文楽 人形浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」

 天満宮に祀られる天神様が、まだ人臣であった時の物語。延喜(醍醐)帝の御代、菅原道真は学問に優れ、書道の奥義を極め徳も高く、当時権勢を恣(ほしいまま)にした左大臣藤原時平(しへい)と席を並べ、右大臣菅丞相(かんしょうじょう)と尊敬されていた。当時も佐太村は夜遅く迄賑やかで有った。
 渤海国の使僧天蘭敬が、延喜帝の絵姿を望むが、帝病中のため時平が帝の名代を勤めると申し出る。丞相は、謀反の誤解を受けかねないと時平を戒め、皇弟斎世(ときよ)親王が名代となる。
 帝から、菅丞相の名筆を後世に伝えるため、奥義を伝授せよとの勅命が下る。    〈大内の段〉
《加茂堤の段》
 加茂堤の松の根元に、御所車が二輌とまり、帝の病気平癒祈願の加茂神社参詣に供をした、牛飼い舎人(とねり)二人が肱枕で寝ている。時平の代参三善清貫(みよしのきよつら)の車を曳(ひ)く松王丸と、丞相の代参左中弁希世(まれよ)の車を曳く梅王丸である。斎世親王の車を曳く桜丸を加え、三つ子の彼等は、丞相の「三つ子は天下泰平の相」との執り成しで手当を頂いて成長し、父親四郎九郎は丞相の領地佐太村で、寵愛の梅松桜を預かって安楽に暮らす。その愛樹の名を頂いた者ゆえに、時平に仕える松王丸も丞相の恩を片時も忘れないのだが……。
 桜丸が車を曳いてきて、兄第二人を清貫、希世の迎えに立たせる。丞相の娘苅屋姫と、姫に付き添う桜丸の女房八重がやって来る。桜丸が車の御簾を上げると、斎世親王が現れる。初恋の親王と姫の逢瀬。二人の恋を清貫が嗅ぎ付け、車を詮議しようとする。桜丸が、清貫等を追って行く間に、親王と姫は、あてもなく落ちのびて行く。
 間もなく戻った桜丸は、車の中に書置きを見付ける。菅家の養女である姫は、実母(丞柏の伯母)を頼り、河内国土師(はじ)の里へ向かうはずと見当をつけ、八重に車を任せ、飛ぶように後を追う。
 丞相は、筆法伝授のため七日の斎戒にこもっている。丞相の御台所は、夫の潔斎を愕(はばか)り、斎世親王と苅屋姫の密通出奔を知らせる事もできず、苦慮している。そこへ、以前この屋敷に勤め、不義ゆえに勘当となった、武部源蔵定胤(たけべげんぞうさだたね)、戸浪夫婦が、今日のお召しを喜びながらも、不安な面持ちでやって来る。丞相は、源蔵の手跡を試み、神慮に叶った源蔵に菅家の筆道を伝授する。  朝廷は、斎世親王と苅屋姫の出奔を詮議した結果、丞相が親王即位を画策し、姫の立后を企んだとして、流罪を宣告した。屋敷は閉門となり、丞相の舎人梅王丸は若君菅秀才を源蔵に託し、源蔵は丞相と御台の先途を梅王丸に託した。          〈筆法伝授の段・築地の段〉
《道行詞甘替》
 「さあさあ子供衆、桜飴桜飴」とやって来る飴売りは、姿をやつした桜丸である。斎世親王と苅屋姫を飴の荷箱に匿い、姫の実母を頼ろうと土師の里を目指す。飴を買いに来た人々から、丞相流罪の噂を聞き、三人は丞相が船出を待つ安井へ急ぐ。
  筑紫太宰府へ左遷される丞相を乗せた船が、津国安井に着いた。警固にあたる判官代輝国のはからいにより、丞相を河内国土師の里伯母覚寿のもとに船出まで滞在させることが許される。
 覚寿の長女立田の前は、密かに連れ帰った苅屋姫と、父丞相の対面を果たさせたいと思っているが、覚寿の、丞相への義理立ての片意地に、願い事も口に出せないでいる。立田の夫宿禰(すくね)太郎は時平方と内通し、父土師兵衛と丞相暗殺を企てている。その密事を知った立田は、夫に無残に殺される。丞相は自作の木像の奇瑞により難をまぬがれる。丞相は、覚寿や苅屋姫と別れを惜しみ出発する。姫の嘆く声にただ一目振り返る丞相、これが親子のこの世の別れとなった。    〈安井汐待の段・道明寺の段〉
《吉田社頭車曳の段》
 深編笠の若者二人、梅王丸と桜丸である。桜丸は、丞相流罪の原因をつくった自責の念から、切腹を決心しているが、佐太村に住む父親の七十歳の古稀の祝いを控え、躊躇する苦衷を語る。菅家没落以来、忠義に心をくだく梅王丸も、道理至極と暫く言葉もない。
 そこへ、左大臣藤原時平の吉田神社参詣の行列が、都大路も狭しとばかり車をきしらせて来る。兄弟は、車の行く手を阻み、狼籍を働く。時平の舎人松王丸は、主人の面前で、兄弟とひとつでない忠義の働きを、と三つ子の舎人が、精根限りに車を曳き合う。
 車の中から帝と見紛う姿で揺るぎ出る時平の威勢に、さすがの梅王丸も桜丸も、ただ無念と言うだけである。兄弟三人は、遺恨を胸に抱き、睨み合って別れて行く。
《茶筅酒の段》
 菅丞相の領地佐太村の別邸を預る四郎九郎は、丞相の愛樹、梅松桜を大切に世話しながら安楽に暮らしている。丞相は、今年七十歳を迎える四郎九郎に、誕生の日時を違えず古稀を祝い、それを機に名を白太夫と改めよと命じていた。白太夫は、丞相の左遷で、祝いどころではないが、世間に遠慮しつつも、七十の賀の小さな餅七つに、茶筅で酒塩を打って近隣へ配った。
 桜丸の女房八重、間もなく、梅王丸の女房春、松王丸の女房千代が到着し、三人の嫁達が、甲斐甲斐しく祝いの膳を調える。女房達は、白太夫から、時平の事前での大喧嘩の事情を聞かれ、今日の祝儀を口実に、親の仲介で和解させたい、と夫を思う気持ちを訴える。
 誕生の時刻となり、庭の梅松桜の三本を、遅参の息子達に見立て膳を掘え、白太夫も祝膳の箸を取り、嫁達の祝いの品(三方・扇・頭巾)の披露も済む。
 白太夫は、八重一人を伴い村の氏神へ参詣に出掛ける。
《喧嘩の段》《訴訟の段》《佐太村桜丸切腹の段》一部省略
 丞相の愛樹の内、はかなく枯れた桜、その死んでの義臣ぶり、残る二本は、梅王丸と松王丸、その生きての忠義は……。


 女房達が夫を待ち兼ねるうち、松王丸がやって来る。松王丸は、女房に遅参を責められると、同じ遅参でも、主人持ちである自分と、梅王丸と桜丸のような、扶持をはなれた浪人達とでは違う、と言葉の端々にも遺恨を含ませる。
 梅王丸が急いでやって来て、松王丸の姿を見るや、喧嘩をしかけるふうに顔をそむけ、あてこすりを言う。松王丸と梅王丸は、女房達が必死にとめるのも聞かず、取っ組み合いの喧嘩をはじめる。両人が一度に倒れかかる拍子に、庭の桜が、土際から四五寸残して折れ、倒れてしまう。そこへ、白太夫が氏神参詣から戻る姿が見える。
《訴訟の段》
 白太夫は、折れた桜を見ながらも、咎めもせずにいる。梅王丸は、丞相流罪の配所での奉公を願い出るが、白太夫は、時平方の厳しい追及の中で、若君菅秀才や御台所に、身命を惜しまず尽くすことこそ本分、と旅立ちの許可を与えない。
 松王丸は勘当の願書を出す。白太夫は、親兄菊の縁を切り、主人時平へ忠義を立てるつもりなら、善悪はともかく、親の心に背く不孝者、と願い通り勘当を言いわたす。松王丸は、「思い通り」と女房を連れて帰って行く。白太夫は、梅王丸をも追い帰す。
《桜丸切腹の段》
 取り残された八重が、夫桜丸を待っていると、思いがけなく納戸口から桜丸が姿を現す。白太夫は、意を決したように、桜丸の前に脇差を乗せた三方を据える。桜丸は早朝に父のもとを訪れ、菅家没落の原因をつくった自分が、偽りない義心を示すためには、切腹するしかないという決意を打ち明けていた。白太夫は、桜丸の決意を「健気者」と称えながらも、何とかして助けたいと氏神の讖(しん)を問うた、が、桜丸を助けよとの告げは得られず、気力も失せて帰宅すると、桜が折れていた、すべては前世からの定業と受け容れるしかない、と腹切り刀を渡す。白太夫が唱える念仏と鉦の音の響くなか、桜丸は、切腹して息絶える。忍んで一部始終を聞いた梅王丸夫婦が現れ、丞相の配所へ旅立つ白太夫の見送りと、西方極楽浄土へ旅立つ桜丸の野辺送りをする。
 丞相の愛樹の内、はかなく枯れた桜、その死んでの義臣ぶり、残る二本は、梅王丸と松王丸、その生きての忠義は……。
4. 『菅原』の趣向の展開 -梅と松と桜と- 権藤芳一
 芸能というものは、いつも先行した芸能を踏まえて、新しい時代の享受者の好みに合わせたものに移り変ってゆきます。
 江戸時代の庶民の芸能であった歌舞伎や人形浄瑠璃も、その例に洩れず、前代の能や狂言から、さまざまなものを受け継いでいます。ごく大雑肥に言って、歌舞伎は狂言から芸態や技術を、浄瑠璃は能から構成や内容を継承しています。近松などもその時代物には、能=謡曲を通じてよく知られていた事件や人物〈世界〉に、新しい解釈やひねり〈趣向〉を加えて、同時代の観客に興味をひくように展開させた作品が沢山あります。それ以後も、能を原拠に、作り直した作品が次々と書き継がれます。
 『菅原伝授手習鑑』は、枠組の〈世界〉は「天神記物」すなわち菅原道真にまつわる縁起や伝説にとっています。より直接的には、近松の『天神記』に拠っていますが、その一つ先には『菅丞相』『雷電』( 妻 戸)『老松』などの能があります。そして、横筋の〈趣向〉には、当時、大坂天満で三つ子が生まれ、公 儀から鳥目(ちょうもく)五十貫をもらったというホット・ニュースを当てこんでいます。(他に曲名の「伝授手習鑑」の由来となった、豊臣秀吉の右筆(ゆうひつ)にもなったと伝えられる書家・建部伝内や、三つ 子の親に設定される白太夫に関する考察もありますが、今はそれには触れません。)
 さてその三つ子の名前を、道真が詠んだといわれる「梅は飛び、桜は枯るる世の中に、何とて松のつれ なかるらん」という和歌によって、松王、梅王、桜丸として、それぞれの人生を歩んでゆくように仕組 ま れています。
 三つ子ですから当然同い年です。顔もよく似ている筈です。シェイクスピアにも双生児の登場する『十二夜』『間違いの喜劇』という戯曲があります。いずれも二人がよく似ているところから起る喜劇です。(いまNHKの教育テレビの「にほんごであそぽ」でも人気のある「やゝこしや、やゝこしや」 は、『間違いの喜劇』を翻案した『間違いの狂言』の一節です。)
 ところが『菅原』の方の三つ子は、舞台像からはとても同年齢とは思えません。松王が一番年嵩で、次が梅王、そして桜丸が一番若いと見えます。名前にしても、松王、梅王に対して、一人だけ桜丸です。それぞれの女房も、やはり七つになる子の母親である松王の妻、千代が一番しっかりしていて、次が梅王の妻の春、そして桜丸の女房八重はまだ初々しい若妻の感じが残っています。(人形の首[かしら]も、千代 、春は老女方、八重は娘です。)














































































            2009−08−24−432−01−01−OSAKA  



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