ジェスチャー

 風に揺れる木の葉は揺れぬ木の葉より目に付く。動物の目は動く物に関心が移る。本能的でも有る、餌を探したり、天敵から逃れる為にも必須でも有る。猫は内部に野生を秘め乍も、人と一所に暮らして居ても動かぬ物に関心を示さぬ為に人の生活にに干渉する事は少ない。動かぬ新聞紙を破って遊んだりは為無いので有る。破れた障子の障子紙が動いて気に成るらしい。狗尾草の穂で猫をじゃらせて遊ばせる事も出来る。掛軸や提燈の風に揺れる総飾りにじゃれ付くは困ったものでは有るが。じゃれて遊ぶは子猫の間丈かと思ったらそうでは無い様で有る、人とて同じで有る。
 飼い犬でも急に駆け出して逃げると追い掛けて噛み付く本性が有る。地上最速のチーターに襲われ恐怖の余り足が竦み動けずで命拾いした獣の事例は多い。蜘蛛は死んだ真似をして天敵の目を欺く。
 猫は呼んでも振り向きも為無いのに、呼ばぬのに近付いて来たりで有る。目を見つめ合える数少ない家畜で有る。話し掛ける丈では意思は通じ難いが手の仕種で意思が通じる時が有る。此の世の奇跡の一つでも有る。
 手話は世界共通かと思って居たら、国によって可也の違いも有る様で有る。手話では時間の関係で要約や省略も有る。ジェスチャーを利用したゲームも有るが言葉を使わずに仕種丈で意思を伝えるは至難の業でも有る。ヘレン・ケラー女史の苦労が偲ばれる。最近は外国のテレビのニュースでも手話付きが増えた意味の判らぬが外国語でも、人の悲しみや喜び等の感情が判るのも不思議で有る。音声を消すと何も判ら無い。

 日本では会話の最中に手の仕種を為る習慣は皆無に等しい。口に出さ無くても意思が通じ合うのを美徳と為る。目は口程にものを言いでも有る。日本の演劇が外国で評価されにくい要因でも有る。恋の喜び表現に難有り。外国の物語を日本語で公演する珍奇は有る。歌舞伎は其の反動か大げさな仕種が特徴でも有る。外国の古典演劇は根強い人気が有り、何度も上演されて居る。日本人には珍奇に見えるオーバーな演技も罷り通る。外国では会話に手の仕種を加えるは日常茶飯事で。多言語の国が多く、言語の誤解を防ぐ役割も有る。感情の表現にも使われる。
 日本語は何万も有る漢字が利用出来る為に其の組み合わせで造語力に優れて居る。難しい医学用語等の専門用語でも見れば大体の意味が判る。西洋の言語の語源がラテン語で有ったりで専門語用語に成ると矢鱈スペルが長く成る。助動詞と言う便利なものが有る。助動詞を変化させる事で現在、過去、未来の事が自由自在に表現出来る。西洋の多くは動詞自体を変化させる。難儀な事に色んな変化を為る。言葉の表現が豊富でジェスチャーが必要が無いと思って仕舞う自負も有る。
 メキシコの歌姫タリアは賞を受賞した時の3分間にインタビューに何度手を動かした事か。ジェスチャーは言葉の代用にも成る。似た様な仕種が多いが各国で少しづづ違う、旅行客の何気無い仕種が失礼な意味が有ったりで有る。注意の居る部分でも有る。スペインでは頭に指を指さぬ事で有る。字幕付きのテレビドラマは字幕に目が行って仕舞い手の動きに関心も薄れるが、字幕が出無いと何気ない手の動きが重要に成る。英語の字幕の出るDVDも数多発売されて居る、学校で習った様な英語が登場する。ドラマの台詞は本来は難しくは無い筈では有るが、幼児番組のセサミ・ストリートが聞き取れ無い。
 ジェスチャーは世界では共通の仕種も多いが全てが同じでは無い、人を手招きの仕種も色々で有る。挨拶も色々で有る。御辞儀は日本固有の様に思うも人も多いが、フランス式の格式高い御辞儀を教える欧米の伝統的な学校も多い。スペインの古い時代の映画等にも登場為る。必ずしも珍奇な事では無いので有る頭を下げ相手を敬うは無用は闘争を避ける為の方便でも有る。数の数え方や綾取りやジャンケンも各国で微妙に違う。祈り方が宗派で違うのは当然では有るが。冠婚葬祭も又微妙に違う。婚礼は白、葬礼が黒が多いのも基本的には同じで有る。白は全ての色に染めれる色で、清めの命に大事な塩の色でも有る。西洋では甘い砂糖の色のイメージを懐くのか白い花が付き物で有る。黒は永遠の闇夜の死の事で有る。
 笑う時に歯を見せて笑うは下品な事とされ手で隠すは淑女の嗜みでも有る。帽子は昔から男の威厳の象徴でも有った。見知らぬ淑女に出会っても帽子を取って会釈を為るは紳士の嗜みでも有った。淑女は軽く会釈をする丈で有る。淑女の帽子はファッションでも有り。屋内でも脱ぐ必用が無い、脱がぬ事が無礼には成ら無い。しかし、邪魔には成るので小さめの帽子を愛用する人も居られる。奥ゆかしい心使いでも有る。
 日本では恋する男女でも接吻を為る風習が無いので抱擁為る事も又少ない。感激の余り抱き合う事も又少ない。握手を為る風習も無いので、男女が手を触れ合う機会も又無い。学生時代にはフォークダンスが何故か学校で教えて居た。日本なら盆踊りが似合いでは有るが。自分は女遊びを為て置き乍、妻には処女の女性を求める男の身勝手も有る。
 軍隊式の敬礼は手丈で挨拶が出来る便利が有る。脱帽し無くても無礼に成ら無い利便性が有る。明治時代に西洋の文化を真似、様式を取り入れた為に昔の洋画を観ると似た様な制服に出会って懐かしい想いもする。昔の看護婦(婦人の看護師)の制服も似た様な服や帽子に出会う。日本の学生の黒い学生服は軍服のイメージが有り外国人には不評では有るが、古い洋画に似た様な学生服も出て来る。女性海兵隊員でも無いのにセーラー服を採用為たりで有る。接吻も西洋でも昔は人前で為るは恥曝しで有ったので有る。映画の中で出て来る。西洋も恥の文化で有ったので有る。恥曝しと言う言葉も有る。
 日本男児は人前では涙を見せぬのが良しとされるが、中南米のテレビドラマは泣きの演技も多い、涙は訓練するば出せるらしいが至難の演技には違い無い。手巾重要な小道具と成るが入れとくポケットが無い袖の中に入れたりで有る。淑女も平気で人前で洟をかんだりで有る。昔の小道具に涙壷等も有る。
 煙草はドラマの中で人を煙に重要な小道具にも成る。空間に煙が棚引く映像的効果も出せる。煙草は悪女の象徴とも描かれる事も有る。煙草を吸う時間の間が無いと男女の気の利いた会話も進ま無い。大人の香りの為る世界でも有る。高価な葉巻を吸える事が財力の象徴としても描かれる。珍奇な嗅ぎ煙草等も有る。余り上品な物では無い。
 現代の女性でも長髪の人は多いが、昔の女性の様に髪を結い上げる人も少ない。髪を結う手間と時間が惜しい為でも有る。髪の乱れが気に成って何度も手を遣る無駄も有る。髪は一度切って仕舞うと直ぐには伸び無いので女性は髪を切るには可也の決意が必要で有る。長い見事な髪を売って御金に換えた話迄有る髪ば抜ける事で病が重い事を表現出来るし、髪の乱れで心の乱れを表現出来る。
 現代の男は髭を蓄える事も少ないが昔は紳士の威厳の象徴でも有った。髭を剃らずほって置くと個人独特の髭に伸びる。髭の伸びる速さが場所に拠って違う為でも有る。剃刀で剃るのを恐れ、電気剃刀を使う人も多い。剃り心地は剃刀には及ば無い。髭を抜くのが癖に成って仕舞った人迄居る。






            2009−07−26−422−01−01−OSAKA



                     HOME
                  −−戻る 次へ++