蚊帳中の寝猫

 借りて来た猫の様にと言う言葉が有る。昔は鼠駆除の為に猫も貸し借りが平然と行われて居た事が想像出来る。天井裏で鼠と鼬の追いかけごっこが始まると安眠の妨げにも成り、他家から猫を借りたので有った。借り猫は最初の内は物陰で他家の様子を窺って居るが、猫が悪さをしても他家の猫の頭を叩く訳もいかず、三日もすれば座敷を我が物顔で歩いたりであった。余り餌を遣ると鼠を獲ら無いので他家の猫には構わずで有った、初めて訪れた客人の膝の上にも平気で寝る事からも主を飼い主とは思って居無いので有ろう。
 寒い雪夜の晩には猫が枕元に遣って来て両手をついて何やら鳴く、起こされて不機嫌な主は「如何してほしいのじゃ」と意地悪な質問をする。靴を履かぬ猫は雪の上を歩くは辛い事で有る、猫の足跡梅の花で有る。人肌の寝床は暖かくて気持ちが良いが其れ丈では無い様で有る。枕元で御産をして仕舞った猫が子を加えて布団の中に入れようとした事例も有る。暑い夏の日の午後、座敷で昼寝をしていると何処からか猫が遣って来て、片手を主の腹のに当て何やら鳴く、勝手に乗ると叱られるのが判って居るので有る。見事な体毛に覆われた猫が蚊に悩まされるとわ思え無いが蚊帳の中にも入りたがる。蚊帳中は霹靂の聞こえる嵐の夜も何故か安心が有る。其の猫も蚊帳から出る時は人に断わら無い。猫も千年に一度の海底大地震に備えて裏の竹薮で寝るべきと思うが、猫がそうしないのに学ぶべき理由が有る。猫の寿命が人より短い為で有る。人とて自分の余命は短い、人によっても違うが。原子力発電所に至っては13ヶ月しか連続稼働が出来無い、猫の愚かさを真に笑えるのは霞を食べて千年も生きる仙人丈で有る。
 多くの人は信号灯の球の切れたのに出くわさ無い、球の寿命が切れる前に新品と交換して居る為でも有る。不経済な話では有る。未だ使える物が安全の為と言う理由で捨てられて居る。安全の為にはコストが掛かるので有る。宝籤に当たる確率は限り無く零に近いが当たる事も有るので有る、宝籤を買わ無ければ当たる事は無い、確率が零に限り無く近いと零とでは大違いで有る。福島第一原子力発電所の事故で他の電力会社の土竜叩きが今も続いて居る。ストレステストや防波堤の嵩上げや建屋の防水対策や予備電源の確保等々安全対策に湯水の様に御金を使わされて居る。原発が政争の具に使われ、跪けば動かしてあげるの世界で有った。動いて居る原発の方が定期点検の完了待ちの原発より安全とする屁理屈が罷り通った。燃料費の増大や安全対策費で赤字経営に陥った、株の配当も無配に成った。大株主の地方自治体の市長は株主総会で脱原発を株主提案し否決され提案が通らない株等持って居る意味が無いとまで言った。其の悪者にされた電力会社の株が市長の脱原発提案とは裏腹に上がり始めて居る。
 株式会社と言うものは倒産した時は資産を売却して株主に分配するものと思って居たら。倒産しても営業を続け日本航空の様に再上場を果たした企業も有る。借金がチャラに成ったので有る。株主丈が大損を放いた、損をした一般投資家の無念は一生消える事が無いが再上場の初値は高くついた。東電の株が暴落した時に大量に購入した資産家が居た。何故倒産しないのか判っていたのやら。
 歴史を紐解くと世に大変の多くに出会う大地震や大津波、火山の大噴火、隕石の落下等の天変地異、旱魃や洪水、飢餓や疫病、、政変や戦争・・・其の日を境に歴史が大きく変わった事を意味する。2011年は歴史に残る年でも有った。大地震さえ起きぬば少数政党は労働組合等を利用して核兵器の廃絶を訴えて居た事で有ろう。千年に一度の天災より政治家の狂気や防衛システム機器の誤作動の危惧の方が確率が高いと思えるので有るが。
 子供の頃通学のバスの中で思わぬ珍事が、空いた席に急いで座った老人に対して或学生が先起こされたのに腹を立てたのか、駅に着く迄延々と説教を垂れた、挙句の果てに日本が戦争に負けたのがその老人のせいに成って仕舞った。周辺の乗客は矛先が自分に向くのを畏れて口を噤んだ儘で有った。ごく有り触れた普通の人だ突然牙を剥く世界でも有る、200円の運賃で犯罪者扱いでは採算が取れない。
 人は何処まで鬼畜に成れるので有ろうか。脱原発を掲げ選挙に大敗し政権の交代を余儀なくされたが、大飯原発丈でも動かせた事は評価出来る。他の原発は動かせずの不公平な事態でも有った。規制委員会が動いて居る原発を新しい規制機中で審査して略妥当とする評価を出し止められる事は回避出来たが、次の定期点検後の目処が立って居無い。原発は13ヶ月しか連続稼働出来無い。日本の原発が又総て止まるのも時間の問題に成った。民主党にでも出来た事が政権与党が出来無いでは不細工な話でも有る。政治力の無さを内外に示す結果と成る。規制委員会の暴走を停める法律の改正が必須で有る。審査の途中で不適合が一つ見つかった丈で審査を止めて仕舞ったり、後回しにする理不尽に憤りを感じる人が一人も居ないのも珍奇で有る。
 八月は原発記念日が有る。被災日なのに記念日とは如何に。千年に一度の海底大地震が原因の原発事故と人の殺戮を求めて投下した原子爆弾と混同して居る人が今だに居るのも珍奇で有る。原発で核物質を使い切って仕舞ったら核戦争で人類の絶滅を防げるとした原発の推進は間違って居無い。
 猫の髭わ自分の身の幅を知る大事なセンサーでも有る。その大事な髭を挟みで切って仕舞う悪童が居る自分の隙間の幅が分からぬでは隙間に挟まって仕舞う。千年に一度の大地震に備えて御金を使うよりは13ヶ月の安全に御金を掛けるべきで有る。猫は爪を研ぐのは鼠を捕らえる為と思って居たら楽して伸びた爪を研ぐためで有った。
 火力発電っを持たぬ電力会社が有る、日本原子力発電株式会社で有る。火力を持た無い為に発電が出来無い、原発の再稼働が遅れると赤字経営が続き破産の危惧も有る。其を知り乍規制委員会は直下の活断層に拘って居る、規制委員会の委員は土木の専門家では無い。委員が土木の専門家より正しい判断が出来るとは思え無い。自分の目で見ないと信用出来無いと言い掛かりを付け電力会社の費用で地面を掘り返すは理不尽で有る、新しい規制基準(安全基準)を作るのに時間が掛かるのは分るが審査に半年も掛かるが余りに悠長で有る。再稼働後の次13ヶ月後のの定期点検後の確認が見もので有る。
 原子力規制委員会の記者会見で赤旗の報道陣を退席させる民主主義を否定する暴挙が有った。暴挙と独裁が延々と続いて居ても文句を言う人が一人も居無い珍奇が有る、たった五人の委員に原発の運命を委ねる珍奇が有る。猫と人との関係は不可解でも有る。腹が減れば鼠を捉えれば済む為に猫は人に飼われて居るとは思って居ない、されど猫の方から人に近づいて来て人と遊んで呉れる。嫌なら何処かへ行けば良い話で有る。法事の後親族を交えて座敷で雑談をして居ると、猫が我が子を咥えて人の前に初めての御披露目をした事が有った、獣が人に大事な我が子を触らせるは極めて異例の事で有る。「有難うもういいから戻して」と言うと言葉がわかるのか其のとおり通りにした。
 気怠い様な暑い真夏の昼下がり、主の腹の上で昼寝をする家猫も居れば竹藪で蚊に悩まされて眠れぬ夜を過ごす野猫も居る。同じ昼寝でも見る夢は人と猫では余りに違う。
 高浜原発の敷地の標高は3.5m福井県の試算で3.7m、0.2m足り無い。0.2mの防波堤を原発を動かし乍作れば良い筈だが、何を血迷うたか関電は標高6.0mの防波堤が完成する迄申請し無い予定とか。
 他社の原発が順次再稼働すると、新しい規制基準(安全基準)を決める迄は時間が掛かるが、審査其の物は事務的な仕事の筈、基準を作った人が自ら審査に当たる必要は何も無い、審査担当職員を増やし粛々と行われるべき。世界一厳しい基準だからと言って二度と原発事故が無いと断言は出来無い、千年に一度の上には一万年に一度の大地震も有る。更にその上には十万年に一度の大地震も有る。更にその上には百万年に一度の大地震も有る。生命の発生の確率は限り無く零に近いが大宇宙には惑星の数も又無数で有る為に生命の発生も必須とも言える。しかし宇宙は其以上に広い為に出会う確実は限り無く零に近い訳では無い。自分の居無い未来の事を今の政治家が決めるは間違いで有る。未来の政治家が決めるべきことで有る。核融合発電が実現していない今の時点で原発を悪者にし、電力会社虐めに現をぬかすは間違いで有。 少数政党は党員を増やすには千年に一度の好機で有る。労働組合を通じての脱原発への洗脳も進んで居る、しかし電気代の値上げ、法規制付きの節電や計画停電、テレビ放送の時間で制限やインターネットが繋がりにくく成る。ネオンサインの消灯や夜間照明中止等々日常生活にも影響が出る。炭酸ガスの増大で地球の温暖化による海面の上昇等も有る。
 土竜叩症候群と言う言葉が有る。土竜叩きの遊びに講じ過ぎて腕の腱鞘炎に成ったり骨折したりする事で有る。自業自得で有るが愚人は其を天罰と言って謗る。
 今年の盆は近年に無い猛暑でも有る。亜熱帯の東南アジア並みでも有る。亜熱帯では今だに川で沐浴をしたり口を濯ぐ人が居る。汚い水でも病気に成る人が居ないのは強力な天日が消毒して居る為でも有る。マスコミは猛暑を大きく報道するも電力の窮迫を報道し無い、間もなく大飯原発の二基が定期点検に入り日本の原発の総てが止まる危機的事態が再び訪れる。前政権の民主党政権でも出来た大飯原発の点検後の再稼働が政権交代後の与党政権に出来無いでは自民党政権の威信も失墜で有る、不細工な話でも有る。法規制付きの節電や計画停電を自分で止めた政府が又軽々しく口にする愚かが有る。後半年が関西電力の試練の場でも有る。他社の原発が再稼働を始めると屁理屈を捏ねて審査を遅らせる法的根拠が無い、如何に原子力規制委員会でも自分の決めた世界一厳しいと自負する新規制基準(安全基準)が甘すぎると言う謗りを受けても、当分は面子の為に、ヒョコヒョコと基準を変更する事はすまい。建築基準法でも新しい基準は新たに建築する建物の基準であって、既に立って仕舞って居る建家が不適合でも解体せよと迄は言わない。多くの人は原爆と原発事故を混同する愚かが有る。市長が違うと当たり前の事を言ったらニュースに成る昨今で有る。定期点検後の安全確認と規制基準の審査の混同も有る。定期点検後に毎回6ヶ月も掛けて規制基準の審査をして居たのでは電力会社の業務が成り立た無い。
 統計の世界では帰無仮説と言う不思議な仮説が登場する。中国の人が唱えた仮説では無い。証明したい仮説と反対の仮説を掲げ、その仮説では不具合が発生する事の証明で反対の主張が正しいとするやり方で有る。脱原発を帰無仮説に置き3年の日本を検証すると色々と不具合が出て来る、破棄が正しい判断に成る。労働組合にとって企業は敵の様な存在では有るが、企業が儲け無い限り、要求も叶い難しで有る。
 美人も天に向かって洟もかめば、地に屈んで尿も放く。必要の前に法律無しで有る。間も無く大飯原発が定期点検に入って日本の原発の総てが停まる。総ての原発が停まるのに再稼働阻止を求めて抗議行為を行う人も居る。大飯原発は唯一稼働中に新しい規制基準(安全基準)が出来た為に定期点検迄動かすたどうかの審査と未だ定期点検も済んで居ないのに定期点検後の再稼働の審査の同じ原発で二度審査をする事と成った。二度目の審査では敷地内に活断層が有る可能性を指摘し審査を後回しにした。活断層の危惧の有る原発が今動いて居ることに成る。勘違いで有る事を願うが毎回定期点検の後で半年も掛けて審査して居たのでは電力会社の経営が成り立た無い。一度丈なら今後は再稼働を遅れせる為の屁理屈を捏ねられ無い。三年後に両派の正否の結果が出る。
 竜舌蘭は百年に一度花を咲かせて枯れる。枯れるから花を咲かせるのか、アロエも水を遣り過ぎると花を付けない。花を咲かせぬ老桜が有る。枯らさ無い為に養生して枝を切って仕舞う為でも有る。枯れての良いから花を咲かせてやったらと思うのも人情で有る。直ぐ側に二代目の苗木が植えられて居たりで有る




            2013−08−15−559−01−01−OSAKA  



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