をした料理も多い。美味な肉汁が外部に流れ出てしまうのを防ぐ為でも有る。切った時の人の喜びも一入で有る事で有ろう。
 果物は販売の為に熟す前に収穫して販売される為に、樹に成った儘完熟した果物の甘露な味を知らぬ人も多い。果物は熟しい実が割れて樹から落ちて腐るが、青い未熟の儘で落ちてしまう物も有る。不熟で有る。生涯熟す事が無いので有る。昔、不熟を理由に武士を改易させられた悲劇も有る。台湾バナナは距離が近い為か完熟品が市場に出回るのか、甘くて美味しいと言う印象は子供の頃から抱いて居た、中南米産は大きくて立派では有るが少し味が落ちる。輸送時間の為に青い内に収穫してしまう為でも有る。暑い赤道を通過しなければ成らない難関が有る。輸送中に黄ろく色付き食べ頃と成る。
 フランス料理の最後のデザートにバナナや無花果が其の儘出て来たら、如何して戴くかが大問題で有る手で皮を捲って戴くのが一番美味しいが、淑女には御勧め出来ません。少々下品でも有る。テーブルマナーの難しい処でも有る。以前に「バベットの晩餐会」で無花果を戴く場面が出て来るので参考に為さると良いと思います。フランス料理ならフォークとナイフで果物も戴くのが一般的では有るが。
 無花果は皮が赤黒く紫がかっる様に成って完熟為無いと美味しく成らない、皮も柔らかく痛み易いので有る。柘榴の様に卑猥に割れてしまっては商品価値が無く成る場合も有るので注意が必要。烏や小鳥も美味しいのが判って居るので突きに来るので有る。朝早くに収穫して其の日の内に市場に出す例も有る。バナナは皮が黒く色付き商品価値が無く成るが、甘さは増す。
 無花果も熟し切ると淫らに実が割れて樹から落ちて腐乱してしまう。果実の中には醗酵してアルコールが出来る物も有る。アルコールの中に果実を漬け込む果実酒は又別の話で有る。樹から落ち、醗酵した果実を大量に食べて、密林のジャングルの大型野獣達も酔っ払て思わぬ醜態を見せるので有る。ワインの製法の発見もかくの如きかと当然とも思え気も為るが。
 大きな樽に収穫した葡萄の房を入れ、処女の娘が素足で潰す御祭りも有る。処女で有る事が何故重要なのた理解に苦しむが、美人の穢れを知らぬ処女の娘が仕込っだ葡萄酒なら屹度美味しいで有ろうと思い込んでしまう人が多い為でも有ろう。
 旧約聖書に恥の象徴として無花果の葉っぱで前を隠す話が出て来る。神様が創った男女の完全な身体が何故無花果の葉っぱで隠さねば成らないのかが、永遠の疑問でも有る。フランスでは葡萄の葉っぱでに変わる、さすがワインの国で有る。キリスト教の教えは実を付けぬ無花果の樹は切り倒すので無く、肥やしを与え世話をして実を付けさす教えで有る。何やら東洋的でも有る。最近の日本は試験の結果で生徒を差別する無慈悲な教育が続いて居る。実を付けぬ無花果の樹は切り倒す政策でも有る。死に逝く老人を見捨てる政治家の如くでも有る。一生花の咲かぬ虚しいく人生を送る人も居る。夢は叶うものと思い込んで居た青春の時はもう二度と返って来無い。無花果は男性の精嚢の象徴かと思いきや、特には記述は出て来無い、逆に完熟して割れると女性の陰部を連想さて卑猥でも有る。人の思いも色々で有る。無花果の葉っぱで前を隠す事を忘れてしまった、淑女の女優達、ギリシャ神話の神々に成った心算か、子供に御乳を与える事を忘れてしまった女神達。無花果の樹液の乳汁に気触れた女神達の奴隷狩りが始まる、虚構の世界の性愛映画の世界の話で有る。
 絵に描かれた無花果は永遠に樹から落ちる事も腐乱為る事も無い。実物の無花果より生命感に溢れて居る様にも見える。芸術の世界で有るが、命が無い。現実と虚構を取り違える愚かが有る。事件が起きてから命の大切さを教える学校。やがて自分も年老いる事を忘れてしまって遊び呆ける学生達、母親の寝首を掻く子供のニュースも又かと驚かぬ社会の病根が有る。以前に総裁選に一度も出馬するとは言って居無いと開き直って、歳を理由に政界の引退も仄めかした人が総裁選に今度は何を思ったか出馬し、自民党総裁に成った。首相に指名された。急に若返ったみたいでも有る。若者も失恋して老人の様に老け込む時も有るが。
 無花果の樹の下の草の上で昼寝をする淑女は居無い、無花果の甘い蜜の匂いに惹かれて、悪さをする蟲が蠢く為で有る。此の大阪に恥晒しな女性専用列車が今だに走って居ても反対出来ぬ淑女達の定めでも有る。バナナの品種も色々有る様で有る、以前に篭に入り切ら無い程の巨大な極太のバナナが売られて居た事が有った。御婦人はさぞかし驚愕した事で有ろう。子供を授かりたい欲情に駆られても自らの手で無花果を弄るしか術の無い淑女の不運で有る。叶わぬ恋の悲劇でも有る。衣の下の無花果を触って、遺精をしてしまい警察に捕まる痴漢の愚かが今だに有る。世に痴漢や痴女が居る限り、大阪の珍奇な女性専用列車は走り続ける。
 南の国の或るモスクのイスラムの祭礼にバナナが丸ごと飾られて居たとか、「同じ甘蕉でも房の付く位置に依って味が違う様に、人も器によって社会的位置を決めなければ成らない」と言う格言も外国には有る。学生の試験の結果でしか生徒を評価出来無い学校の愚かが有る。此処は重要で試験に出すかや良く勉強する様にと言って、別の処を試験に出す教師の大嘘を見抜けぬ学生の愚かも有る。出た大学で生涯の評価が決まってしまう社会の愚かも有るが、其の大学に行けなかった愚かも有る。
 甘蕉の好きな御婦人が居て、無花果の好きな殿方が居乍、愛し合え無い不幸も有る。理性と欲望の狭間で紳士振って指を咥えて見て居る丈のあかんたれが多い為でも有る。電車の中で素敵な淑女は数多居れど赤の他人でも有る。何の関係も無い他人の人妻の世界で有る。異性の男女からは何の恩恵も受けて居ない人も居る。アバンチュール等ドラマや映画丈の世界でも有る。虚構の世界を現実と混同する愚かも有る。カメラマンの居ないカメラの前で猥褻の限りをするアダルトビデオの男女の俳優達の愚かも有る。愚かと知りながら終買ってしまう嗜好の世界の愚かでも有る。自分の嗜好の欲情を抑えられ無い犯罪者も居る。死刑に成ると判って居ても。天女の様な娘を犯して殺す変質者迄も居る。
 フランス料理のテーブルマナーの様に、手で食べれば良い筈のバナナや無花果を大層に巧みにナイフとフォークで戴くのを愚かと思ってしまう愚かが有る。他国の文化を受け入れ難い日本の国民性の為でも有る。バナナや無花果を料理に使ってしまう愚かも有るが、テレビの料理番組は見て居る丈で食べられぬ愚かも有る。夫婦の和合、交接に由って子供を授かる喜びを味わう事無く一生を終える人も居る。猥褻を罪悪、犯罪と思い込ませるマスコミの倫理も有る。そう思ってしまう、善男善女の悲劇でも有る。ものの真が見えぬ、心眼を持たぬ人が多い為でも有る。                          




          2007−10−01−263−02−01−OSAKA



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