乗り合い馬車

 西部劇は日本人にとって特別な想いが有る。湿潤な東南亜細亜の風土からは想像も出来無い砂漠の世界でも有る。荒涼とした空間の広がりは独特の想いが有る。駅馬車は何度も映画化された有名な映画で有るジョン・フォードの駅馬車がオリジナルと思って居る人も多いがリメイク版で有る。リメーク版がオリジナル版より有名に成って仕舞ったので有る。其の後、カラー版で再度リメイク版が作られたが、見なければ良かったと思った人まで居る。ドラマでも使われた。一つの作風に成った古典的作品でも有る。偶々乗り合わせた乗客が色々人生を語り始め、宿場に着き色々騒動が起きる。何も事件が起きねば、目的地に着けば名前も知らぬ儘分かれて二度と会う事も無いので有る。インデアンのジェラニモの襲撃の恐怖が話しの中心で有るが、町を追い出される飲んだくれの医師と娼婦、身重の大佐の妻、賭博師、ウイスキーの商人、脱獄人等目的地に行くために嫌な乗客と一緒に過ごさなければ成ら無い世界。赤の他人が次第に親しく成る不思議な世界。恋が芽生えたりで有る。

 企業と言う乗り合い馬車も定年退職を迎えると降りて一人ぽっちに成り兼ね無い。地域との係わりも大事に成る。趣味の世界を深めるのも一つの手では有るが、御金が掛かる事が多い。旅行も出来るが御金が馬鹿に成ら無い。目的地に達する為に御者に逆らえ無い弱い立場でも有る。文句も言えぬ世界でも有る。
 船頭多くて船山に登ると言う諺も有る。上に立つ者の良識が問われる時代でも有る。色んな偽装問題や不祥事が会社包み管理職包みで行われて居た事も有る。

 映画やドラマ等自体が乗り合い馬車風でも有る。虚構の世界と最初から判って居ても一時の間丈他人の人生を垣間見る事が出来る。自分に人生と共有したかの如くの錯覚の世界でも有る。観終わると夢から覚めた現実が待って居る。映画やドラマのの撮影の手法に神様の目で観客に観せる手法が有る。人は写真機の前では時に珍奇な言動をして仕舞う為で有る。或る殺人事件に遭遇した学校の教諭が「犯人の方も可也血を浴びて居られた様でした」と敬語を使って仕舞う始末で有った。其処に写真機が無ければ為無い女優の恥ずかしい演技も有る。昔は写真機の存在を感じさせ無い様にレールを態々敷き舐める様な撮影手法も有った。最近はカメラを肩に担いでの撮影も多いが。演出の手法に俳優に写真機を見させ無い方法で有る観客は乗り合い馬車には乗れ無い為でも有る。最近は見せんが為の破廉恥な演技も有る。

 最近は企業の社員の資格教育を請け負う教育機関も多い。何の関係も無い他所の企業の社員と一緒に教育を受けるので有る。中にはアメリカ的なグループ教育も有る。赤の他人がグループを組んでリーダーを決めさせたり、リーダーを中心に議論をして問題を解いたりで有る。講師に依る授業に成れた昔人には唖然と為る所でも有る。学校でもグループ学習が盛んに成った。弊害も有る。苛めが発生するので有る。他人の為に成績が落ちる為で有る。無慈悲な組替えの度に親友の芽や初恋の芽が摘み取られて着た。企業内でも無慈悲な配転や出向も有る。単身赴任の悲劇も有る。人の上に立つ管理者は営利の為に社員を将棋の駒の様に簡単に動かす非常識が罷り通って居る。労働組合闘争も群れから外れて猛獣に襲われる仲間を救え無いもどかしさも有る。闘争もするが、辞令が出て仕舞うと従わざるえを得無い弱味も有る。裁判に成っても良い判例が無い。

 スペインの料理番組を観て居て不思議な事は、講師の料理人が一人で料理を為て居ても、動詞の活用が複数形を使う、視聴者参加番組風に意識されて居る。視聴者と一緒に料理を作って居ると言う設定の動詞の活用で有る。日本ごには巧くは訳せ無いが、一緒に為て見ましょうと言うニュアンスでも有る。日本人の国民性から出来上がった試食為無いと気が済ま無いが、不味くても不味いと言え無いゲストの苦労も有る。スペインでは出来上がった料理は視聴者に捧げて試食為時も有る。

 アダルトビデオの世界は視聴者が乗り合い馬車には乗れ無いのに人気の有る珍奇が有る。料理番組を指を銜えて観て居るが如くでも有る。数多の作品が作られた居るが視聴者に何が捧げられるのか。芸術の深淵を観たいもので有る。昔の作品の方が良かったと嘆く人も多い不可思議が有る。芸術は撮影機材程は進か為無のが歯痒いところでも有る。

 熟練の女優より若い娘に人気が出たりで有る。子供みたいな少女が御金を稼ぎ捲くる世界でも有る。円熟した演技は期待出来無い。映像芸術の不本意を感じる部分でも有る。最近は母乳で育てられた若者が少ないのか御乳に格別の想いを懐く若者が多いのか、大きければ良く乳が出るものでも無いと思うので有るが。VHS化された有名な映画は全部DVD化為れて居ると思い込んで居たら、為れ無い映画も実際に有る。赤い薔薇ソースの伝説(Como agua para chocolate)日本的な女性を好演して東京国際映画祭で最優秀女優賞を受賞したルミ・カバソスも別の映画では外国女性風で有る。所詮乗り合い馬車の中丈の世界でも有る。女優は映画の中で輝くので有る。スペインにも日本的な女優が居た。記憶喪失に成って困り果てる男性旅行者を助けるスチワーデスとの恋を描居た、随所に日本語が出て来る珍奇な映画では有るが、日本では上映され無かったのか、題名も憶えて居無いが外国の女優にも日本的な女優が居る事を知った。勿論スペインではスペイン語の字幕が入る。思いやりの有る優しさに溢れる。

 映画やドラマの撮影は最初から順番に撮影為れるとは限ら無い、時間の逆転も有る。俳優の混乱する部分でも有る。夕暮れの撮影は大変で有る。撮り直しを為て居ては日が暮れて仕舞う。

 寅さんの映画の様に長くシリーズが続いた作品も有る。最後の作品が最高傑作とは限ら無いのは悲しい事でも有る。ネタ切れも有るのか、作風が初期の映画と替わって仕舞う場合も有る。主役が何時の間にか脇役に回ったりで有る。脇役の俳優も何度か代わったりで有る。技術的は秘術は進化しても芸術の本質は進歩するとは限ら無い。アダルトビデオに至っては昔の方が優れて居る評価が出る場合も有る。見せんが為の演技が芸術性を損ねて居る場合が多い。以前に外国で生放送のニュースの中継中に珍事が起きた事が有る。カメラマンが躓いて転んで仕舞い、心配して駆け寄ったアナウンサーのスカートの中が映って仕舞ったので有る。民放なら兎も角、格調高いNHKのニュースで御下劣な映像が流されると格別の印象を受ける。落語の色話も大劇場の中継録画もNHKなら格別の想いも有る。格調高い高座丈に珍奇でも有る。以前に笑福亭松鶴師匠の出し物で有馬の小便で存分に笑わせて貰った経験も有る。




          2008−06−01−333−02−01−OSAKA



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