彼岸花(曼珠沙華)

 彼岸花は秋の彼岸の時期に赤い花を咲かせる日本の代表的な毒花で在る。葉が出る前に花が咲く為に「曼珠沙華」「葉見ず花見ず」と言った別名も在る。又、彼岸の時期に咲く事から彼岸花は、死人花、天蓋花剃刀花、捨子花、灯篭花、葬式花、幽霊花、狐花、狐の松明、墓花等、余にも不本意な名が付いて居る道端や堤防の法面等に咲く花は地味な花が多いのに、鮮やかな赤の花を咲かせる事から「火炎草」の別名も在る。
 毒花で有る事から、多くの人にとって印象は余良く無い。花を摘んで帰って「其んな花を持って返ったら、家が火事に成る」と叱られた経験の在る人も多い。リコリンと言う毒を含んで居る為で有ろう。しかし、鱗茎部を毒抜きをすれば食用に成るとか、命を懸けて迄食べ根ねば成ら無い程の飢饉が過去には何度も有ったので有ろう。飢饉の備えて、植えたて置いた人も居たので在ろう。
 本当に彼の世等在るので有ろうか。臨死体験とは死にかけた時に見た夢の話で有って、彼の世の話では在りません。人が知ら無い事を良い事に、在りもしない世界を見て来たかの様に話す人も居ます。
 多くの人は天寿を全っとうして老衰で家族に看取られて、眠る様に死にたいと願うもので在るが、世の中はそうは儘成ら無い。事故や、犯罪等で犬死した人の無念の思いは幾許で有ろうか。其の無念さ悪用して、人殺しを重ねる事に快感を抱く鬼畜達も少なからず居る。然れど死刑を廃止すべきだと言い出す政治かも多い。人の心は様々で在る。鬼畜達の心を苛む悪夢も、戦前に日本を戦争に駆り立てた政治家や教育者の心に潜んだ悪夢も、特別な物で無く、誰の心にも潜む物で在る。今こそ、日本を再び戦争に導か無い為にも人々は平和に付いて考えましょう。日本国憲法改訂、教育基本法改訂、・・・何やら、心の悪夢が甦り出したらしいです。
 お菓子におまけで付いて居る玩具が欲しくてお菓子を買い、おまけを手に入れたらお菓子を捨ててしまう子供が居ます。日本憲法を改訂して、おまけで付けた一条が悪さをして、戦争への悪夢が甦るかも知れません。戦死した人は軍神の神と成って崇められても最早二度とは帰って来無い。
 曼珠沙華という名前は、仏教語の manjusakaの音写で、仏教世界では此の花を見た者は自ずから悪業を離れると言われる天界の花なのだが・・・。
 葬禮で美しい花にに包まれると悲しみが消えるので有ろうか。棺桶を花で埋めつくせば、死人の無念が消えるので有ろうか。花言葉に思いでも込められて居るので有ろうか。性器でも有る花と死者が結び付くのも不可思議では有る。彼岸花は特に死のイメージが強く、余り人に良い印象を与え無い、不本意な名前も実に多い。
 堤防の法面等に彼岸花は良く自生して居て、彼岸の時期に成ると、土手を焼く火のようにも見えます。自生の花の多くが地味な色の花が多いのに、彼岸花は鮮やかな赤の為に、特に異常に感じるので有ろうか墓地の側で咲いて居たりすると不吉ささえ感じてしまう人さえ居るので有る。
 大都会の片隅にひっそりと咲く彼岸花は一体何を思って居るので有ろうか。精一杯咲き誇っても、見る人も無く、訪れる蝶や虫すら居無い。哀れ曼珠沙華。千年の歴史の中で、幾度戦が在り、幾度天変地異が在り、幾度大饑饉が有ったので有ろうか。戦や饑饉が来無い事を願って植えたこもしれぬ、先人の思いを知って居るので有ろうか。

                     猫の座布団

 虎や黒豹に似た野生其の物の猫が、座敷や厨房を悠然と歩き廻るの見て居ると、不可思議の限りで有る人に対する恐怖等微塵も無い様で有る。憎っくき野犬も此処までは上がって来無い為、我が王国なので有ろうか。鼠を捕らえて食らうと言う、野生を内部に秘め乍も、人の膝の上に載って寝たり、人の寝床の中に潜り込んだりもするので有る。
 猫は人を如何思って居るので有ろうか。人を親や、神仏の様に思って崇めて居る様でも有り、座布団程度にしか思って無い様でも有り良く分から無い。
 猫は何かして欲しい時きには鳴き、又、して欲しく無い時にも鳴きますが、目を見つめる時は、して欲しい時に間違い有りません。多くの野獣が人を見つめる時は攻撃する時で、人も見つめられると恐怖を感じてしまいます。然れど猫は何故人を見つめるのか。人も愛しい人には、つい目が行ってしまい、見つめてしまうもので有る。猫は真愛しさでも感じて居るので在ろうか。犬が何かが欲しい時に、吠えたおすのとは対照的です。見つめられる事で愛しさを感じてしまう、人間の錯覚を猫は利用して居るので有ろうか 人の御腹の上で昼寝をし喉をゴロゴロ鳴らし、人への愛しみの限りでは在るが、其れは誠なのか。人を座布団としか思って無いとしたら、大変な誤解では在るが。誤解で在っても猫を飼う事の出来無い人にとっては羨ましい限りでは有る。
 野生動物の殆どが人を見たら直ぐの逃げ出してしまい、猫の様に見つめられるのは子供の情操教育にも必要で有ろう。猫も鋭い爪と鋭い歯を持ち乍、血が出る程には強くは噛ま無い所から、噛んでもかげんをして居るので有ろう、人への愛しみが少しは在るので有ろう。其んな猫を、野性が悪さをさせては捨ててしまう人も多い。其の様な人の心は野獣並みで在る。
 天下泰平の祈願を込めて多くの名工が眠猫を刻んで来ました。日光東照宮の陽明門(日暮門)の東回廊潜門の蟇股にある小さな猫の彫刻が名工・左甚五郎の作で有名。百年後も猫が人の座布団の上で昼寝が出来る様な平和な世が続きます様に、平和について再度考えて見ましょう。
              2005−05−02−29−OSAKA

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