花木蘭

 木蘭は木蓮の別名で、蓮や蘭に似た紫の綺麗な花を付けるので紫木蓮の別名も有る。昔は木蘭も使われたが、近代は木蓮が使われる事が多い。分布は中国南西部(雲南省、四川省)が原産地である。英語圏に紹介された際に、Japanese magnolia と呼ばれたため、日本が原産国だと誤解されている場合がある。形態は小型で樹高3-5m程度。葉は互生で、広卵型、長さ8-10cm、先は尖る。花期は春( 4-5月頃)。花は濃い紅色から桃色で、花弁は6枚、がくは3枚、雄しべと雌しべは多数が螺旋状につく。上品な強い芳香を放つ。ハクモクレンとは異なり、花びらは舌状で長い。実は赤いく利用は庭木、公園樹として中国、日本だけでなく、北米やヨーロッパ諸国で広く栽培されている移植は困難であり、株分けによって殖やす。
 木蘭(ムーラン)は、中国における伝承文芸・歌謡文芸で語られた物語上の女性主人公。木蘭の姓は「花」「朱」「木」「魏」など一定していないが、京劇では「花木蘭」とされる。
 老病の父に代わり、娘の木蘭が男装して従軍。異民族(主に突厥)を相手に各地を転戦し、自軍を勝利に導いて帰郷するという昔の物語。親孝行な話を借りて自軍を奮起させる狙いも有ったので有ろう。
 陳の釈智匠『古今楽録』に収められた『木蘭詩』(木蘭辞とも)が記録された最も古い文献とされ、『楽府詩集』には梁の「鼓角横吹曲」に収められている。南北朝時代の北朝の民間民謡に由来するとされる 木蘭従軍故事は後代、詩歌や戯曲・小説の題材となった。戯曲では、明の徐渭が編んだ雑劇『雌木蘭』などがある。また現在の京劇などでは『花木蘭』の題で演じられている。小説では清初の褚人穫『隋唐演義』にも収められている。
 日本軍の占領下にあった上海の華聯が製作した映画木蘭従軍(1939)は、プロデューサーの張善琨たちの異民族(即ち日本)への抵抗の意思を暗喩した作品とされるが、彼らの屈辱と苦衷の日々を察していた日本側責任者の川喜多長政はこれに異議を唱えなかったとされる。およそ半世紀たった1998年、ディズニー映画「ムーラン」が作られ日本や中国でも公開された。中国語に吹き替えられた物迄有る。香港のTVBによってテレビドラマも制作され、2009年にはヴィッキー・チャオ主演で映画化された。日本では田中芳樹が木蘭を題材に『風よ、万里を翔けよ』(中央公論社、1997年、ISBN 4120028267)を執筆した。
 中国の伝説的故事である「花木蘭」(ホワ・ムーラン)が1998年にアメリカのウォルト・ディズニー・ピクチャーによって“MULAN”というタイトルでアニメ化され、中国では非常な好評を得ていた。中国語 の字幕スーパー付き英語版は正規版としても発売され、100元近かった。
 拙著『中国動漫新人類』では、某中国政府高官が憮然たる面持ちで、米国製アニメとなって「逆輸入」されてきた中国の故事に、若者たちが熱狂的にはまっている現実を憂えている姿をご紹介した。若者たちは小さいころから日本製の漫画で「三国志」や「水滸伝」を見慣れてきたこともあって抵抗が少ないようだが、中華民族の文化を振興させようとしている中国政府にとっては看過できない現象だろう。
 その“MULAN”が、今度は中国大陸で実写化され、映画として2009年の12月に公開された。タイト ルは『花木蘭』(英文名はmulan)。制作は北京星光国際伝媒有限公司、北大(北京大学)星光集団、湖 南電広伝媒有限公司、上海電影集団、北京小馬奔騰文化発展有限公司、保利博納電影発行有限公司などの合作だ。木蘭(ムーラン)役は、かつての日本軍の軍旗をデザインした服を体にまとったことで売国奴として、全中国から罵詈雑言を浴びた、あの趙薇(ヴィッキー・チャオ)が演じた。
 北魏時代に花木蘭という少女がいた。小さいころから父親に訓練を受け、武芸の達人として育った。18歳の時、遊牧民族の侵略を受け、魏の国全土の民に徴兵命令が下る。どの家からも一人兵隊を出さねばならない。木蘭は年老いた病弱な父親を今さら出兵させるに忍びず、自ら男装して父の代わりに出兵する・・・というのが、このお話だ。YouTube等で外国語字幕版は観れる。中国語版のDVDは発売済み いま中国の人々は、中国を発祥地とする文化、あるいは中国古来の故事逸話、あるいは史実が、外国メディアによって映画やアニメとなって逆輸入される現象に対して、非常な不快感と警戒感を示している。 この伝説の発祥の地に関しては国内でも論争があったが、2007年5月22日、中国民間文芸家協会は遂に河南省商丘市にある虞(ぐ)城県を「中国木蘭の里」として、最終決定を下した。「木蘭祠」があることなどが証拠の一つとなったが、中国が厳然たる遺跡として「中国木蘭の里」に権威を与え、さらにその地に「中国木蘭文化研究所」まで建設したのは、何としても「中国固有の文化」を、あくまでも「中華民族のもの」として明確にする意図があったからだろう。
 それでいながら、「花木蘭」( mulan)は、それまでに映画化された過去の中国映画「花木蘭」と趣を異にし、すっかり米国アニメの影響を受けているというのが、専らの評判である。すっかり定番の「ラブ・ストーリー」としてやわらかく描かれている。CGを使わない実写の正当派の映画でも有る。戦闘がゲームの如くに思えるが戦の惨状は表現されて居る。戦死者の鑑別札の数で戦の酷さを表現。日本の防人に似た兵役の話でも有る。訓練や演習で国費が消えてゆく平和な時代の話では無い。
 そもそも中国政府が文化産業を重視した背景には、経済効果もさることながら、日本動漫が中国の若者を席巻し精神文化形成にさえ影響を与え始めたことへの警戒感があった。
 そこに加えて、中国の悠久の歴史文化に足場を置く韓国ドラマやアメリカ製アニメ、あるいは映画が世界の人気をかっさらっていくのを見るのは、たしかに中国人としても中国政府としても心中穏やかならざるものがあるにちがいない。
 だから、中華人民共和国建国後、「国家を守るために献身的に戦う革命的精神の謳歌」として何度か映像化されてきた花木蘭は、今度は世界に通じる「花木蘭」へと姿を変えていったのかもしれない。
 しかし、その一方で、冷戦構造の崩壊以降、どの国もその国の民族あるいはアイデンティティに強く依拠するナショナリズムが蔓延してもいる。特にネット界においては、拙著『中国動漫新人類』でくどいほど説明されている様に、ナショナリズムは増幅され、その顔を歪めさせていく。













































































            2009−08−24−432−01−01−OSAKA  



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