Maria la del barrio

 日本は不思議な国でも有る。結婚式は神式で行い、葬式は仏式で行う人も多い。正月には神社に初詣に出掛け、盆には御寺の坊さんに仏壇に参って貰う。親族が集うのも年二回程で有ったりで有る。何故か宗教の違うクリスマスを祝ったりもする。キリスト教は自己犠牲を強いる部分が多く悲惨な部分も有り東洋人には馴染みが薄い。仏教はインドの釈迦が説いた教えで有るが経典を漢文に訳す時に東洋人に馴染む様に広く解釈して戒律を緩くして万人に馴染める様にした。印度では現代では衰退気味の宗派に成って仕舞ったが、遠く離れた東洋では今だに信仰が続いて居る。慈悲を求めたい人の心、人に喜びを与える事に真の喜びが有る。日本人は無信仰な人も多いが学生迄もが大事な試験の前に神頼みを為たりで有る。十字架のキリスト像は余りに悲惨では有るが、聖母マリアへの信仰も有る。
 聖母マリアへの信仰は肉欲を超越した世界でも有る。世の中に我が子を捨てる産みの母者有り、他人の子を育てさせられる育ての母者有り。昔は親が決めた婚姻に逆らう事等有り得なかったので有る。政略的な婚姻も多かった。大事な娘も嫁に嫁がせねば成らなかったので有る。
 此の物語も廃品回収をして生計を立てて居る、社会の底辺で明るく暮らす貧しい娘の母者が死んで、ホテルの様な大豪邸に孫娘として引き取られる事に成り可笑しな事に。唖然とする貧富の差で有る。御転婆な娘が家庭教師の花嫁修業を受けて次第に淑女に成長して行くのが話しの中心で有る。其の貧しい娘が御曹子に恋し恋される事から可笑しな事に。色々有って、二人が結ばれ子が出来て、弟の子と勘違いし、嫉妬に狂って離縁され、家出をして子を産み落とし、気が振れて子供を捨てて。誤解が解けて、養女を貰って、ときが流れ・・・。後半は淑女に成長し人妻に成った娘が捨てた我が息子に出会って可笑しく成って行く。夫は妻に愛人が出来たと勘繰ったりで有る。最近作られたMarinaと原作が同じなのか似た物語で有る。Marinaは舞台を太陽の降り注ぐアカプルコに移されて居るが同じシンデレラ物語でも有る。自分で作った美女の彫像に恋をしたプリマリオンの伝説が話しの中心でも有る。ギリシャ神話にも出て来る。子供の様な我が儘娘が結婚して人妻に成って淑女に変貌するところが見ものでも有る。最新版のMarinaは話を膨らませ可也の長編に成って居る。シンデレラ物語はテレビドラマに限った事では無い、映画でもマイフェアーレディーやプリティーウーマン等数多有れど、高価なドレスを着ると淑女に成った様な気に成る錯覚の世界でも有る。教養を身に付ける事と経済的な自立が重要な事で有る。にほんでは、玉の輿に乗ると言う言葉も有るが、親の想いと子の想いが合わぬ悲劇も多かった。昔から男女が好き合って親の反対に遭って駆け落ちする事も有るが、親の庇護が無いと厳しい現実が待って居た。現代では恋愛と結婚を別と考える若者も多い、自分は多くの女と遊んで居ても妻に成る女性には処女を求めたりで有る。子が出来て仕方無く結婚為る不幸も有る。



 本作品はメキシコのテレビ小説(テレノベラ)の一つでは有る。ミニスカートが登場するので作られた時代が判って仕舞う。可也若い時の俳優が登場する。一人の女優が御転婆娘、狂人、人妻、母者を演じ分けて居る。当然歳に有った衣装に成るが、髪型も重要な演出で有る。テレビドラマは映画と違って同じ場所が何度も登場する、歩き方ひとつで年齢を演じ分けて居る。同じ女優が同じ廊下を歩く丈で有るが色気の有る歩き方に変えて居る。居間や寝室が演劇の舞台の如くに成る。髪型や化粧や衣服の他に、言葉使いや手の仕種で歳を演じ分けて居る。スペイン語は日本語の様に敬語も有り、言葉使いで教養が判って仕舞う。

 主演のThaliaは歌って、踊って、演技の出来る二足の草鞋を履いた中南米の歌姫でも有る。主題曲も自分で歌って居るものも幾つか有る。日本人好みの美人でも有る。穢れ役も嫌がらずに演じて居る。悪役や穢れ役はイメージを悪くするので嫌うのが普通で有るが、狂人や乞食の様なかっこをしての物乞いの演技迄も為て居る。ロサリンダでは歌手の役も演じて居る。日本でも歌のアルバムが発売されて居る。主題曲も入って居るアルバムも有る。ドラマは我が子を捨て子して仕舞った悲しい母親の物語の筈では有るが、悲しくは聞こえ無いのは情熱のラテンの御国柄か。

 此のドラマでは主演の女優が母親に成ってから髪を結い上げて気品有る淑女を演じて居る。さり気無い仕種でマナーの習熟が感じられる。最近は髪をっ結い上げる女性も少なく成った。多くの魅力を捨て去って居る結果に成って仕舞って居る、もったいない話では有る。昔は髪の結い方で娘と人妻では違って居たし。髪は紳士は白く成ったり、薄く成ったり為る人が多い丈に女性にとっては髪は宝でも有る。櫛でとかすと書く事を不精すると縺れる難儀は有るが。乱れ髪で心の乱れを表現出来るのも不思議でも有る。女優が淑女の母者を演じて居るが、製作時代がミニースカートの流行った時代でも有り、娘の様な甘えた初々しさは消せ無いのは仕方が無いか。余り下を映さ無いカメラワークは有る。耳は五感の一つの音を聞く重要な臓器で有る。耳殻は集音の重要な役目を担って居るが、神秘的で女性の魅力の一つでも有る。大きい過ぎるイヤリングは考えものでも有る。スペインではイヤリングに拘る女性も多い。日本では異物を身に纏わずの教えも有る。髪を長く伸ばす事が無い紳士にとって、長い髪が項に巻き付く心悪さは判ら無い。自分の物が気持ち悪く成るのも不思議な話では有るが。


 涙を出せる女優は多いがアイドル歌手で涙を出せる人は少ない。中南米のテレビドラマ(テレノベラ)は泣きの場面が矢鱈多い。陽気なラテンドラマの意外な部分でも有る。男女の想い、夫婦の想い、子を想う親の想い、親を想う子の想いに国の違いは無い。忘れて成ら無いのは最愛の母が実は実の母で無いと次第に勘繰り悲しむ養女の悲しみで有る。多くの娘は嫁ぐ時に最愛の両親や兄弟姉妹と別れねば成らない悲しみが有る。メキシコだったか何処かの国では長男が嫁を取っても、長女が婿を取っても末娘は一生結婚も出来ず親の面倒を見させられる悪い風習も昔は有った。血の繋がら無い夫の両親を親として従わねば成ら無い嫁の不幸も有るが孫が出来ると立場が逆転で有る。子は神様からの授かりものと言う考えが世界には多い。自分勝手には成ら無い教えでも有る。
 日本は大きな戦争の敗戦国の為に戦後は貧富の差も少なく成ったが、長く戦争の無かった外国では日本よりも貧富の差が大きい。中南米も同様で有る。廃品回収で生計をたてて居る、社会の底辺の人々とホテルの様な豪邸で、メイドを何人も雇って居る富豪が舞台でも有る。泥棒を捕まえて見れば我が子成りの悲劇で有る。育ての親の心情を汲んで母と名乗れぬ世界。捨てた実の息子に関心が移り、養女の娘の関心が薄れる世界。我が娘に合いたい娘の産みの親が語学の教師として遣って来てややこしい事に。
















            2009−07−07−416−01−01−OSAKA



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