制服の処女

 一九三一年、レオンティーヌ・ザガン女史監督によって製作され、日本にも公開された、クリスタ・ウィンスロー女史原作『制服の処女』の再映画化。今回は「ヨーロッパの何処かで」「女の獄舎」のゲザ・フォン・ラドヴァニが監督にあたった。脚色はF・D・アンダムとフランツ・ヘラーリング。撮影はウェルナー・クリーン。音楽はペーター・サンドロフ。主演は「モンパルナスの灯」のリリー・パルマー、「モンプチ わたしの可愛い人」の新人ロミー・シュナイダー。その他「戦場の叫び」のテレーズ・ギーゼ、ブランディン・エビンガー、アデルハイト・ブーゼ等が出演する。製作はヘルムート・ウンガーラント。

 一九一〇年の秋。母に死なれた十六歳のマヌエラ・フォン・マインハルディス(ロミー・シュナイダー)は、伯母エーレンハルト男爵夫人につれられて、一人、厳格な上流子女教育をもって知られるポツダム郊外のミッション・スクールの寄宿舎に入れられた。規律の壁に囲まれた女ばかりの生活は辛かったが、マヌエラの配属された寝室は、全校生あこがれの的の美しくやさしいフォン・ベルンブルク先生(リリー・パルマー)の受持ちの部屋だった。先生は校長や他の先生達の厳格主義に反対して、感受性の強い乙女達の教育には理解と愛情が必要だとの信念をもつ人だった。先生の慈愛によって、マヌエラは元気になったが、彼女の学業成績はあまり振わなかった。先生は、それがマヌエラの、自分によせるあこがれの強さに原因することを知ったが、デリケートな乙女の心を考えて、その思慕の情にやさしく答えてやった。校長先生の誕生日がきて、マヌエラはロメオに扮し、エーデルガルトがジュリエットになってお芝居が上演された。そのあとのパーティで、マヌエラはポンチを飲みすぎて万座の中でベルンブルク先生への愛情を告白してしまった。これが校長に聞かれ、マヌエラと先生は叱責された。そしてベルンブルク先生は教職をしりぞく決意をした。先生が学校を去るというショックから、マヌエラは建物の屋上にあがって自殺を計った。しかし寸前にこれを見つけたベルンブルク先生の機転で、マヌエラは他の生徒達によって救われた。さしもの校長先生も、今は自分の誤れる厳格主義を反省し、理解と愛情こそが教育の基礎をなすものであるのを知るのだった。

 日本の学生の制服は黒や紺で外国人からは軍服を連想させ評判は悪いが、西洋も昔は制服を着て居た事は昔の洋画等でも判る。西洋を真似て軍服や学生服を作ったので有るから当然でも有る。昔の洋画で昔の看護婦の制服に出会うと懐かしい想いもする。此の映画も寄宿学校が舞台で有る丈に当然授業風景が中心では有る。懐かしい昔の授業風景でも有る。真面目に勉強していた良き時代でも有る。最近の洋画では自由を我が儘、勝手気儘、遣りたい放題と履き違えた学生が一杯出て来るのが当たり前に成って仕舞って居る。そんな中からは本当の喜び等出て来る筈も無い。
 日本は無宗教な人も多い。葬式の時は仏式で行い、結婚式は神式で行い。クリスマスを祝い、バレンタインデーには大騒ぎで贈り物をしたりで有る。正月には神社に初詣をし、盆にはお寺さんを呼んだりで有る。多くの人は神仏を崇めても本当の信仰とは言い難い。西洋は日本より宗教色は強い。日本人は修道院に入る人は世捨て人と思い勝ちで有るが、選ばれた人丈が入れるので有る。尼僧が学校の先生で有ったりう、看護婦で有ったりで有る。昔、病院を舞台のテレビドラマも有ったが看護婦が白い制服の上にマントを羽織って通勤して居るのを見たことが有る。人の命を救う聖職としての誇りが有るので有ろう。

 日本では1931年版のオリジナル作品のDVDは販売されて居るが、1958年版のリメイク版が何故か販売されて居無い。オリジナル版は白黒映画で有る。リメイク版はカラーで有る。VHSテープで販売された有名な映画もDVD化され無かった物も多い。消え行く運命でも有る。DVD化された物でも既に廃盤に成ったり販売中止ものも有る。中古市場で品薄でプレミアが付いて高値で取引されて居る物も有る。次世代DVDの規格戦争に負けたHD DVD版も消えゆく運命で有る。将来の事を考えるのならブルー・レイ版を購入して置くべきで有ろう。
 日本ではDVDは販売されて居無いがYouTube等で断片的には観る事は出来る。原題で検索する必要は有る。YouTube自体著作権問題や使用規約が有り、ブロックされたり削除されるファイルも有る。時間が短い作品が目立つ。削除されても検索リストからは削除されない不可思議も有る。


















































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