石の帽子を被った石塔

 ヨーロッパの或る地方に、頭に石を頂いた奇岩が有る所が在ります。大昔に地表に硬い岩が在り、其の下の柔らかい岩石の地層が雨で侵食され硬い石の在った所丈が侵食されず、大地全体が侵食されても其処だけは侵食されず、気の遠く成る様な年月の後、硬い石の下に円錐形の巨大な石の塔群を出現させたので有る、恰も石の帽子を被った巨人の石像の如くでも有る。
 南海の孤島のイースター島にも、頭に重い石を載せたモアイと言う石像が何体も在ります。此の石像は昔に原住民が島の石切り場で岩を手で彫刻し、人力で現場まで運んだので有る。起重機等無かった昔に、石像の頭に重い石の帽子を如何して載せたのか不思議でも在ります。
 帽子は履物の様に生活上は必要不可欠では無いのに、人の関心を惹いて已ま無い。女性の帽子はファッションの一部でも有るが、其れは頭を守ると言う実用性依りも人の威厳、権威の象徴でも有るからで有ろう。権限の有る職業の制服には帽子は必須です。確かに帽子を被ら無い警察官や消防士や長と名の付く重職者等は様に成ら無い。権威有る地位に就ける頃には御頭も薄く成るので帽子に対する想いも一入で有るので有ろう。昔から新婚旅行丈帽子を被る女性も多かったのは不思議な現象でも有る。晴れがましい時には帽子を被りたく成るので有ろう。昔はかっこ良い学帽に憧れて志望校を撰択した学生も多かった。
 地域住民の消防団、水防団、警防団の存在は不思議な存在でも有る。御互いに職業を持ち乍の活動でも有る。活動出来る様に制服が支給され出動すれば何らかの手当てが出るので有る。唯の民間人の組織では有るが制服を着ての活動中は、或る一定の権限も与えられて居るので有る。制服姿を見て警察官と間違える子供も居て制服、制帽の威厳は今も生きて居るので有る。
 中学生時代に無理矢理丸坊主頭にさせられ、無理矢理帽子を被らされ、脱帽しなかったと言っては叱られ、教師の帽子に対する言動を煩わしいと思った人も多い。日本の学生の黒い制服、制帽姿を見てかっての軍隊を連想してか、眉を顰める外国人も多いが、元々学生服は、昔にヨーロッパの学生服を真似て日本に導入したもので有り。ヨーロッパも昔は制服の学生服を着て居たので有る。古い時代のヨーロッパ映画には日本の学生服に似た制服、制帽に御目に掛かる事も有る。看護師の制服、制帽もヨーロッパ映画に似たようなのに御目に掛かります。其れを知ってか知らずか、日本の学生の制服、制帽を批判するのは間違いで有る。以前に或る学校の卒業式の最後に今までの学帽を天に投げ捨てて解散してしまうのを見ました古い自分を捨てて新しい世界に踏み出す為めか。日本の学生の多くが有名大学を卒業する為に地獄の受験勉強を強いられたので或る。其の有名大学に在籍しながら、就職先が見付から無いとしたら余りにも悲惨で有る。大学に行け無かった事を生涯引け目を感じる人も居る。有名大学を出る事丈が人生の最終目的では無いが、有名大学を出て居なければ評価され無いのも又事実では有る。
 人は自分の髪の毛を不潔と思う人は誰一人居無いが、他人の髪の毛と成ると、殆どの人が不潔と思います。口にする物に他人の髪の毛でも入っていよう物なら大変な事に成ってしまいます。食品工場や、医薬品製造工場では髪の毛の混入防止に躍起に成って居ます。帽子は必須ですが其れ丈では不充分でアンダーキャップを被る必要も有ります。二次更衣をし、エアーシャワーを通過し、ハンドローラーを使って髪の毛を取り除いて居ます。確かに一日被って居ると抜け毛が着いて居る事も有ります。一日に何本かは抜けるので有る。部外者の一般の人から見れば珍奇でも有る。其処に無い物が混入したら一大事で有るのは理解出来るが、其処に在る物を防止するのは神業です。其れを知ってか知らずか口にする物に体毛混入のクレームが発生した時に回収命令を自らは出さず、自主回収を示唆するので有る。回収に掛かる企業の出費は数億掛かる場合も有り、莫大な物に成ります、一本の人毛の為で有る。猫や犬は自分の体を舐めては体を清めて居ます。当然自分の体毛も食べてしまって居ます。動物の多くが授乳期の我が子の排泄物まで食べてしま居ます。人も赤子の鼻詰まりの時には鼻汁を吸う母親も居ます。体毛の一本位人畜無害でも有るのに。胃や腸は未だ体外なので有る。強力な胃酸で殺菌して居ます。大企業が一本の体毛の混入の為に厚生労働省の指図に四苦八苦して居るのを面白がって居る場合では無い。回収の為に大切な錠剤の供給に支障が出て、患者の治療に支障が出た場合は一体誰が責任を取るので有ろうか。自主回収なら厚生労働省には何の責めも負わせられ無い。
 神職の履物や被り物には伝統を感じます。作る人も少なく、可也高価な物で有ろう。伝統は守る事で威厳が生まれ、権威が発生するので有る。或る一時代の政治家や有識者の気紛れでひょこひょこと変更するものでは有りません。伝統の変更は衰退を意味します。現代人から見れば神職の被り物も珍奇では有るが其れをもって変更を強いるのは間違いで有る。伝統とは其う言う珍奇な部分も含まれる物でも有ります。 日本の国民の象徴の天皇制も古来からの伝統を捨てて変更しようと言う動きも有ります。日本国の象徴的な天皇に女性も起用しようと言うので有る。伝統は守らねば成ら無い物で有る、現代にそぐわ無いからと言って簡単に変更しては成ら無い。変更は天皇制の衰退に繋がります。政党に拠っては天皇制に長い間反対して来た政党も有る。人は自分も死ぬで有ろう後の世界の事を自分の想いで変更しては成ら無い。
 昔の写真を観て居ると或る時代では皆が同じ様な帽子を被って居た事に気が付きます、皆んながで有る帽子にもブームが有ったので有る。現代人は余り帽子は被りませんが、歳いって髪の毛が少なく成って来ると如何しても帽子を被りたく成るものです。法王の帽子が何故擦り落ち無いのか不思議に思う人も多い恐らくは頭にピッタリと治まる様にと特別注文なので有ろう。
 頭の上に重たい石の帽子を頂いた巨人達は何万年もの人類の歴史を目のあたりのして来て。一体何を思って来たのので有ろうか。


            2006−01−03−85−OSAKA



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