縺れ髪

 大淀は千年の時を滔滔と流れ、堤防の三本の大椿は参百年の年輪を刻んで居た。華枝の御気に入りの大椿は春を待てず咲き乱れて居た。樹下に椿の花の緋毛氈を敷き詰めて居た。華枝は樹に登っては花の蜜を吸って遊び呆けて居った。或る日の事下を見て急に怖ろしく成って動け無く成って為まい、太助に助けられた、太助に背負われて下りる途中恐怖の余り恥ずかしい事を為てしまった。御粗相を為てしもうたので有る。
「ええか、大人に成ったら夫婦に成って上げるから誰にも言うたらあかんで」
 二人の間に親兄弟にも言えぬ秘密が出来てしもうたので有る。
 大庭の地には、元庄屋で大地主でも有った財閥山田家の屋敷が有った。医師の家系でも有り祖父は製薬会社の創業者でも有る。簡素な貧乏の村には場違いな豪邸でも有った。両親の悩みは娘の不精で有った、生まれて此の方自分では髪を梳いた事が一度も無いのか束ねた髪を縺れさせた居ったので有る。十五の春をもう直迎えると言いうのに、便所に行くのも面倒なのか学校で尿垂れをしては先生に叱られて居ったので有る。其の度に太助は尻拭いをさせられた。着物は着替える気も無いのか、着たきり雀で有った。帯の代わりに荒縄を括り、馬に乗り廻す有様で有った。財閥の一人娘で有る為か、悪く言う村人も誰一人居無かった。我儘の遣り放題で有った。
 華枝は村一番の美形では有ったが邪悪な心を持った娘で有った、年上の男を虐めては快感を感じて居ったので有る。太助は其の度に華枝の悪さの尻拭いもさせられて居ったので有る。祖母の春の懸念は孫娘の行く末で有った。奇行の多い孫娘に縁談等有る筈も無かったので有る。箕屋の倅の太助は学校を卒業して直ぐに町の仕立て屋に奉公した。未だ洋服も珍しかった時代の話で有る。山田家には洋行の多かった主人の為に何度か背広の新調の為の寸法取りに行った。祖母は何を思ったか太助に目を付けた。格別の好意を持った。
「なあ、太助ちゃん、此処まで来た序に佐太の天満宮に一緒に御参りしせいへん、父の洋行の無事を祈願したいねん」自分で縫うたのか不似合いの背広の箕やの倅の太助と乱れ着姿の荒縄の華枝、呆れ返る村人を余所目に華枝は夫婦気分の二人連れで有った。
「なあ、こうして二人連れで御禱りして居ると夫婦に成った様な変な気に成るわね」

 気だるい様な暑い夏の日の午後で有った。蓮田の蓮の花は盛りを過ぎて咲き乱れて居た。蓮の花は泥田の中に在って、極楽浄土の花を咲かせる、仏花でも有る。華枝は石橋の傍の小川に水に顔を映し、見事な黒髪の縺れが気に成ったのか、娘にも春が訪れたので有る。雑魚が長い行列を成して川を下って居った。偶然通り掛かった太助は、華枝を見て思わず大笑為てしもうた。
「此れは珍奇な、鬼女でも髪の縺れが気に成り出したか、もう尿垂れは治ったのか。縺れた髪は元には戻らん思いきって切ってしまう事じゃ」
「良くも、うちの事を鬼女と言うたな、うちとの夫婦の約束をもう忘れてしもうたのか」
「女房に成る心算なら亭主の言う事を聞け、儂が縺れ髪を切って遣る、今後は縺れぬ様に櫛で梳かす事じゃ」「気でも狂うたのか」嫌がる華枝の縺れ髪を洋裁挟みで切り落としてしまったから大変な事に。無惨にも哀れな散切り頭に成ってしもうた。髪を切られた怒りとショックで我慢して居た尿が我慢出来無く成って尿垂れ為そうに成り、矢庭に御尻を捲くって道端で立小便を為てしもうた。
「見るで無い」未だ為終わらぬ内に。「未だ病が治って居らぬでは無いか、男の前で何と言う端た無い事を」と太助に御尻を叩かれて仕舞った。
 華枝は死ぬ程の屈辱を受け、家に逃げ帰り泣き喚いた。空が模様が急に悪く成り、雷が光、雷鳴が轟いた。長く降ら無んだ雨がヤット降った。
「華枝、其の髪は如何した」「たかが仕立て屋風情に髪を切られて為もおた」「夫婦の約束も忘れて仕舞って、うちをの御尻を叩いた」「憎い、恨んで遣る、呪って復讐為て遣る、此の儘では腹の虫が治まらぬわ」「華枝、落ち着いて、落ち着いて」
「夫婦に成って、一生思い知らせて遣る、尻に敷いて遣る」「太助を虐める為に夫婦に成るのか」「太助の家には借金も多い、此の婿入りは断れまい」
 珍奇な縁談に成った。村の誰もが太助は縁談をを断るものと思って居たが太助は断ら無かった。断れ無い人に言え無い事情が有ったので有る。
 華枝は西洋式のドレスで結婚式を挙げたいと駄々を捏ね、仕立て屋の太助に我儘の言い放題で有った。 こぶしの花は咲き乱れて居たが、春待ち遠しい霙の降る寒い冬で有った。
 二人の珍奇な婚礼は近くの天満宮で済ませた。花嫁のドレスは生地が足りず寸足らずで膝が見えて居ったが華枝は満足して居った。婿は相変わらず似合わぬ燕尾服で有った。底冷えの寒い日で有った。太助は小用が我慢出来無く成り、大事な誓いの言葉も言わぬ儘式の最中に便所に駆け込んだ。
「あんた、何処へ行くの」「一寸小用に」「うちも御手水に」「もう端た無い、わても序に御不浄に」「夏枝迄端た無い」「出物腫れ物処を選ばずじゃ、わても序に憚りに」「御婆はんの春様迄が便所かこんな時に端た無い」洋行の経験の有る華枝の父も、外国も公衆便所の少なさに苦労して居ったので有る。留袖の晴れ着の母者までソソクサと便所へ、大便所が塞がって居て立ち小便の花嫁姿の我が娘を見て唖然としてしまった。「華枝水洟が出てるえ、さあかみ」鼻紙でかむ母者。出来の悪い娘程可愛いいので有った。
 珍奇な婚礼も無事に終わり、自宅で内輪丈での披露宴と成った。遠縁で有ったので何やら法事の集まりの様でも有った。目出度い筈の婚礼が御通夜の如くでも有った。
 太助はホットして湯船に浸かって居ると華枝は裸に成って湯殿に入って来た。
「前は隠さ無いのか、恥ずかしくは無いのんか」「わての裸を見たくて結婚したのじゃ無かったのか」
「二度と髪を縺れさせ無い為にも、毎日髪を洗い、櫛で良く梳く事じゃ」「そんな約束は御免だわ、やや子が出来たら髪等構ってられ無いわ、出来ぬ約束は最初からせぬ」「洗い方も知らぬのか」「嫌なものは嫌」女は恥じらいも無しに前を洗い、太助は嫌がる花嫁の髪を無理矢理洗って居る内に可笑しく成ってしまい、野獣の様に花嫁の後ろから辱めてしまった。
 華枝は頭にシャボンの泡を付けた儘、西洋手拭を腰に巻き着けた丈で湯殿を飛び出し。
「あああ〜、あああ〜又犬畜生の様に辱めを受けてしもうた、一生恨んで遣る」華枝は泣き喚居たが、恥ずかしくて両親にも言えずで有った。以後は一つ蒲団で寝る丈の夫婦に成ってしまったが、たった一度の関係でやや子が出来てしもうた。

 或る日の朝に。
「これ、何時迄わての御乳を触ったら気が済むのじゃ、其方はやや子か」太助は夢現で触ってしまって居ったので有った。華枝は犬の字で寝て居ったののを恥じておった。
「華枝は腋毛は剃らんのんか」「何の為に」「あんた、何処へ行くねんや」「一寸小便に」「わてもしたい」余程連れ尿が好きと見える。

 季節が廻り、臨月も近付居た或る秋の日。庭の柿の大樹の柿が見事に柿色に色付き、収穫の時期を迎えた、渋柿で有ったが干し柿に為ると甘く成る。御八つの少なかった昔は貴重な自然の恵みでも有った。或る日曜日に庭を村人に開放して柿を採らして居ったので有る。臨月を目前にして樹に登らぬか心配して居ったが、さすがに為無かったが。下から童の指図をして居った。
「全部採ってしまっては駄目よ」「如何して」「収穫を神さまに感謝して、小鳥達にも分け与えねば」
 童の登って居た柿木の枝が折れて童が落ちた。「あ、危ない」華枝が抱き留めて童は掠り傷で有ったが華枝は衝撃で産気付居てしまった。
「此処な処で御産を為るのは嫌じゃ、嫌じゃ、病院で御産をする、早よう病院迄連れて行っておくれ」と駄々を捏ねた。「もう間に合わぬわ」
 産婆でも有った祖母の大活躍で有った。ことも有ろうに双子で有った。華枝は畜生腹だと陰口を利くもの迄居った。犬の様な安産で有った。
 華枝は男を欲しがって居たが姉妹で有った。二人は親に言われ天満宮に宮参りに出かけた。華枝は藁縄の帯で無く、金襴緞子の帯で有ったが、仕立て屋は相変わらず似合わぬ洋服姿で有った。村人は可笑しくも無いのに何故か笑うので有った。

 やや子が出来るとやや子の世話に追われて亭主の事等構って居られ無く成ったのか、又、元の不精に戻ってしまた。見事な烏の濡羽色の黒髪も又縺れ気味で有った。其の縺れ髪の毛玉を勝手に居付いて仕舞った野良猫の黒猫が鼠と間違えてジャレルので有った。其の内自分の家と決め込むんで、背中に迄載る有様で有った。雪夜の晩には夫婦の蒲団に迄偲び込むので有った。太助が寒さに堪り兼ねて、裸に成って湯殿に飛び込んだら華枝が入って居た。
「失礼」「何を今更恥ずかしがってらしゃるの、わてにやや子迄産まして置いて」
「御免、わて、催して来ましもうたわ」「良い歳放いて端た無い」厚かましい黒猫が中に入りたがった。「こんな時に無粋な猫だ事」「咽喉が渇いた丈だよ」「もう我慢出来無いわ」前を押さえて淫らな。相変わらず生来の不精で有った。又悪い病気が出てしもうたので有る。
「なああんた、一度西洋映画の様に篤い接吻をして見たいわ」
「そんな恥ずかしい事夫婦でも出来る訳無いだろう」
「西洋では挨拶代わりにして居るのよ」
「何恥ずかしがってつの、御父はんも御母はんも有馬温泉へ出かけたえ、御婆はんは親戚の法事に泊り掛けで出掛けたえ」「なあ恥ずかしい事しような」華枝は足の指で太助の鼻を挟んだ。
「あんた、背中を流して下さる、指を怪我しているますの」「あんたもわてににて不精やね、手抜きをしたらあかん」汚い処も洗わして居る最中に恥ずかしい事をしてしまった。亭主の手の中へ。
                                              「「何て端無い女だ」と言い乍、太助は黒猫の見て居る前で又野獣の様に端無い事をしてしまった。
「あああ〜あああ〜又辱めを受けてしもうた、一生恨んで遣る」華枝は泣き喚き、二人は又一つ蒲団で寝る丈の夫婦に成ってしもうた。

 或る日の朝。
「これ、何時迄御尻を撫でたら気が済むのじゃ、痴漢は犯罪ぞ、此の大阪の電鉄に女性専用車両が必要じゃのう(当時は未だ珍奇な列車は走って居無かった)」
「華枝は腋毛は剃らぬのか」「何で」「あんた、何処へ行くねんや」「一寸小便」「わても為たく成った」やがて華枝は三人目のやや子を身篭った。

 季節が廻り、臨月も近付居た或る春の日、村人は大川の岸の桜並木の下に茣蓙を敷き、満開を過ぎ桜吹雪の中で花見を楽しんで居った。大川の辺には花浮き橋が出来て居た。橋の上で酔っ払いが突然暴れだし、乳飲み子を抱いて居た女が其の拍子に赤子を大川に落としてしまい絶叫した。
「太一が落ちた、誰か助けて」華枝は何を思ったか人の見て居る前で突然帯を解き始め着物を脱ぎ捨てると身重の身で有る事を忘れて大川に飛び込んだ。見事な横泳ぎの泳法で赤子を助け上げた。横泳ぎは女性用の泳法で有る。今では競技の種目に無いので学校では教え無い泳法では有るが。男で有ったなら淀川を泳いで渡りたかったに違い無い。泳法の達人でも有った赤子は無事で有ったが、華枝は飛び込んだ衝撃で産気憑居てしまった。
「こんな所で御産等為たく無い、早く病院迄連れて行って御呉れ」「もう間に合わぬわ」「肝心な時に御婆はんが居無いでないか」「人が見て居るでないか」母者の介助で安産で有った。
 華枝は三人目のやや子を産み落とした。待望の男で有った。又兄弟の双子で有った。華枝の腹は畜生腹との噂は噂で無く成った。早速二人は天満宮に宮参りに出かけた、何やら自慢気で有った。華枝は藁縄の帯で無く、金襴緞子の帯で有ったが、太助はと言うと相変わらず似合わぬ洋服姿で有った。村人は可笑しくも無いのに又何故か笑うので有った。

 憂鬱な秋雨前線が停滞して居た、四日四晩雨は止まずで有った。大淀は大水と成り、黄河の様な様相を示し出した。大淀の主の真鯉も岸に身を潜め、童の餌食に。食中りか太助は腹具合が悪く成り、家に帰る成り便所に駆け込んだ。雨が止んだら二件の葬式が重なった。葬式が二件重なるのは小さい村では珍しい事で有った。両家の葬式から帰った華枝も余程我慢して居ったのか、草履を揃える余裕も無いのか其の儘脱ぎ捨てて小走りで御手水に駆け込んだ。生憎亭主が用を足して居った。已むを得ず御尻を捲くって朝顔で小用を足して居ると亭主が慌ててズボンを上げ乍出て来てしまい、恥ずかしいところを見られてしもうた。
「何て端た無い事を」と言いながら亭主は恥ずかしい事を為てしもうた。又又野獣の様に後ろから華枝を辱めてしもうた。「あんた、こんな汚い処で何考えて居るねんや」
「あああ〜、あああ〜」喪服の華枝は泣き喚いた。「華枝、親しい人を亡くして悲しいのは分かるが、そんなに泣き崩れては、亭主にかんぐられえ」
 如何やら日本が入る程の巨大な台風が近付いて居るらしい。夜通しの火葬は辛い仕事で有る。台風の大雨での屋根の雨漏りが気に成るところで有った。途中で火が消えては大変で有る。

 或る日の朝に成って。
「これ、何時迄恥ずかしい処を触ったら気が済むのじゃ、又尿を引っ掛けられたいのんか」
「華枝は腋毛は剃らぬのか」「何で」「あんた、何処へ行くねんや」「一寸小便」「わても為いと成った」 やがて、華枝は五人目のやや子を身篭った。

 季節が廻り猛暑の夏が遣って来た。天満宮の夏祭りで有った。太鼓台が村中を練り廻り、御神燈が燈り、神輿が太鼓の合図を待って行き戻り。其の最中に村の古い寺社が火事に成った。天満宮への参拝の帰りに華枝は遭遇した。寺の住職は狼狽たえて仕舞い、夏なのに炬燵を持ち出す始末で有った。消防団の団員は放水に大童、村人は大事な文化財の仏像を持ち出そうと数人掛かりで大童。
「御爺ちゃんが未だ中に居る、誰か助けて」飛び出して来た少女は絶叫した。「もう無理じゃ、火が廻ってしまって居る」確か寝たきりの老人が居った筈、華枝は薦を水で濡らし頭から被って身重で有る事を忘れて火の中へ、重い老人を背負って出たのは良いが、火事場の糞力を出して力んだ為か産気憑いてしまった。
「こんな処で御産等為たくは無い、早く病院へ連れて行って御呉れ」と駄々を捏ねた。「もう間に合わぬわ」婆も母者も傍に居ず、消防団員の介助で又又双子の兄妹を産み落とした。最早華枝は畜生腹と噂する人は最早誰一人居無かった。二人は又又天満宮に宮参りに出かけた、何やら自慢気で有った。華枝は藁縄の帯で無く、金襴緞子の帯で有ったが、太助はと言うと相変わらず似合わぬ洋服姿で有った。村人は可笑しくも無いのに又又笑うので有った。

 或る日、妻の華枝に七人目のやや子が出来たと聞かされて愕然としてしまった。何も為て居無いのにで有る。妻の不貞かと悩んで居ったが、子供の世話で浮気心も起きる筈も無かったが。
「 太郎、五年生にも成って尿垂れして帰って来よたんか」「花子にションベンを引っ掛けられてしもう た」「何んやて」「真逆、夫婦の約束を為て仕舞うたんと違うやろな」「何で」
 相変わらずの華枝で有った。

 或る朝に太助は夢現で妻を抱いて居る自分に気が付いた、妻の髪を縺れさして居たのが自分で有る事に其の時初めて気が付いたので有った。
「そんなに為さったたら、やや子に障りますわよ」

 季節が廻り、予定日の二週間も前に何やら身体の調子が可笑しく成った。華枝は大童で病院に入院した六人も子を産み乍何故か難産で有った。難産が祟ってもう子は産めぬと医者に言われてしまった。ショックでしょげて居た。娘一人で有った。華枝が一人しか子を産ま無かった事が村の噂に成った。

 やがて子供も元気に育ち。優しい祖母は亡く成り。元気一杯の子供の悪さの謝りに駆け廻る毎日で有った。髪を梳かす時間も無く成った。七人の子は其々好き伴侶に恵まれ独立した。やがて子も恵まれた。
 華枝も年老いて髪の毛も白く成った。髪も縺れ気味で有った。孫娘は嫌がりもせず祖母の髪を梳くのが日課と成って居た。
「御婆さんは余程、美空ひばりの乱れ髪が好きなんやね、何時も聞いて居るね」髪を梳き乍言うた。
「女と言うものわ、幾つに成っても髪が乱れる程に激しい恋をしたいものじゃ、髪を縺れさせ無い様に手入れを怠らぬ様にな」
 箕屋の倅の仕立て屋の太助は華枝が亡く成ると、後を追う様に亡く成った。白寿の天寿を全うした。大勢の子、孫、曾孫に惜しまれての死で有った。








          2008−02−25−297−04−01−OSAKA



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