抱脚の猫

 野生動物の殆んどが人を見ると逃げ出してしまう。人に鉄砲や弓で撃たれた恐怖の記憶が本能として遺伝子に書き込まれてしまって居る為でも有る。鉄砲の音等聞く事が皆無の現代に至っても恐怖が消える事は無いので有る。動物達と仲良しに成りたい、心優しい子供達を失望させて居る。ディズニーの映画の様には巧く行か無いので有る。人が蜘蛛や蛇や蜂に本能的に気嫌うのに似て居る。人を恐れぬガラパゴス島の動物には其の恐怖の記憶が未だ無い。イグアナの皮がもし高く売れて居れば絶滅させられた危惧も有った。人を恐れぬ事は無謀で有る。天空を飛べる烏は人への恐怖も薄れ勝ちで有る。ゴルフボールを咥えて人を困らせて遊ぶ横着者も居る。食べられる玉子と間違えて居る訳では無い。繁殖の一時期を除いて人を襲う事が無いのが救いでも有る。頭に糞を落とされ無い様に注意しましょう。燕は人の往来の激しい道側の軒下に良く巣を作ったりする。人が居ると蛇等の天敵に襲われ無い事が判って居るので有る。雛が巣立った後の巣後を覗いても桜貝が入って居る訳では無い。床の間に幽霊の掛け軸を飾ると烏がの家中迄入り込んで来るので注意しましょう。マンションでもカレンダーの動物を見て、網戸にへばり付いて中を窺う烏も居った。
 犬は人も犬だと思って居る節が有る。雄犬は人を雌犬と勘違いして、脚に抱きついて盛ろうとしたりする。犬程度にしか想われて居ないのは心外でも有る。強い飼い主には頭を下げて近付くが、弱い孫娘には行き成り馬乗りに成って自分の地位を確認したりする。犬畜生と言う言葉も有る。飼い犬に手を咬まれる譬えも有る。可愛がり過ぎ、犬も猛獣で有る事を忘れてしまた悲劇も有る。
 猫も可愛いペットと思って居る人も多いが、内部に野生の血が流れて居るので有る。腹が空くと人の脚に纏わり着き、甘える。昼寝をして居ると御腹の上に片足を載せて乗りたがって啼く。雪夜の晩には寝床の中に迄忍び込む。ひつこく猫を弄ぶと怒って咬み付く時ま有るが、血が出る程には強く咬ま無いのは加減をして居るので有ろう。座敷の隅に鼠の頭と尻尾が有るのを見て、驚愕した経験の有る人も多い筈、猫の仕業で有る。鼠を捕らえて食べるのは当然としても、他所の家の鶏を襲ったっ例も有る。野生なので有る。
 猫は気持ちの良い時には気持ち良さそうに咽喉をゴロゴロ鳴らすので人の想いも特別に強い。人は猫の思いが判るのに、猫は人の思いが判ら無い処が悲しい処でも有る。時に信じられない行動を取る事も有る行ったらあかんと脚を抱きすくめる時が有る。家畜が盛りの時期以外に露骨に欲情を表すのは極めて珍しい。人との信頼が有るとも思え無いが。
 人は歳を取ると親とも死に別れる、写真が嫌いに成る人も多い。若い頃には二度と戻れぬ悲しみが有る為でも有る。全ての夢が叶うものと信じ切って居た青春時代。
 学生の頃に見た映画やドラマをもう一度観たいと思う人も多い。VHSやDVDに商品化された物なら手に入る可能性は有るが。されなかった物は不可能に近い。心の中の記憶丈が頼りでも有る。β方式との規格戦争の覇者のVHSも今や無く成る運命で有る。巻き戻しの手間が大変で有るし、磁気の劣化も有る、頭出しが出来無い。DVDの全盛では有るが、既に次世代の記録装置のBlu−rayとHD DVDの規格戦争も有る。両方に対応したマルチドライブも出来そうで、規格戦争の行方は如何に。
 全盛のDVD自身も既に販売終了や廃盤も目に付く、中古品の中に既に希少価値が発生し可也高い値が付いて居る物も、骨董的な高値も既に付いて居る。
 映画の中の俳優は何時までも歳を取ら無いが、生身の観客は歳を取ってしまう。ニュースで今の俳優を見ると年の流れを感じてしまう。昔の風景写真を見て、二度と返れぬ悲しい世界も有る。栄枯盛衰は世の習い、一寸前迄有ったコンビニが潰れてもう無い。学校の同窓会が嫌いな人も居る。成績が良かった生徒が必ずしも社会に出て成功して居るとは限ら無い為でも有る。先生を困らせて悪童が成功して居る場合も以外と多い。
 ヴィルナ・リージと言うイタリアの女優が居る。アメリカに渡り映画のデーターの検索サイトにも登場するが、イタリア時代の映画のデーターが少ない。初出演が「巷の恋」と言う事で有るが、ビデオ化されて居る、東北新社「街の恋」のオムニバス6作品の中には収録されて居ません。主演作品がもう一部有った筈で有るのに。中学生の頃にテレビの御昼3時からのテレビ名画座で遣ってた事が有ったが、昔の映画にはもう二度とは出会え無いので有ろうか。弟を母親代わりに育てる娘、小船でロブスタを捕らえて生計を立てて居る、或る日仕掛けを上げるとどの仕掛けも見事なロブスターが入って居た。ボートに乗った島の男が遣って来て、二人は愛して居乍も、顔を合わせると喧嘩ばっかりで有った。或る日漁の最中に急に嵐に、小船が転覆し娘は島の男に助け上げられ島へ。
「何時もわあんなに憎たらしい口を利くのに、寝て居る時は如何してこんなに可愛いいんだ」と見とれる男を無理矢理外に追い出す母親、
「こんな娘が家に嫁に来て呉れたらなあ」と嘆く母親。
 今度は日本では馴染みの塩田で働く娘、スカートをたくし上げて働く娘の脚を見て、口笛を吹いてカラカウ島の男、娘は島で寝た振りをして居て聞いた事を皆の前でばらしてしまう。娘には真面目な恋人が居たが弟を養う為に結婚が出来無い。恋人と島の男が喧嘩に成り。娘は港から出航するボートの後を追った海に飛び込み泳いで付いて行く、其れを観た弟も「僕も」と言って海に飛び込んで付いて行ってしまう。二人は恋を感じ接吻をして映画は終わるので有るが。心の中の想い出の丈の世界でも有る。
「禁じられた遊び」や「駅馬車」等の名画はDVD化もされ、古い映画では有るが何時でも見る事が出来る。「居酒屋」で有名なフランスの美しい女優のマリア・シェルの「枯葉」も良かったが。麦畑の強姦シーンとベッドの壁の十字架の後が印象的で有った。労働組合の推薦しそうな「オリーブんぼ樹の下に平和は無い」も貧しくて不思議な魅力の有る映画で有った。幾ら貧しくても裸足で生活する娘等居無いと疑問に思ったが。良い映画を求めて探し求めても出会う事の少ないのは、叶わぬ恋物語の如くでも有る。「ベン・ハー」では美しすぎる奴隷の娘が登場する。ハリウッドの有名な映画はDVD化も進んで居るが、ヨーロッパの古い映画と成ると中々で有る。スペインの映画も映画賞でも獲ら無い限りDVD化も難しい。ペドロ・アルモドバールの珍奇な作品群は特異でも有る。最近は映画賞を意識してか真面目な完成度の高い作品を作り出し。芸術性は増したが自由奔放性が無く成った。何度も観たく成る映画に出会えて、至福の時を過ごしたいもので有る。マティナの海の様に前半は良かったのに、急に可笑しな方向に話が進んでしまい、観なかったら良かったと、時間を無駄にしたとの思いも発生する場合も多い。「駅馬車」や「キングコング」等リメーク作品も多いが、前作を越えるのは至難の業でも有る。「スーパーマン」の様にシリーズ化された物も有るが最後の作品が最高傑作とは限ら無い。前のほうが良かったと観客の評価は余りに厳しい。前作を研究しつくし、芸術性で越えた作品も中には有るので全て失望では無い。「シャレード」のリメイク版が良く出来て居る。前作を凌いで居るとも言える。日本映画の寅さんシリーズも随分長く続いたが、最後の作品が最高傑作では無い。最高傑作を凌ぐ物が以後作れ無かった事を意味する。トラック野朗シリーズは10作品も作られた。何時も振られてばかりの主人公を最後を意識してか振る立場に仕立てた。歌手の石川さゆりの抑えた演技が白眉で有る。同じ歌が二度もフルセット歌われる。歌い分けて居るのもさすがの歌手で有る。
 昔観た、外国のテレビドラマと成るとDVD化も皆無に近い。DVD化されて売られて居る物も有るが少ない。昔、「逃亡者」と言うテレビドラマが有った。綺麗事の多いアメリカのテレビドラマの全盛期にシリアな社会派のドラマは衝撃を日本に与えた。映画化もされた。西部劇の「ララミー牧場」も有名で有った。主演のロバート・フラーが日本に来て、枚方パークに一時立ち寄った時は、全員総立ちで有った。当時の熱狂振りが判った昔の想い出でも有る。学生時代に見た「タイムトンネル」はタイムマシンで過去に戻るのでは無く、トンネルで過去と繋がると言う。映画的手法を皮肉った作品で有る。過去に戻れぬ観客の夢を叶えると言うので有る。言葉として定着しそうでも有る。SF映画の古典「禁断の惑星」は今だに時代遅れを感じさせ無い凄さが有る。
 最近は中南米のテレビ小説、テレノベラのビクトリア愛と復讐の嵐がCS放送のスーパー!ドラマTVで放送されて居る、BSジャパンでも放映されて居る。ラテン系テレノベラはNHKの朝のテレビ小説よりかは、民放の御昼の主婦向けのメロドラマに近い。女の裸を期待する殿方は失望するかも。裸に成る場面は有るのに決して出て来無い。水着姿は出て来るが。貞淑な信仰深い国への輸出も考慮してか。以前の様な二ヶ国語放送で無く、待望の字幕放送で有る。パソコンでストリーミングで視聴したり、ダウンロード販売もされて居る。DVDのボックス版も既に発売されて居る。以後順次4部迄発売されるので御期待有れ。話の展開は日本人には馴染ま無い珍奇では有るが、日常会話が主で大事な言葉は何度も繰り返される。スペイン語の勉強に利用出来そうで有る。主演の悪役の牧場主は日本人の移民系の俳優でも有る。スペイン語が日本語に似て居るのが判るテレノベラでも有る。主演のソンヤ・スミスはアメリカの女優で通常は英語を喋るが、中南米育ちでスペイン語も話せる。日本初登場と成って居るが、以前にTVEで事件を起こし修道女の娘が妻を無くした裕福な医者の家庭にんメードとして入り、最後に医師の主人と目出度く結ばれると言うシンデレラ風のドラマに出演して居たのを思いだす。泣きの演技が印象的で有った。勿論外国語放送なので字幕は出なかった、がドラマは観て居れば判るのも不思議で有った。意味が判ら無くても、悲しみや喜びの感情は伝わる為で有ろう。









          2007−10−01−265−02−01−OSAKA



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